予告に、プラスチックフィルムの切れ込みを裂くこと があります。
現在は、この例えが通用しない物(商品)が大半なのですが(私だけ?)、
いっときは、いったん切れ込みが入ると力などいれずとも、サーーと、どこまでも切れていってしまう包装ものが多かったように思います。今でもあるとすれば、カップ麺に張られている透明フィルムでしょうか。
以前のブログでも取り上げましたが、本来、憲法九条は、基本的人権など主要なこと(主文)を守るべく言わずもがな戦争の放棄の位置づけ
そこに銃を持つ人を画面に登場させ、既成事実化させてから、
〇隊だめじゃないかを言わす前に一転、
さっさと、解釈のこじつけ案 が出てきたところで、切り入れ完了。
(自衛隊は救助隊に名称変更してくださいとここで提案いたしております・・)
(犯罪勝利のための) 逆向の進め方は、国民に手も口も出させない。
あとはどんどん、同じやり方でついに、逆憲法世界に。
・・・今、そのやり方を止めないで、いつ止めるか でございます。
どの施策、制定事項みても、一見何やっているかわからない、国力奪うトロイの木馬ものでした。
片っ端から、廃止の必要があります。
絵などやる方は、練習、模索中に
精魂込めて頑張ったものも、思い切って大幅に消さなくてはならないことが生じることがあります。
光る画面上は、それ(リセット的なこと)はあっさりできますが、それでも結構、勇気と忍耐を要します。
ただ当然ながら、明らかに消す、止めるメリットがあると兼ね合いわかるものに限ります。
この見極めが一番大事です。それが本当の改革です。
こういうのは、原点からやってみることが要求されてない、社会の殆どの方にとって、
不可能のようにすら感じるでしょうけれど、急がば回れではないでしょうか?
まず、原点と現状を守るための、原点戻しです。
たいへんかもしれませんが、
苦しめ、悪化させるだけの犯罪施策を
インボイスなど、手前から取り下げさせてください。
喘ぎながら日本が海に沈み、さらに人命を失くしあう前でも、
もう始めたらよいのではないですか?
大地震、コロナが始まったときに、たまたま(ではないのでしょうが)首相を勤めていたからといって、「人気」落としても仕方がない。
国民に意見を募って犯罪事に向かされるのを見直したり、(K氏)
世界とうまくやれる可能性がある才に対して、(A氏)
地球や人間のせいにしてある災害事が、政治中枢への視点を逸らせました。
ところが、見るからに人も機関も催眠術のかかった悪政状態のタイミングでは、
もう意味が違うのですね。
不満があるからと、メディア経由に まと(的)を差し出されたら、
ときの事情、真実の中身など度外視してしまわせ
ハナから想定してある機をみて、ことを起こさせられてきたと思います。
・・・主語、とき、経緯、位置など条件、手段、方向・・・
そういった、全体の流れと、とりあげられないものも含めた事情で言わさずに、
しかも真逆の結びつきにした(事実を取りかえる言葉の意味にした)
一問一答しかさせない・・・。
こういう社会の流れのとりかたは、
私が目前にした、何人もの催眠術のかかり方に、なにか酷似しています。
私のように簡単に潰されないよう、誰かがやる ではない
賢実で能動的な国民のありかたを、知ってもらい示していく方法はないものでしょうか。
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