自分の身は法に守ってもらうんだ。と、小学生のそのときは、心強かった。
ただ、自分の成果を楽しむにはわざわざ法にばかり取り組む気にはならなかった。それを言ってしまえば他の職業も然りだったのかもしれないけど。
日本国憲法(最高法規)を超える必要はまったく無い=それに従っていればよいのは、習ったとき(法改竄が起こるとわかる前)に自明の理だった。
法でも施策でも、執行するされる側に明確でなくてはならないから、そう簡単に法の数、膨大に増やされても困るし、その法が違憲でないかを見直すことを絶対にやらなくてはならず、すべての人に曖昧や例外が無いか、確認を通すべきだし、意思表示の権利がすべての人に例外なくあるべき。
重要なことほど、あってもどこかのメディアでシレっとぴろっと、やるんだって~程度で、
日常忙しくて当たり前の人がスムーズに公示に触れて改竄チェックできるかというと、そうもいかないし、悪法の存在などに言及する場にあずかれるわけでもない。(万事に言えるけど。)
法にしたって、個人で確認してもおよそ改竄ものしか触れられないことになっていたのだろう、ピックアップして1つのまとまった文章を試みに読んだとき、
「~は、これに限らない」ばかりで明快に、結局何も規制していないオモシロ 法だった。
これだったら邪魔なくらい(でも時間の無駄)でまだよいほう。
ちなみに
あたかもいかめしい難解的文への改竄創作も、へべれけひん曲げ文への入れ替えも、抜き取りも、あたかも筆跡真似たかの本人が別物と判断できるものも、読んでみりゃ元と真逆も、
改竄者には視点範囲などと併せた一発芸の現状だ。
その結果、事実上、違憲・悪法こそが法だと、いきまかれている。
これを国家と言えるだろうか?
さて、前のブログ記事でも触れたけど、憲法の主文を、改竄で第_条に貶めたのは、記憶力ある一定昔の方ならおわかりのはず。
(このあいだ、「法をやった・・・憲法に主文?そんなのない・・」とあるおかた、やはり、とんでもない覚え違えさせに摩りかわっていたことが判明した・・・)
昔テレビで、
裁判官(役の人 ってことだろうか・・・裁判のことは映像に示さない ということであったから)が、「判決文」というところを間違えて「主文」と言ってみせたところを見(せられ)た。
うわ、気持ち悪い、日本国憲法の特徴の「主文」を、言い間違いに持ち出させるとは!
(と、衝撃を受けたのを覚えている)
最悪にも その後急速に、言い間違いのほう(裁判官口上)にシレっと移行され、
本元の日本国憲法の主文は、抜き盗られ、改竄に結び付けられてしまったわけだ。
日本語が成り立ちのところから大荒れしていて、結構律儀に覚えた私としては、うーん、だけど、自分で納得して使用するものが別に誤りと思われようが、もはや構わないところ、(改竄入って明確に正すことも無理だし)
憲法改竄を人目ごまかしつつ音もたてずにやってしまわれてたことは、深刻なことだ。
なんとか、60歳台半ばから上の方に、構成や正確な文を思い出しあってもらえないものだろうか。
となると、またやられが出るのか・・・。でもでも!
裁判や国会に関していえば、手書きの記録者が4人とかいたことだ。
位置取りもしっかり根拠がある。
こんなに改竄が当たりまえになる前ですら、
(あ、全員というわけではなく、とくに肝腎な方々には違うわけだけど)
そのような方式に定めていたのは、それ(記録者が現場にいること=記録のしかたに、not only速記の高等技術があったらしい)が一番堅実なやり方で、とても良い事だと、私は思えた。
音の、一拾い方だけでは、伝わらない真意情報や流れというものがある。それを受け取りながら、記録を起こしている人の記憶も作られる。
人を介すということは、それだけ一部一定音だけでは伝わらない情報量が残る。
また、流れとは違う印象音(言葉)や場面 を聞かす(見せる)ことで誤解を発生させること(卑怯に言質をとってくるような異質物がクローズアップされるようなこと)も極力なくなるわけで、私としても、とても良いやり方だと思った。
私の小学生低学年から高学年までには、写真や映像の改竄現象をもう、チェックできていたこともあったので、そのへんの心配も緩和されると、感じていたこととも思う。
改竄が既にその頃あったのと同様、人間界に存在する通信技術的なところも戦後から特に上がったわけではないと推測する。
(特許は勿論、さっさと月に行ったのも、別に最高の技術の現れとは限らない。)
商品的な提供のされ方が変わり、昔のは後でわざと質を落とした見せ方をしてみせることで、どんどん進歩してきたかの印象を持たされようとしていたのが不自然だった。
あと、いかにも改竄(作り変え)しやすくなったようなのは、気持ちの良いものではないけれど、利用者には事故的なものによる全面やりなおしを省略したり、方法を提供する意味では利点、利用幅もある。
結局、物ごと構造物ごとすりかえてしまう方法が犯罪首謀者の主流だから、
紛らわしい犯罪呼び込み懸念は残る・・・。
また、やり方を偽った紛らわしい残し方につなげられる。
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日本国憲法は、良い方向における自由を保障するもの。
勤労の定義は、べつに
お金を稼ぐ、時間のみに白黒つけて拘束される、不合理を我慢する、滅私する、やたら他者の評価を得る
ことなどではない。
「勤労の義務」とは言いながら、
「生きる権利」(人や社会に貢献する活動をする,報酬を得る)とも、
そこは、指針(基本的人権)に則(のっと)った解釈ができる。
(当然、指針に反する解釈は許していない。)
戦争の放棄はことさら念を押すことだから・・で九条を有名にしようとされたわけで、
まさかに逆解釈で歪めていこうなどの案件盛り込みと、物知り顔でつながれた日にゃあ
だった。
催眠術さえなければ、もっと、人が人であることを戻していけたろうけど、
でも、現状(改竄や催眠術の存在)を知ると知らぬとでは、ずいぶん変わるはずと
まだ、こうしている。
お人よしが損する国 じゃぱーん
政治家は子孫ソンソンまで政治家
後進国になった日本
どうなるんだろうな~