言われたかないけど、言われたことあるのが、頑固。
ただ、反論させてもらうと、これも相対的なことで、自分が受け入れさせるものと頑固に思い込んでいるから、違っていると相手が頑固に映るというものでもあります。
「(強い)意志」と「頑固」は似ています。
しかし同じ名詞も、「頑固」はどこか形容詞的で動詞的でもありますね。
私は5人家族でしたが、それぞれが互いに頑固。
それぞれ、芯の立て方がかなり違います。・・・違ってきました。
頑固に遠慮してきた私は、もう遠慮のしようのない崖っぷちに立たされ、より頑固者に扱われることになっていて、さらに一癖というところですが・・・。
「心が折れる」も、実は私が2010年までに心で感じ呟いたこと、折れなかった部分は折れないように手を尽くそうとしても次はねじ切りにきていて、自分のありようを無きものにしてもいいやくらいになったら、今度待っていたのはとんでもない逆さまばかりの押し付けが、、さらに露骨に。
今や、改竄とは言えない様子が残っていたら奇跡だ~ だけど、もはやそれもほんの少し進行止まったか、人目が気にされた状態のみ。
・・・
いっけん、強いもの、長いものに巻かれていくのは、頑固ではないように見えるけれど、実はそのありようこそがとんでもない頑固です。
頑固で厄介なのが、ご自分に理が無いとき。
上(今では、社会制度的なものや、あたかも正しい権威と見せかけた扇動誘導情報など)に踊らされていく頑固を備えた人は、やっぱり少なくなかったようです。
私のいたところで、会議とするものになんの会議の機能がなくても気にならない人ばかりでなく、会議にはしないお約束ありきくらいになっていたのも、今世紀に入る前。
会議の調整はどうなってるの?って、一部の示し合わせか、改竄のはいる記録物だったのね。
(ただ、私の場合、狭い世界だったので、なんとか会議結論として導くことができたと思って、あとを譲ってちゃんと声をかけて締め切り時間の業務にまわったら、とんでもないでっちあげで逆にやられてしまったから、まあなにせ、努力しても潰ししか待ってない世なのかとも・・・。)
そんな状況で、リモートにすると、より改竄がウェイトを占めても、画像も議事録もあとで改竄されたら、もし顔を突き合わせていたらできていた「あれは?」の確認も入る余地を与えないはず。
改竄は、とある公示直前にも入っていました。
重要なものほど訂正が入らず、それにつじつまを合わせる流れを作られる・・。
気付けば嘘の埋め込みばかりで、理にあわない事ばかりか、悪を強制してくる現在の社会の流れ。
何でも勝手できるうえに、改竄主導の世にしてきた側の、責任の無い予告通りになるのは、当然のこと。
せめて、悪に染まるほうへの頑固にはなりたくないのです。
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