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【名馬物語】第1回 サイレンススズカ

2020-02-18 17:30:00 | 名馬物語
名馬物語のコーナーではわたくしが競走馬をピックアップし、その魅力や記録、思い出について語りたいと思います。基本的にはリアルタイムで見た馬を取り上げていきたいと思いますので、わたくしが競馬を見始めた1995年以前に引退してしまっている馬は登場しません。(リアルタイムで見ていない名馬については別枠で取り上げてもいいかもしれませんねー)

記念すべき第1回は サイレンススズカ です。


[デビューからダービーまで]

父サンデーサイレンス 母ワキア(母の父Miswaki)
栗東・橋田満厩舎 栗毛 牡

日本の競馬界に「サンデーサイレンス旋風」が巻き起こっている真っ只中の1997年2月。
サイレンススズカはクラシック三冠を目指すには少し遅いデビューを果たします。京都芝1600m戦で上村騎手が騎乗し、2着馬(後のオープン馬パルスビート)に1.1秒差をつける圧勝を飾りました。

2戦目にはいきなりクラシック競走の登竜門、弥生賞(2020年からディープインパクト記念弥生賞)が選ばれました。
筆者はこのとき、武豊騎乗のランニングゲイルを応援していました。ランニングゲイルは前年秋の京都3歳S(旧表記)で2歳レコード(ナリタブライアンが持っていた)を更新していて、競馬歴の浅かった筆者は単純に注目したのでしたw紫のメンコと真っ黒な馬体がカッコいい馬でした。オールドファンは、父がいぶし銀のランニングフリーだったことで応援している人が多かったように記憶しています。

レース発走直前、サイレンススズカは何とゲートの下をくぐり抜けてしまいます。こんなことは前代未聞で、外枠発走となった上に大出遅れをして惨敗に終わります。コーナーから一気にマクって勝ったランニングゲイルとは対照的に、サイレンススズカの若さが出たレースとなりました。それでも道中は盛り返して馬群に取り付いたサイレンススズカの姿を見て、「やっぱり只者じゃない」と思ったものです。

皐月賞は断念となりましたが、立て直して自己条件で再び圧勝。続くダービートライアルのプリンシパルS(当時は2200m)では3番手からレースを進め、後の菊花賞馬マチカネフクキタル・弥生賞で敗れたランニングゲイルとの叩き合いを制して、ついに3歳馬の頂点を決めるダービーへと駒を進めます。

ついに檜舞台に登場したサイレンススズカでしたが、道中は折り合いを欠き、9着に敗れてしまいます。勝ったのは低評価を覆した皐月賞馬・サニーブライアン。皐月賞に続いて大外18番からのレースで2冠を制した大西騎手は「1番人気はいらない、1着がほしい」との名言を残しました。そして、奇しくもサニーブライアンの2冠はどちらも「逃げ切り」でした。


[成長とレーススタイルの確立]

神戸新聞杯で復帰したサイレンススズカは、プリンシパルSで下したマチカネフクキタルの2着となり、3000mの菊花賞は回避して天皇賞からマイルチャンピオンシップへと進みました。これを6着、15着と敗れますが、この3レースではいずれも前半からスピードを活かすレースで、長い距離での折り合いを意識したダービーまでのスタイルから変化が見られました。
筆者はこのとき「スピードあってもハイペースで潰れちゃってて、だめじゃん」ぐらいにしか思っていませんでしたが、「サイレンススズカは絶対に強くなる」と思っている競馬関係者は少なくなかったといいます。そのうちの一人が、武豊騎手です。

武豊騎手はサイレンススズカが香港国際カップに出走するにあたって、「乗せてほしい」と直訴したそうです。香港でのレースはやはりハイペースとなったことで5着に敗れましたが、このレースで武豊騎手の評価は「サイレンススズカは化け物だと思った」という最大級のものでした。

年が明けて4歳となったサイレンススズカは、武豊騎手とのコンビを継続し、オープン特別のバレンタインS(芝1800m)を逃げ切って圧勝。バレンタインの時期になるといつもサイレンススズカを思い出す・・・何でダートなんだよと言いたいですw
続いてGⅡ中山記念で重賞初制覇。道中はハイペースで後続馬もなし崩し的に脚を使ってバテる展開で、皐月賞馬イシノサンデーやスタミナ自慢のローゼンカバリーを完封しました。

ハイペースの逃げというスタイルが確立され、古馬となって精神的にも肉体的にも成長したサイレンススズカの快進撃が始まりました。


[快進撃、そして運命の天皇賞へ]

さらにGⅢ小倉大賞典(中京開催)で57.5キロを背負ってレコード勝ち。
続く金鯱賞には、4連勝中の菊花賞馬マチカネフクキタル、5連勝中のミッドナイトベット、4連勝中のタイキエルドラドが揃い、3連勝中のサイレンススズカと合わせて豪華な顔ぶれとなりました。
しかし、ふたをあけてみると想像をはるかに超える衝撃的な光景が展開されます。連勝馬同士の激しい争いによる名勝負ではなく、完全に「サイレンススズカの独壇場」として記憶されるレースとなりました。
道中から大きなリードを保って直線に入ったサイレンススズカは、何とさらに差を広げたのです!厳密には広がっていないのかもしれませんが、少なくとも画面越しではそう見えました。いや、わからんwようつべ等で簡単に見られるので、ぜひ皆さんの目で確認してみてください。
力差の大きい下のクラスのレースやスタミナが要求されるダート戦ならいざ知らず、芝の中距離重賞ではまずお目にかかれないような、とてつもない大差勝ちをやってのけたサイレンススズカの金鯱賞。この1戦だけでも伝説になったと言えるでしょう。


次にサイレンススズカが向かったのは春のグランプリ・宝塚記念です。武豊騎手が先約のあったエアグルーヴに騎乗することが決まっていたため、南井騎手がピンチヒッターで起用されました。
GⅠホースがズラリと並ぶ上、2200mという距離、テン乗り、と不安要素が多いと思われましたが、サイレンススズカはねじ伏せるようにして後続を封じ込め、GⅠ初制覇となりました。

金鯱賞と並んで伝説的レースとして語られるのが、秋初戦となった毎日王冠です。
前年の朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティステークス)まで4戦4勝。「怪物」と言われたグラスワンダーと、デビューから5戦5勝でNHKマイルカップを制したエルコンドルパサーの無敗馬2頭が参戦してきたのです。
グラスとエルコンドルはともに外国産馬でした。ディープインパクトやキングカメハメハ、ロードカナロアなどの産駒が勝ちまくり、ほとんど内国産馬で占められている現在の日本競馬と違って、当時の外国産馬は「マル外」と言われて猛威を振るっていました。また、ダービーなど、クラシックへの出走権が無かったことも「本当に強いのはダービー馬よりも外国産馬なのではないか」という見方を生み、日本の国民性とも相まって(要出典w)、脅威の存在と認識される向きがあったように思います。(円高という時代背景も、外国産馬の増加に影響を与えていたと思われます)
金鯱賞・宝塚記念も十分豪華メンバーでしたが、当時としては「夢の対決」とも思われた毎日王冠。GⅡでありながら13万人もの観客動員があったこと(2019年の日本ダービーが約11万人)からも、注目度の高さが感じていただけるかと思います。

「伝説の毎日王冠」はサイレンススズカが2着エルコンドルパサーに2馬身半の差をつけ、完勝に終わりました。当時をご存知でない方はぜひ動画で雰囲気を感じてもらいたいです。また、ご存知の方も久しぶりに見返してみてはいかがでしょうか。何度見ても鳥肌モノですね。
ちなみに、フジテレビの実況では青嶋アナが最後の直線で黙って見届けようとしています。
「さあ真っ向勝負・・・!!」
筆者は青嶋アナの実況は好きです。自分がのめり込むことで視聴者の興奮を表現してくれている。で、何より、度胸が凄いと思うw
「どこまで行っても逃げてやる!!」
その後に解説の吉田さんがボソッと「・・・すんごい」とつぶやいているように聞こえます。
うむ、これを書き上げたら、もう一度見返そう。


こうしてサイレンススズカは大本命として「運命の」天皇賞・秋を迎えます。


[天皇賞、夢の続き]

1998年11月1日。11レース第118回天皇賞・秋。
年明けから成績欄に6つ「1」を並べたサイレンススズカは、逃げ馬には絶好と言われる1枠1番に入りました。
外国産馬であったグラスワンダー、エルコンドルパサーは出走権利が無く、不在。前年の勝ち馬エアグルーヴはエリザベス女王杯に回り、もはや敵はなし。武豊騎手はオールカマー、ローズS、セントウルS、毎日王冠、京都新聞杯、デイリー杯&秋華賞と6週連続重賞制覇中。
どう考えてもサイレンススズカは勝つ。競馬ファンの興味は「どんな伝説的な勝ち方をするのか」に注がれました(要出典ですけど許してくださいw)。

好スタートからいつも通りのポールポジション。同じ逃げ馬のサイレントハンターはいましたが、楽に先頭に立つと、大きく離して逃げるサイレンススズカ。1000mの通貨は57秒4。毎日王冠は57秒7で「比較的ゆっくり行けた」のだから、もちろん彼にとっては許容範囲内だったはず。
大ケヤキを過ぎてさあここから最終コーナーへ・・・!




故障発生、競走中止。



大歓声は悲鳴に変わりました。

左前脚の手根骨粉砕骨折。

予後不良。

サイレンススズカが作るはずであった「伝説」は誰も見ることがありませんでした。

その夜、お酒に強い武豊騎手は生まれて初めて泥酔したそうです。
サイレンススズカは天皇賞を制することだけでなく、次に予定されていたジャパンC挑戦、アメリカ遠征、優秀な競走馬の最大の使命とも言える子孫を残すことさえもできませんでした。
後にディープインパクトが登場し、「サンデーサイレンスの最高傑作」と称され、そのことに異論はありませんが、まるでタイプが逆だったサイレンススズカのような競走馬も、ほぼ見ることがありません。

悪夢のような天皇賞で、サイレンススズカに見た夢は終わってしまったかのように思われました。

しかし、競馬は続いていきます。

毎日王冠でサイレンススズカに完敗したエルコンドルパサーはジャパンCを制し、翌年はヨーロッパに長期遠征。サンクルー大賞を制し、世界最高峰の凱旋門賞で激闘の末2着。「チャンピオンが2頭いた」と称されました。
グラスワンダーは有馬記念で復活し、翌年の宝塚記念、有馬記念を制してグランプリ3連覇を達成。
スペシャルウィークとグラスワンダーの2強対決に沸いた宝塚記念では、杉本清アナが「あなたの夢はスペシャルウィークかグラスワンダーか。私の夢はサイレンススズカです。」と語り、競馬ファンの気持ちを代弁しました。

そしてサイレンススズカの悪夢から1年後の天皇賞・秋。

勝ったのは武豊騎乗・スペシャルウィーク。

武豊騎手は「サイレンススズカが後押ししてくれました」と語りました。


彼に抱いた夢は、続いているのかもしれません。