変わってしまったところが、また前の記事にありました。
私が見れるものと各々方がご覧になることが一致しているわけでもなさそうで⋯そこは非常に感知難しく、でも
なかなかお目にかけられない、誤解に持ちこまれやすい
変えられた(改ざん発生の箇所の)事 こそが
元々が重要情報である のも明白なので、
気になる2つの部分に焦点をあてる記事とします。
1つは、法など 強制力を持つものについて
公明正大で永続的に理にかなっている内容にして
まず、すべての主権国民が承認していて
明確な開始 公示方法がとられていることが必要です。
極限までの自由を認める最高法規に無い国の法については
とうぜん制限法は作ってはいけません。
必要になってきていた保護、安全の強化推進の法は、それを嫌がる(攻撃している)側から穿ちごとや、かってな悪用に塗りかえられるという想像だにせぬ悪だくみ に利用されるから、
さらに、国の法は、作らない、改変しない方針になったのに、
物や機構や人が攻撃されたことで逆走方向に転じたのです。
1978年以降の 国の法の改変の振りかざしは、内容的には違憲行為
すなわち重罪にあたります。
もとより
足並みそろって
公明正大に
万人(すべての国民)に認められていなければ、
法の資格を持っていないからでもあります。
昨今の私にかかることにしても、
たとえ私個人の分には 力及ばずとも
悪い変えごとは、ぜったい波及させないように
いを正して進言、国民拒否も済ませております。
こちらにも持ち込みません。
国民の可能性を狭める悪変は、この国民から認めない。
地道に根を張りなおすしかないかもしれません。
まるごと反転を受けるから。
三権分立での 立法、司法 は 現状、機能が認められないため
各国民に、とんでもない重責がかけられているのです。
少なくとも、
勝手に変えられた方式を為政者とともに撤廃するなど、
必要不可欠を回避にしてしまわぬよう
願っちゃ?
2つめは、西南(せいなん)戦争 のこと。
最初に習ったのは、
「戦(いくさ)」等と、「戦争」はまったく別の意味として
区別される
ということです。
日本において初めて「戦争」と名付けられたのは、
この 西南戦争のはず。
何がイクサや事変と違うか⋯
武器ではありません。
国外が敵になることでもありません。
それどころか
国内、しかも新政府で手をとりあってきて、
その後も協力を約した間柄の
仲間内の、相討ちです。
西郷隆盛 など 死に追い詰められるに至った特徴は、
それぞれ情報が違えられていって泥沼化 した実態にあります。
もう、音にされず忍び寄ってきている
各所 相討ちになりやすい現代社会と
何の違いがありましょうや。
しかも、規模の、さらに規模違いに巨大化急激化している危険。
現代のこの 多くが気付けない、 高度 改ざん物 主導社会
の問題の発端は、遅くとも西南戦争にあった
と、前の記事に書いておりました。
ちなみに、巨大地震は関東大震災が有史上初とも。
私が地震について習ったことで、地震ではない経験に関連をもつことがわかっており、自然由来の地震とは明確に区別しうる事柄があります。
結局また、改ざん受けそうな記事になってしまいましたか😥
* * *
あらためて 最高法規の日本国憲法は、あなた自身の ふるさと として
ぜったい制度を存在させてはいけない! 制度というのは
納税は 国民の発言の立場 確保のため 税金は 憲法国家の財源ではない
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を
見極め、証明したものです。改竄とは非常に重い言葉です。
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