私半世紀でみた昔からの日本人の特徴といえば、良くも悪くも
・あいまい(論理的や合理的でなくても気にならないらしい)
・形式や見た目に重点
・きまりやツルの一声にとにかく従う、上下の立場にこだわる
いきなり話がそれるけれど、
1978年頃の当時、海外から日本に来た時の印象は、皆、髪が黒いということ。
私の旧友(アメリカ戻り)が、こちらで紹介した留学生と私を見比べて、
私の髪と目の色が、黒っいっ! と、衝撃言っていたのに、彼女はその留学生と会っていたことを覚えていない。。。
でも私も、集団になっている様子が多い日本の子供や大人を運動場や階段の上から見て、
一様に(頭が)黒い・・・と、異様に近いくらいの印象を受けている。
現在は髪を染めるなどは、フリョーでなくとも当たり前。
いっときは、おっ髪の色が・・と思って顔を覗き込むと、ザ! 日本人! にウヘッてなったが、
今はすっかり、 ん?ちょっと頭の形や体形が・・と確認したら
高確率で外国人ルーツのかた(勝手にそんなことヤッテタンカイ)
だし、日本人でも似合う髪色感覚できたか、金髪でも違和感が薄れてきた。
外来語は、日本語だ。
日本語にはどうしても無い言葉をあてはめて、日本語内で使う意味を確認したうえで使う。
だからカタカナ読みで正しいけど、それにチョッピリおかしみを感じる年代も少なくなったようだ。
外来語が絶滅危惧種になってるかも。
漢字の送り仮名や数も、メディア出しや漢字変換のありようで、なし崩しに。
日本語の責任者がいたとしても、改竄で辞書まで変わってしまったら、口も出せなくなる。
日本語、標準語というのが、日本という建物を、いっきに表さなくなった
と、どうも気にかかるのだ。
悪は、偏見が好物。
だれもが共通認識に戻れていた頃から、急速に地盤を揺るがされて触覚を失って右往左往する人々が急増してきてはいる。(そんな人ばかりではないけど)
上記は、ほんの一例、
見通しができない(実際には判断ができない状況)にいる人が、自信を持って威張ることにこだわりだすので、ちゃっちゃともりこまれた偏見が威力を増す。
国力は、憲法もそうだけど、人の判断力の精度を高める基盤である国の語は影響するはず。
世界的に交流するのは、お互いの言語が体系を持っているから、その違い等がおもしろいのであって、別に日本語をひとまず覚えやすいように解体してしまう必要はなかったと思ってたけど。
なにも、日本人より合理的に考えれる(本当はレルデイイノヨン)人の手間を省いてあげようとするのが合理的ではないし
日本語が覚えにくい、習得しにくい というのは、楽しいグチであるか、
日本の特色、注目事にすぎないのだから。
でも、どうやら今更なこと。
冗談が通じると思って、日本語をくずしてしまった張本人でもあるんだよな、私。
そして、予告側はどうも、こういったことも意図的に「やって」いる。あれとあれで。
今、もともとの日本語が一番できるのは、意識して日本語を習った外国人である。どうやら。
私も国際結婚したかったな
ご近所さんに国際結婚して日本にやってきて
こーんな田舎で暮らし子育て
子供は金髪で青い目
苛めっ子に虐められてるのをジッちゃんが成敗してた
見た目だけで虐められる子を見て
日本は私には狭いって思ったっけな~(笑)
話しが意味不明だね。
日本に10年居ると日本語ってペラペラになるよね
私の歳でアメリカに行ったとして果たして英語がペラペラになるだろうか?
多分・・・死ぬまで ノーしか言えないかも( *´艸`)
悪質ないじめは憲法違反で犯罪さ。日本人の恥。バカの骨頂でもある。
狭いという表現、なんとなくわかりますよ。
私たちの年代って、英語は遠かったよね。
私は特に、どうもペラペラとかになれそうになく・・・元来、国語の教科は得意だったけど、なんか、喋るのはどうも日本語すら自信なくて
・・・なんとかいけるときと、できないときの差も激しく・・・最近はつい、例の要因がありゃせぬかと😅
能力的には必要あらば身につく・・らしい・・・?