忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2010.8.16

2010年08月16日 | 過去記事
数百組が「勝者のキス」 NYで対日戦勝65年祝い

<タイムズスクエアでは65年前の終戦時、水兵が女性看護師に喜びのキスをする有名なライフ誌の写真「勝者のキス」が撮影された。これを再現しようというイベント。

 タイムズスクエアには今年、対日戦勝65年を記念してニューヨーク市が「勝者のキス」を模した約8メートルの巨大レプリカ像を設置。カップルたちはレプリカの周囲でキスを交わし合った>


(*`・ω)y━・~~ フゥ~独立記念を祝いたいときでも「ホットドッグの早食い」しか思いつかない連中だから、これもまあ仕方がないが、いずれにせよ、普通の国における「戦死者」とは「英雄」なのだとわかる。普通の国における「戦争」とは、どこかの日本みたいに「どこかの国の平和を壊した恥ずかしい過去」のことでもないとわかる。健全か不健全かは知らんが、いずれにせよナショナリズムとはこういうものだ。ワールドカップで「予選全敗するだろう」と思われていた日本代表チームがベスト16であれほど盛り上がるなら、例えば人類史上、初めて有色人種が単独で白人帝国を降伏させた、あの日露戦争勝利がどれほどだったのかと、少し想像するだけでわかりそうなものだ。しかし、日本は対露戦勝を祝うどころか、大東亜戦争後、常備薬の「征露丸」にも気を使って「正露丸」にした。「ロシアをやっつける」の「征」が、まるで「ロシアは正しい」と「正露丸」にしたように、全ては「日本が悪かった」で片づけてしまうから、65年経っても、いい大人が公衆の面前で接吻して喜ぶような破廉恥な国に逆らえなくなった。




  開戦兆候あれば北朝鮮基地を先制攻撃か 韓国軍 

<韓国の聯合ニュースは15日、北朝鮮による核・ミサイル発射や戦争開始の兆候があった場合、韓国軍が北朝鮮の軍基地などを先制攻撃する「能動的抑止」が作戦計画に盛り込まれることになったと報じた。海軍哨戒艦沈没を受け、安保体制の再検討を行っている「国家安保総括点検会議」の委員の話として伝えた>


o(#・`д・)y━・~私はこの手のニュースを見て「またかいww」とは思えない。「幸福実現党」の政党CMではないが、ある日突然、明日でも明後日でも、私は「ある」と思っている。やはり今度、世界の有事は朝鮮半島から起こり、同時多発的に中東からも火の手が上がると思っているから、とても笑えない。個人の喧嘩でも睨みあって罵り合い、突き飛ばし始めると、仲裁者も体を張らねば止められないのと同じだ。北はもう手を出しているが、だれも体を張って止めようとはしない。警察のふりをしたギャングと弁護士のふりをしたヤクザが後ろで糸を引いている。関係ないのに迷惑かけられてばかりの商売人は、今日も「まあまあ」と言うばかりだ。始まればいちばん危険で、いちばん迷惑がかかるのに。




三原じゅん子議員が靖国神社を参拝

<自民党・三原じゅん子参院議員(45)が65回目の終戦記念日となった15日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。菅直人首相(63)と閣僚は姿を見せず。首相と全閣僚が参拝を見送るのは1980年代以降初めてだった。

 酷暑の神社内でシルバーのスーツをパリッと着こなした三原氏は、参拝を終え「前から今日は参拝すると決めておりましたので」と涼やかな表情を見せた。参拝客から「キレイだね~」という声も上がった。

 超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元厚労相)のメンバーとして参拝した三原氏だが「20代の頃から、ほぼ毎年参拝しに来ておりました。私たちの平和が今あるのは先人のおかげだと思っておりますので」と告白。女優時代から恒例にしていたことを明かし、「今後も必ず毎年来たいです」と話した。同党の谷垣禎一総裁(65)や安倍晋三元首相(55)も姿を見せた。また、小泉進次郎衆院議員(29)も早朝に単独で参拝した。

 一方、政権交代後初の「8・15」を迎えた民主党の議員は、羽田雄一郎参院議員(43)ら数人を除いて参拝せず。アジア諸国への配慮からか、政府主催の全国戦没者追悼式にのみ出席した菅首相は、以前から「A級戦犯が合祀(ごうし)されており、首相や閣僚の公式参拝には問題がある」と指摘している。安倍元首相は「閣僚の自主的判断ではなく首相が決めた方針なら『信教の自由』から問題ではないか」と批判した>

(i|i-´д`-)y─┛~~~こんな記事が出ること自体、ちょっと異常だと自覚せねばならない。今更だが、日本の国会議員が日本の神社に参拝するかしないかがニュースになるなど異常の極みだ。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」も同じく、超党派だか何だか知らんが、当然といえば当然なのである。また、この会には原口総務相や小沢一郎元幹事長の名もあったりする。いったい、どうなっているのか。ちなみに「やまと新聞」に、我らが長尾敬議員が写っていた。15日に参拝しされたようだが、英霊の声は何と言っていたのだろう。




 サハリン残留韓国人問題「政治利用こうして始まった」 元支援会会長が指摘

<菅直人首相が「歴史の事実を直視する」として10日に発表した首相談話に含まれていた「在サハリン韓国人支援」は、かつて仙谷由人官房長官自身がかかわり、国会などでも「日韓の和解のモデルケース」と言及してきたテーマだ。だが、産経新聞のインタビューに応じた元サハリン再会支援会代表の新井佐和子氏(80)は、仙谷氏の個人的な思い入れの矛盾点を指摘。逆に新たな問題を引き起こしかねないとの懸念を示す。(宮下日出男)

 --仙谷氏の一連の発言をどう受け止めるか

 「サハリン韓国人残留問題には(仙谷氏の友人で、韓国での対日慰安婦補償請求訴訟などを推進してきた)高木健一弁護士が深くかかわっていた。仙谷氏は高木氏とずっとコンビを組んでいたので、官房長官就任時から、私は戦後補償問題の再燃を懸念していた

 --残留韓国人問題は戦後補償の代償行為として受け止められてきたが

 「この事業はもともと、サハリンから昭和33年に日本に帰還した韓国人の故朴(パク)魯(ノ)学(ハク)氏が始めたものだ。朴氏は現地に残る韓国人に頼まれ、帰還支援運動を開始した。朴氏はサハリンの同胞たちはソ連に抑留されているとの意識で、日本の戦後補償問題とは考えていなかった。だが、高木氏らはこれを安保闘争の延長の反政府運動として利用し、韓国人の帰る自由を奪ったのは日本、帰国させる責任も日本にあるとした」

--「韓国人4万3千人がサハリンに強制連行されて戦後置き去りにされた」との主張もあった

 「戦前戦中を通し、サハリンは暮らし向きが内地よりよく、給料も高かったため、自ら渡ってきた韓国人がほとんどだ。『強制的』といえるのは終戦直前に徴用された少数だけ。『4万3千人』という数字も、戦後にソ連の友好国だった北朝鮮から来た労働者らが含まれており、根拠はない」

 --日本の責任は

 「まったくない。日本が帰そうと思っても、ソ連が労働力が必要だとして帰さなかったのだから。ソ連には、韓国と対立していた北朝鮮を刺激したくないとの配慮もあった。韓国の家族との再会のためにサハリンから日本に呼び寄せた韓国人が、韓国大使館で『なぜ今まで自分たちを放っていたんだ』と訴えたこともある。韓国人には韓国政府を批判する人が多かった」

 --帰還支援運動は、仙谷氏もかつて所属した旧社会党が熱心に見えたが

 「在サハリン韓国人を家族と再会させ、韓国に帰すことが活動の目的なのに、彼らはサハリンから韓国人を日本に招く際の招請人になることに消極的だった。社会党は、すでに活動の道筋がついた段階で急に乗り出してきた。五十嵐広三元官房長官は朴氏の死去前日に病床を突然訪れ、感謝状を贈呈してマスコミに取材させるなど政治利用はみえみえ。朴氏の妻、故堀江和子氏も活動を横取りされたとくやしがっていた」

--日本政府は首相談話で今後もサハリン韓国人支援事業を行うと表明した

 「打ち切るべきだ。本来は韓国とソ連の問題であり、日本の役割は両国の国交樹立(1990年)で終えている。もうサハリンに戦争当時の人はほとんどいない。日本の負担で永住帰国者のために韓国に建設したアパートには、戦後になってサハリンに行った北朝鮮人まで入居している」

 --だが、仙谷氏は日韓間の「和解」の成功例として何度も引用している

 「残された韓国人が気の毒だからといって、情緒的に問題を持ち出すのは疑問だ。過去に個人的に動いたのはそれぞれの生き方だから構わないが、官房長官として国益を損ずることを起こすのはいかがか」>


(i|i-´д`-)y─┛~~~この「帰国支援運動」とやらは昭和33年から始まったらしいが、昭和33年といえば1958年、日本では東京タワーが聳え立ち、長嶋がデビューして王貞治が入団した年である。日本人の子供は「ファンタ」を飲んでいた。韓国も1948年にアメリカの軍政が解かれ、その10年後には李承晩という悪名高い大統領もいたはずだ。つまり、自国民を帰国させるくらい自分でやれよ、というだけの話だ。政治利用と利権だけで騒いでいるのはバレバレだが、しかしながら、こういうことは後世になってから「恥」としてのしかかることになる。仙谷も日本か朝鮮に家族がいるのだろう。売国も結構だが、自分の子や孫が笑われないようにすることだ。

























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