名馬物語第3回は セイウンスカイ です。
[廃用種牡馬の産駒]
父シェリフズスター 母シスターミル(母の父ミルジョージ)
美浦・保田一隆厩舎 芦毛 牡
セイウンスカイの父、シェリフズスターはイギリスで走り、競走馬としてG1を2勝し、引退後は種牡馬として西山牧場にやって来ました。4年間で200頭余りの産駒を送り出したものの全く活躍馬を出すことができず、牧場の経営状況の関係もあり「廃用」となってしまいました。
残された仔の中から現れたのがセイウンスカイです。
セイウンスカイは新馬戦(芝1600m)で16頭立ての5番人気と、注目度は高くありませんでしたが、2着に1秒の差をつけ圧勝します。
続くジュニアC(芝2000m)でも11頭立ての3番人気でしたが、またまた5馬身差で圧勝。若手の徳吉孝士騎手とともにクラシックの登竜門、弥生賞に向かいます。
弥生賞は父ダンシングブレーヴ、母グッバイヘイロー(米G1 7勝)のキングヘイローが1番人気、父サンデーサイレンスできさらぎ賞勝ちのスペシャルウィークが2番人気となり、セイウンスカイはそれに次ぐ3番人気でした。レースはゴール寸前でスペシャルウィークに差されて2着に敗れましたが、クラシックの有力候補であったキングヘイローには先着し、さらに評価を上げました。
皐月賞に向かうことになったセイウンスカイですが、実績の無かった徳吉騎手は降板。横山典弘騎手に乗り替わりとなりました。勝負の世界である競馬では、時として非情とも思える決断が下されます。ジョッキーは悔しい経験を重ねて、自らの技術を磨き続け、信頼を勝ち取っていくしかありません。
当時の皐月賞は開催の週に内の仮柵が外され、「グリーンベルト」と呼ばれる馬場の荒れていないルートがインコースに出現していました。先行集団につけたセイウンスカイはこれを見事に生かし切り、追いすがるキングヘイロー、スペシャルウィークを抑えて優勝。クラシック第一冠を制しました。
「廃用となった父の仔が良血馬を尻目にクラシックを勝つ」というドラマが生まれました。
[ダービーから充実の秋へ]
皐月賞は2番人気に押されて制したものの、ダービーでは3番人気と人気を落とす形になりました。これは前述したグリーンベルトが皐月賞で有利に働いたとみられたこと、脚質や血統的にキングヘイロー・スペシャルウィークが東京の2400mで伸びしろがあるとみられたこと等が考えられます。
競馬好きで知られる明石家さんまさんはこのレースの予想が◎スペシャルウィーク〇キングヘイローで、杉本清さん、井崎脩五郎さんらと同じ印であったことについて「競馬のことを知っている人は絶対こうしている」と語っていました。
レースではデビュー3年目でダービー初騎乗の福永祐一&キングヘイローがハナに立つという意外な展開となり、ハイペースで進行。セイウンスカイは番手から進めますが、直線ではスペシャルウィークらに一気に交わされ、離れた4着に敗れてしまいます。
「3強」と呼ばれた98年クラシックは、スペシャルウィークが圧勝でダービーを制し、頂点に立ちました。
セイウンスカイは秋初戦に古馬との混合戦となる京都大賞典を選択しました。菊花賞のトライアルレースである京都新聞杯を選ばなかった理由は、セイウンスカイが抱える「ゲート入りの不安」があったためです。万が一、京都新聞杯でゲート再審査になった場合、一定期間出走が不可能となり、菊花賞に間に合わなくなることが考慮されたのです。
京都大賞典はメジロブライト、シルクジャスティスら強力なメンバーが揃っていましたが、横山典騎手が絶妙な逃げでこれらを完封。同日東京競馬場では毎日王冠が行われており、サイレンススズカとともに両メインレースが「逃げ切り」という結果でした。
菊花賞は、京都新聞杯でキングヘイローを下したスペシャルウィークが1番人気。セイウンスカイは2番人気に押されました。
スペシャルウィークはレース前半で引っ掛かる面があり、後方で折り合いに専念して構える形に。セイウンスカイは前半から単騎逃げで軽快にリードして進めます。スペシャルウィークは折り合いはついたものの、今度は勝負所での反応が悪くなり、4コーナーで離した距離は、気分よく進めたセイウンスカイにとってセーフティリードでした。
3000mの菊花賞で逃げ切りという結果は何と38年ぶり。さらにレコードタイムのおまけまでつけ、セイウンスカイは二冠馬となりました。
後の「武豊TV」でこのレースが回顧され、武豊騎手は「引っ掛かるのを恐れて抜きすぎた」「失敗作」とし、横山典騎手は「豊が失敗してくれたから勝てた」と振り返っていました。
[雑草二冠馬の戦い]
セイウンスカイは有馬記念に駒を進めますがグラスワンダー、メジロブライト、ステイゴールドに次ぐ4着。
休養明けの日経賞を快勝しますが、春の天皇賞では菊花賞での反省を活かしたスペシャルウィークに早めに来られて3着。武豊TVの中で横山典騎手は「同じ失敗はしてくれない」と振り返りました。
札幌記念では逃げ・先行にこだわらない形のレースを選択し、見事に「差し切り勝ち」。
1番人気に押された天皇賞・秋ではゲート難が顔を出し、5着に敗れます。しかし一瞬の切れ味ではなく長く脚を使うセイウンスカイにとって、2000mのレコード決着の競馬で0.5差の5着ならば、地力を証明しているとも思います。
ところがこの後、セイウンスカイは屈腱炎になってしまいます。
屈腱炎は完治が難しく、復帰しても競走能力に大きく影響してしまうことが多く競走馬の「不治の病」とも言われます。
セイウンスカイを何とかもう一度、ターフに
この思いから1年半もの長期休養を経て、天皇賞・春で復帰します。結果は大差の最下位となりましたが、無事、G1の舞台でハナを切る姿をファンに見せてくれました。
宝塚記念への出走も目指されましたが、脚部に不安が出たためそのまま引退となりました。
[引退後]
種牡馬となったセイウンスカイには廃用となった父の分まで期待されましたが、目立った活躍馬を送り出すことができませんでした。
セイウンスカイの馬主である西山氏は、自家生産のG1ホースであるニシノフラワーにも一度だけセイウンスカイを配合しています。ニシノフラワーに配合した種牡馬はブライアンズタイム(2度)、ラムタラ、ダンシングブレーヴ、タイキシャトル、パントレセレブル、アグネスタキオン(2度)。どれも超のつく名馬です。その中で実績もないセイウンスカイは明らかに見劣りますが、夢を追いかけて種付けされたことがうかがえます。
結果、ニシノミライと名付けられた牝馬は残念ながら未勝利のまま引退。本当に勝負の世界は厳しいです。
しかし繫殖牝馬となったニシノミライの仔は勝利を挙げます。さらに初仔のニシノヒナギクは未勝利で引退したものの、繫殖牝馬としてニシノデイジーを産んでいます。
セイウンスカイのひ孫が札幌2歳S、東スポ杯を連勝。クラシックにも出走し、ダービーでは5着に頑張りました。菊花賞ではルメール人気もあったでしょうが、2番人気に押されました。まだ現役のニシノデイジーには頑張ってもらいたいものです。
「ブラッドスポーツ」と呼ばれる競馬は、優れたエリートのみが勝ち残っていく構図が基本的にはありますが、その中で生まれる血のドラマにも注目すると、また一歩深く競馬を楽しめると思います。