忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

欲しがりません、勝つまでは(平成バージョン)

2011年10月30日 | 過去記事

15年ほど前、私は「野市」と呼ばれる青空市場で仕入れをしていた。店長だった頃だ。私がいたような中型スーパーは通常、最寄りの「中央市場」で仕入れを行うことになっていたのだが、当時、地元の農家の方々が野菜や果物を持ち寄り、朝夕に小さな市場が開かれていることがあった。大阪でも京都でも探せば結構あったモノだ。

もちろん、数も揃わない。商品の種類も限られる。値段も安いとは限らない。これらの商品は、いわゆる「露地物」と呼ばれていた。いま、大型スーパーなどをみれば「朝市」などと称して新鮮な野菜&果物を盛り売っているが、ま、当時の私がやろうとしたのも同じようなものだった。ただ、中央市場で仕入れるとファックスで一括注文、およその商品選定も仲買人のプロの目が選ぶから楽だった。細かいことを言えば、そんなに早起きする必要もない。商品を「競り落とす」のも仲買人の仕事だからだ。だから専ら各支店の店長らも商品と数、場合によっては売値まで記載してファックスしていた。ま、それでも楽な仕事ではなかったが。

もちろん、私もメインの仕入れ先は中央市場だった。朝の仕事は昨日にファックスしておいた商品の確認、及び、自分の目と耳と手で確認せねばならない商品の吟味、あとはその日のスポット商品を探したり、1週間とか2週間スパンで頭に入っている「特売の予定」と相場を見比べたり、仲買人らとコミュニケーションしたり、事務所でコーヒーを飲んだり、まあ、いろいろある。

ところで、私が店長になる前、つまり、仕入れを教えてもらう前、その店の店長などが電話で商談しているのを聞くと、なにやら怪しげな隠語が飛び交うことがあった。符丁だ。「メノジ」やら「マイリ」などの聞き慣れない言葉が出てくる。店長に問うも「値段のこと」くらいしか教えてくれない。貴様の如きはそんなことより現場の仕事を一人前にこなせるようになれ、と厳しいものだった。私の最初の師匠、ヒゲの店長だ。

それから数年が経ち、私は24歳で京都にある店舗を任される。そして日々の業務に慣れた頃、私は風呂場で、トラックの中で、バックヤードで談笑しながら、ずっと「右手」を動かしていた。符丁には「手」がある。競り市で使うのは「手」だった。右の掌だけで数字を表す。覚えてしまえば簡単だが、コレが結構、ハードルが高かったのか、社内の誰もやらなかった。まあ、必要ないだろう、という空気もあった。

私はやってみたかった。ジャンパーの前を引っ張り、その隙間からさっと「手」を出す。競り人は見たか見ないかのタイミングであっさりと競り落とす。これがカッコイイ。周囲の商売人は舌打ちしたり、頭を掻いたり、薄ら笑ったり、どんな「手」を入れたか聞いてきたりする。無論、こちらが嗚呼ちくしょう、いったいナンボほど入れやがったのか、ともなることもある。つまり、駆け引きがある。

右掌を開いてほしい。そして人差し指だけを曲げる。これを「チョッコリ」という。意味は「105・1050・10500・・・」となる。ちなみに「1」は「ピン」だ。この30把入りの岐阜産ホウレン草が1000円で欲しい、と思えば人差し指を立ててこっそり見せればいい。右手で「キツネ」を作ろう。これから薬指だけを外せば「チンチョウ」となる。意味は「15・150・1500・・・」だ。逆に人差し指を外せば「メーツー」となる。これは「27」だ。それから親指を外せば「バンド」で、これは「8」を意味する。「20世紀少年」のマークを作る。指矢印だ。これを見せながらくるっと回せば「ムーマー」と解釈される。「16」だ。この2キロ入りの香川産キュウリが一箱1600円で欲しい、というときに見せるといい。また「ムーマー」を出すときは手を開いたまま、ゆっくりと指をすべらせながら折りつつ、くるっと素早く手首を回すのが格好よろしい―――ま、こんな感じでいろいろある。

客の「手」がすっとわからなかったときの掛け合いも粋だ。競り場が微妙な流れのとき、いまのは「2」なのか「7」なのか?となったら、競り人から「花はあるんかい?」とか問われる。「花」というのは「5」があるかないか、を問われている。指が2本みえたが、どっちなんだということだ。これが「10」ならば「星」があるかどうかを問われる。

当時、私がいた京都の店から車で30分ほど走れば、割合大きめの「野市」があった。始めて連れて行ってもらったとき、そこにはいろんな商品があった。私は好奇心でいっぱいだったのを覚えている。私が狙っていた京野菜もたくさんあったが、中には怪しげなコーラやパンもあった。また、これでも一応、店長にまでなった私の「プロの目」からしても惚れ惚れする野菜があった。農家の名も覚えている。「十時」と書いて「とうとき」という名だった。素晴らしかった。店の冷蔵庫で「見とれてしまう」ほどの神々しさだった。

「十時」の野菜は最高ブランドだった。文句なし。「バタも強い(束がでかい)」し「リキがある(売れないわけがない)」という顔をしていた。年末、どこの農家の「ネギ」でも20キロで数千円以上、という高値の中、「十時」の光り輝く「青ネギ」は堂々たる1万円からスタートだった。九条ネギ?なんだそりゃ?という威風堂々だ。なんとも原価100グラム500円である。まるで高級和牛である。しかしながら、コレが売れる。すぐに売れるのである。商売人はそれを知っているから、競りではついに「げんこつ(ナンボでも買うで!)」が放り込まれたこともある。周囲の商売人からは非難轟々、それなら10万円にしたれや!!と怒号も飛んだが、経験豊富な競り人に諭され、みんな仲良く、喧嘩しないでね、ということで1万円で分けた記憶もある。「十時」とはそれほどだった。

ある日、いつもより少し早く「野市」に着いた私は、トラックで昼寝でもしようと企てたが、そこで「十時のおっさん」をみつけたことがある。荷運びしている最中だった。道を歩いていれば、ただの小汚い農家のオッサンだが、私は思わず運転席を飛び出し、気がつけば話しかけていた。それほど尊敬し、憧れていたのだ。

「ほうれんそう」のことを問うた。おっちゃんの「ほうれんそう」は新聞紙に包んで水をかけておけば、3日経過しても冷蔵庫で仁王立ちしている。非常に安心できる商品なのだが、いったい、なぜにこれほど日持ちするのか。「青ネギ」も普通のネギは先っちょが枯れる。しかし、おっちゃんのとこの「青ネギ」は、いつまで経っても突き刺さるような先端を維持している。放射能でも浴びせているのか。

答えはもちろん、企業秘密とのことだった。ただ、丁寧に育てている、ということだ。

繰り返すが、その商品は野市の農家ではトップクラス。他の農家も唸らせる出来栄えだった。「十時」の名がつけば、ナスであろうがトマトであろうが、ネギであろうが小松菜であろうが、その市場の「最高価格」としての基準となった。否、ある意味、市場相場は関係なく、そこには「十時相場」というものが発生し、そのブランド力は誰もが認めざるを得ない、どうしようもないレベルだった。

中央市場でもランクがある。多くは「秀」「優」「良」の三段階に分けられる。「秀」というのは「カタ」とも呼ばれていた。これが「最高値の基準」だ。「カタはダイク(3000円)もしているけれど、同じ産地の“優”版はムーター(1800円)である」とかいう。私の仕事は如何にして「優」の中から「秀の顔」をした商品を探し出すか、となる。見つけた商品に自信があれば、堂々と「秀」の価格「原価3000円」のつもりで値付けをする。数が揃えば特売もする。お客さんからすれば「お得感」も得られる。ならば私も嬉しい客も嬉しい、WinWinである。

市場の中を探せばいろいろある。これが「腕」であり「面白さ」でもあった。そのためには早起きもするし、仲買人と仲良くもするし、商品を吟味する知識や経験も必要となる。利益というのは、つまり、お駄賃のようなものだ。主婦の方々の代わりに買い物をしているのだ。これを「根拠なく」高くしても安くしても、お客は違和感を生じる。

ま、ともかく、だ。支那から来る野菜の箱には「最高級・日本向け」などと書かれているモノもあった。それでも国産の「良(国産での最低ランク。選外品は除く)」よりも劣る商品であることは常識であった。価格はずば抜けて安い。半額どころの話ではないモノもあった。

私が生まれる前だと思うが、日本の果物屋には「レッドデリシャス」という名のリンゴが並んだらしい。アメリカ産だ。輸入解禁、円高差益還元、とのことで価格は破格の値段、グローバルな価格破壊がリンゴを襲うとなって、国内のリンゴ農園は猛烈に反対した。チリ産のチェリーなどもあった。アメリカンチェリーよりも安い、ということで地域のスーパーマーケットは山積みにして売った。しかし、日本人の味覚には合わなかった。結果は売れなかった。すっぱ不味い。また、日本人は白人のようにリンゴを煮たり焼いたりする料理法も知らない。津軽リンゴやふじりんごというのは、そのまましゃくっと喰ってウマいモノ、というのが日本人の「リンゴ」だった。今はアメリカも支那も「ふじりんご」を作る。日本に売るなら最低限、手間暇をかけて「美味しくする」必要があると知った。

いま、話題沸騰、議論白熱のTPPについて、先ず、私のスタンスを明確にしておくと、それは反対だということになる。理由はもちろん、医療や農業だけの問題ではないからだ。それに「アメリカが言い出すこと」には反対から始めねばならない、というのも重要なポイントだ。それから「どの程度の損を覚悟するか」「どうやって護るのか」「どのようにして追い出すのか」を熟慮せねばならない。これは日本が戦後ずっと、耐え忍ばねばならないことでもある。嫌なら国軍を持つことだ。核武装して原子力潜水艦を持つことだ。本来、アメリカに習うべきはここだ。下水管に隠れる金正日を殺して拉致被害者を取り戻し、領土領海をしっかりと護り、韓国は当然、支那の首根っこを押さえ付けて、おまえら日本の言う通りにしろ、忘れているみたいだが、今も昔も我々の敵は白人だ、と言えねばならない。

すなわち「TPP反対」という意思表示は大切だが、これはもう、参加するという前提でモノを考えておかねばならない。そして、その上で「勝つ(護る)」という知恵を出さねばならない。事実、日本はそうやってギリギリ、いろんなことを護ってきた。メディアは郵政民営化のときと同じく「TPP推進」を言うのも何を今更、これはもう仕方がない。対して親米派とされる知識人らの「アメリカにつくか、支那につくか」とか見てられない。どっちも大したことはない。もちろん、反対派の「アメリカは自国の国益しか考えていない!」という批評など、もはや、頭は正気なのかと思わざるを得ない。そんなの当たり前ではないか。50年前と同じ反応をしてどうする。ヘルメットとサングラス、タオルとゲバ棒を持つまでもう少しか。

そして、だ。ちょっと冷静に考えてみる。

過日、フジテレビの「ノーズラ」アナウンサーの番組に「TPP反対論者」の中野剛志氏が出て話題になっている。私も動画を見た。まったく背筋が寒くなるほどの正論だ。しかし、だから?それで?と言わざるを得ない。冷笑しても仕方がない。呆れていてもはじまらない。怒ってもしょうがない。聞きたい、知りたいのは「ンじゃ、どうすればいいのか」である。「参加しなければいい」と言うなら、参加しなくとも済む具体的な手段、方法を示してもらいたい。合わせて「参加しなかった結果(リスク・デメリット)」も述べてほしい。

本当に頭が良いなら、現状を認識したうえで「国益になる」方策を練るべきだ。国会議員も「意思表示」としての反対は大いに結構だが、交渉参加は既定路線なのだから、その後は知らない、オレは反対だったからね、では無責任に過ぎる。賛成派も慎重派(反対派)も意思表示の後、やることは同じはずなのだ。如何にして国益を護るか、これしかない。


少々古い話をする。

「粉食奨励」としてキッチンカーが走り回ったのは、戦後から5年ほど過ぎた1950年代だ。今は「日本食ブーム」が世界の常識、ホワイトハウスの晩餐会で李明博大統領も和食を喰わされるほどだ。これは「ホワイトハウスの深刻なミス」ではなく、世界標準、ごはんとおかずの組み合わせはナイスバランス、ということで、世界のどこでも「日本」と名がつけば高級、安心、美味、健康、上質という意味となったが、1950年代の日本では「コメを食べると頭が悪くなる」というキャンペーンの真っ最中だった。それから日本では魚肉ソーセージやらインスタントラーメンやらが登場、いわゆる「三種の神器」も各家庭が具備し始める。テレビ・冷蔵庫・洗濯機のことだが、その頃にさりげなく電気炊飯器も登場する。

ここが日本人のイヤらしいところだ。頭の良いリーダーとは、こういうことを考えねばならない。当時の厚生省栄養科長に大磯敏雄という人がいたが、アメリカがなんとかして日本の市場開拓をしろ、と「命令」するのに対し農林省が反対する、大蔵省が金を出さないと引き延ばし、自らキッチンカーの提案もしながら、結局、アメリカの農水省から金を出させた。自ら日本に乗り込んできたオレゴン小麦栽培者連盟の会長、リチャード・バウムに「日本人の食生活が豊かになれば、自然に小麦も喰うようになるから、長い目で見なさい」(日本侵攻 アメリカ小麦戦略・高嶋光雪著)と言って「日本食生活協会」の名で行う日本人の栄養改善をアメリカの資金でやらせたのだ。その一方で東芝は世界に前例のない全自動の電気炊飯器を開発、日本人の主食はコメでしょう、として1958年のブリュッセル万国博覧会でグランプリを獲ったりする。

だから今でも「家庭でパンを焼く」と聞けば、ほぉ~となるが、今日ね、自宅でご飯を炊いたんだ、と聞けば、それがどした?となる。

NHKが「きょうの料理」の放送を開始したのが1957年だ。日本の主婦は番組を見て買い物に出かけた。「成人の最低必要な年間消費カロリーの60%」しか配給されなかった戦争末期から12年、日本は既に大衆消費社会の到来があった。恐るべき巻き返しである。

まあ、しかし、だ。アメリカもさすがである。やられてばかりでもない。

戦争が終わったアメリカは余剰農産物を日本に売りたい。他のアジアの国も日本に穀物を輸出していたが、そんなことはアメリカが気にするはずもない。米国農務省は日本の市場開拓を推し進める。殺さずにおいてやった日本の餓鬼にコメを止めさせてムギを喰わせろ、ということだ。これは大袈裟でも何でもなく、1964年にはマクガバン上院議員は「アメリカがスポンサーになった日本の学校給食で、アメリカのミルクやパンが好きになった日本の子供は後日、日本をアメリカ農産物の最大の買い手にした」と述べている。アメリカのアグリビジネス研究家のスーザン・ジョージという学者も「アメリカの日本への投資はまったく見事な成功例である。成功の確率を高めたのは給食制度の中に子供を組みこんだことだ」(なぜ世界の半分が飢えるのか スーザン・ジョージ著)と威張っている。御蔭で日本の「小麦の自給率」は9%を切った。

しかし、コメはなくならなかった。アメリカ農水省のキッチンカーが走り回り「コメを喰うとバカになるぞ」と脅しても、朝日新聞、天声人語が「池の鯉や金魚に残飯ばかりやっていると、ぶよぶよの生き腐れみたいになる。パンクズを与えていれば元気だ。米の偏食が体に悪い事の見本である」(1959年7月28日・天声人語)と今と変わらぬ馬鹿を書いても、当時、日本人の一人当たりのコメの消費量は上がった。キッチンカーが12台、講習会数は2万回以上、地球を14周するほど沖縄以外の日本各地を回ったが、ごはんのおかずに「洋食」のレパートリーが増えただけだった。アメリカやら日本の戦後左翼は知らなかったかもしれないが、日本は戦前から小麦も消費していた。「洋食」もあった。つまり、コメを喰おうがパンを喰おうが、頭が悪いのはアメリカ人だった。




TPPに交渉参加、コレが正式に決まれば、日本の野菜やコメは「和牛」のようになるかもしれない。「和菜」とか「和米」などと呼ばれて最高級ブランドとして輸出されるのかもしれない。となれば、日本が輸出した高級和牛は当初、アメリカでも一部の金持ち、グルメなアメリカ人しか喰わなかったが、それをアメリカが「神戸スタイル」「松坂スタイル」などと称して「米国産和牛」として流通させたのと同じ手法もあるだろう。ビバリーヒルズの富裕層しか喰えなかった「和牛」だが、売れるとなればアメリカが見逃してくれるはずもないから、今ではニューヨークでもシカゴでもロサンゼルスでも、金さえ出せば「アメリカ産の和牛スタイル」が喰える。日本の和牛販売会社はいま、高級ブランド、ホンモノを売り込んで巻き返しを狙うが、これもなかなか苦しいところだと思う。

代わりに日本には大量の輸入牛肉が溢れる。精肉の関税は現在38.5%であるが、外国資本のスーパーで売っているオージービーフの安さは実感している通りである。クソ不味かったオーストラリア産の牛肉も、あ、そうか、牧草ではなく穀物を喰わせればいいのか、と知ったオーストラリアは、日本向けにグレインフェッド、つまり、霜降りの牛肉を売るようになった。悔しいところだが、私も購入して自宅で美味しく焼いてしまっている。これが関税撤廃、となれば更に安くなる。日本の牧畜産業もアメリカに売れる「ロース部位」(アメリカ人はステーキが好き。私は焼肉が好き)を取った残りを国内で捌くのも難しくなる。

牛丼は200円に限りなく近づく。どこが最初にやるか、であるが、現在のデフレ上等、安売り合戦をみればどこが最初でもおかしくない。小麦の関税は252%。食パンは通常価格で100円を切る。バターなどの乳製品の関税も300%を超えている。これらは半額になる。今でも日常、普通に暮らしていれば「国産和牛」など口に入らない。これがコメや野菜にまで及ぶ。国産で生き残るのは「最高級」に限られるからだ。TPP賛成派が言う「競争力」とはこのことだ。先ほどの昔話でいえば、TPP参加後に生き残るのは「十時」の光り輝く「ほうれんそう」や「青ネギ」だけとなる。つまり、これらは国内外問わず、すべからく「金持ち」しか喰えなくなる。庶民は牛肉と同じく、激安でそこそこ喰えるコメや野菜を喰うし、外食産業は更なる価格破壊に躊躇しない。どこの国の人間も「喰えるか喰えないか」の格差には耐えられぬが、良いモノを喰うか安モノを喰うか、というレベルの格差で庶民が立ち上がらぬのは歴史が証明している。

そういうことをアメリカ、すなわち、大統領選を控えたオバマはやろうとしているし、国内の賛成派もそれを待ち望んでいる。儲かるからだ。保健や医療、金融も雇用もそうだが、先ずは「喰い物」でやられる。エネルギーでやられる。これも「いつか来た道」ではないか。しかし、今度は奪われるのではない。逆だ。安いモノを大量に消費させられるのである。日本にはそれほど「腹一杯の奴隷」が増えてしまったのである。


TPP反対の世論は弱い。メディアが殺すから弱い。デモも報道されなければ周知されない。ネット媒体による反対運動にも限界がある。政府与党の中でも反対を唱えて頑張る政治家もいる。しかしながら、日米安保条約が止まらなかったように、やはりTPP参加の勢いは止まらない。すべてが今更、なのだ。外国産の「日本向け」のコメや肉、野菜を喰いながらでもいいから、さっさと憲法改正して自衛隊を国軍とし、教育を見直し、マスコミを監視し、しっかりした国家観のある日本人をつくらねばならない。これをあっさり言うと「戦後レジームからの脱却」となる。コレをやろうとした総理大臣がいたであろう。

言うまでもなく、あそこが切り替えポイント、千載一遇の好機だったのだ。有権者は大いに反省すべき、円高も失業も「己が蒔いた種」である。自業自得だと猛省しながら、オージービーフの横には中南米から輸入したインゲンマメを添えて喰うべきだ。もう、あの美味くて柔らかい香川産のインゲンマメは100グラム100円とか150円で買えない時代が来る。先日もバター炒めで喰ったが、やっぱり、日本の野菜は美味いのである。

アスパラもブロッコリーもピーマンも、好き嫌い言わずに今のうちによく味わっておくことだ。「鹿児島産のかぼちゃ」なども、今しか喰えない。栗の甘さを彷彿とさせる、あのホクホク感は最高級だったわけだ。もうすぐニュージランドとメキシコのばこばこした「カボチャ」しか喰えなくなる。非常に無念だがな。

まあ、そういう不味いモノを喰いながらも、だ。このTPPなる不平等条約の中から如何にして「平等」の箇所を探し出し、あるいは「日本の国益」を見出してアメリカに飲ませる他ない。政治家や官僚、知識人や学者先生など、この国のリードオフマンらは高いモノ喰いながらでもいいから、早急に成すべきを成さねばならない。先人が成した見事な駆け引き、愛国心が成した外交政策に学び、この国の舵取りを急がねばならない。

無論、一般庶民の断固反対、は大いに結構、私も全く賛同する。だが、現実というものは厳然としてあるし、これからも日本国民の生活は続く。「TPP参加断固反対」とは枝葉末節、どこまでいっても枝葉の話だ。要するに「根本的解決」を図太く、見失わずに追及していく他ない。我々が踊らされてはならない。

また、これを「親米か反米かの踏み絵」とするのは危険である。事実、共産党も社民党も反対ではないか。つまり、同じ「反対」でも「中身があるかどうか」を問わねばならないし、あるいは「賛成」であっても、同じく「日本の国益」を護るための「泣きの賛成」もあろう。しかしながら、これは日本人からして最も不得意なジャンルかもしれない。すなわち「見極める」という作業が必要なのだ。また、同時に基本的なことを問わねばならない。他国の軍事基地を置かれながら「属国かどうか」を議論するなど矛盾が過ぎる。領土領海を侵犯されたら、アメリカは同盟国として何をしてくれるのか、しか真面目に議論出来ぬ状態に甘んじながら、今更、国内市場を持って行かれるのに驚いていてどうする。自国民を拉致されながら、何十年間も何も出来ぬ国が何を言っても通じぬのが国際常識である。

領土、領民を奪われて何も出来ぬ国に「経世済民」だけ残してくれるわけもない。「金の卵を産む鶏」とは産まなくなるか、御主人様が背に腹を代えられぬ状況になれば、潰して喰われるのが運命ではないか。つまり、我々はカリフォルニア米を喰いながら、オージービーフを焼きながらでも、忘れてはならないことがある。それを急ぐべきだ。

2 コメント

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Unknown (久代千代太郎)
2011-11-07 10:03:05
>りじちょ

もうすぐ10日ですな。交渉参加が既定路線なら、そのあとが最重要となりますね。いずれにしても不安は募りますな。
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ペナルティーの支払い方法 (近江謄写堂)
2011-10-31 16:44:34
ヤンキーどもが、「TPP違反だから賠償金を支払え!」と言ってきたら、「よっしゃ、米国債で払えばよい」と政府高官が発言するだけでかなりの抑止力になると思います。その代わり、誰かが変死体でフィリピンの海に浮かぶでしょうが...

私ですか、もちろんTPP反対でござんす。
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