情報に必ず大嘘が盛り込まれている。
やられてるほうしかわからないものには全部。
事実なんて、だんだん
隠れ犯側の 実際の作り事、強制事、目くらましごとくらいしかなくなった。
どうも、洗脳されている人の、気付かない化が 激しくなってきた。
直に、私ターゲットに危害を加えてくる人は、
自分で自分を悪いとも何とも思わないらしい。
ほんらい、悪いことをしたら謝らなきゃならないはず
というのが、古いとでも言いたいのだろうか。
見ていると 隠れ犯側は、彼ら彼女らに、
大事なことを理解をしておく時間を1秒と待たずに奪い去るし、
本質的に間違ったこと、悪かった事に対して謝るという概念ごと奪ってある
そればかりか 逆に
「悪いと感じて謝ることが、悪い」くらいに、仰天つきぬけ解釈が浸透している。
隠れ犯側から、基本道徳に 忌避感情を植えつけてきた洗脳あっての
催眠術行動と、その強烈化だったようだ・・・
歴年のもがきから、これが私に 大事な場面で必ず起こされてきたこと
だと わかった。
人々が、物事を中身・本質で考えなくなった一因でもありそう。
民にとうぜんだった人間の道徳心がおかしくなっては、
悪いことをやってる隠れ犯の存在など、認識できるわけもない。
学校の道徳の授業は何年か閉ざされていたところ、民衆概念が相当ひねられてきてから蓋を開けた。
裏返った道徳心 の陪審員に 隠れ犯仕様の表現力きつい偽証拠
さらに、もしかして、知ってて騙し悪用する人まで?
自分にはまさかの関係のない場所に、
むりやり運ばせようとする隠れ犯側の意図の せかし方は、露骨。
私が今いる(置かれた)所は、あとで知らされるに、昔は射撃(訓練)の的。
隠れ犯側の予告通りであり、
もうずっとやってこられてもきた。
筆舌に尽くしがたいことが次々。
筆舌にのぼせれない多岐の改竄受けて、
痛苦、嗚咽泣き叫びごとあたりまえになってる。
隠れ犯の存在を打ち消し、逆解釈されるくらいなら、
なにもわかってくれないほうがまだましということなんだろう、個人的には。
道徳的当然が分かってくださる方も貴重になってきたけど、まだ何とかいらっしゃる。
分かる人で分かる人を、内容で支えあってほしいもの。