シャープペンシル、シャーペンが出てきたころ
1970年代なかばですね。
なんか、もう使ってるスペイン経験のおねえさん、
オシャレでした😄 でも、
「鉛筆のほうがいいんでしょうけどね、使っちゃッてる」
なんて、謙遜おしゃれ 🤍
小学校入るときに用意してくれてた鉛筆削りは、手動、
つまみで開けて鉛筆を通しジャカジャカジャカと、回して
削れていくのをイメージし、抵抗なくなってきたら、できあがり。
まあまあ風流。
しかし、友達の家にあるの等はどういうわけか、みんな電動式。
最初に、あの音に驚く。ただまっすぐ差し込むだけで いきなり
ッゴオォーーージョジョジョ
どうもいまいち加減が?でも速くて へぇ
高学年になると小刀で鉛筆を削ってみて と勧められます。
家には肥後の神 という、おあつらえ向きの小刀あって
それを借りて愛用、
家を離れると、カッターナイフだけに。
シャーペンはボチボチ。
話が鉛筆の削りカスくらい細かくなりました。
そろそろ、言うことが 、、、
小学校など先生が、意味ありげに強調することって、
印象に残るものです。
今は、それで謎解き でもするがごとく になっちゃってます。
物は物でも、道具 というのは、
価値がとても高く意味が深まります。
市販の価値より、たいてい、
個々人にとって大きな存在意義が出てきます。
由来もあり人と共にあるので、彷彿とするのも多いです。
が、ことごとく で、またそれで生み出した作品もことごとく。
このような価値の大きさは、その人 本人にしかわかりません。
けっこう、価値を余すことなく見いだしたい私にとって、
全ての私物の存在意義は 計り知れないくらい高いものでした😢
さて、話を戻すように、鉛筆の前の 筆。
小学校にあがるころ、墨汁が市販され始めたらしいのですが
それは購入していなかったと思います。
小学校の中学年で、かなり良い墨と硯を買ってもらったのが
嬉しかったです。
墨をするのはなかなか根気がいる作業です。
学校の先生が、
「字を書くまでに
こうやって丹念に時間をかけることを覚えておいてね」
まさに、墨を硯に押し付けて回している間におっしゃいます。
子供の頃はその意味がまだそんなにわからないだろうとの
ニュアンスも。
精神統一ってことだよな って、内心、思いながらそう聞いたので
まだ何か?と、意味深でした。
で、歳とった昨日今日、気づいたことがあります。
教科書の黒塗りというのは、
戦意高揚を妨げるものを見せないようにと、
その部分を黒く塗りつぶした事を、言います。
(現在、ムリクリ反対にされて洗脳されているようですが💧)
墨を硯ですって準備する大切さを教わった2,3年後、
黒塗りのことを習いますが、黒塗りの標準的なところを3冊 開いた
写真を確認させられた、そのときもやはり意味深な口調で
「それ(写真)をよく覚えておいてください」
先生も児童も無言でした。
はっきり覚えています。1行も余すことなく、全部に近いもので、
意味をなして残ってる言葉すらありません。
これでは、無学にするようなものです。
母は、戦争になるときの、その黒塗り教科書のことを
見て知っていました。
さらには、教科書の中身が ほぼ真っ黒 なわけです。
教育に力を入れようとした全国の教科書にそれが急に起こる⋯
薄墨では文字は見えるので、濃い墨が大量に必要に。
でも、(1974年頃)以前は
大量の墨汁液(工業製品)は存在していおらず、
世に出てきたばかりだということも、
ひっかかりあるように別の先生から聞いていました。
つながりました。
それだけの墨を大量に塗れば、乾くのも遅い、
けど、重なって付着したような形跡はまったく無し。
複数の先生の意味深、含蓄が、
やっとつながりました。
戦前の、原子自動改竄の1つで、まちがいありません。
* * *
日本は、[制度]があっては絶対いけない!
もう[悪政]はダメ! 急いで慌てず ; みんな読んでください💦
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