2日目
世界遺産タージマハル のあるアグラへ列車で向かいます
早朝にガイドさんのお迎えで駅に向かいます。
・・・がガイドさんが時間通りにいらっしゃらず
だいぶ遅れてやってきたガイドさんは、乗ってきた原付バイクをホテルにほっぽり捨て、バタバタと出発しました。あれはインド風なのか、単なる寝坊なのか、、、いまだ解らず
駅に到着。小走りで急いで列車に乗り込みました
切符の変更などせず、すんなり乗ったので、電車には間に合ったようです。
(↓ブレてますが)駅
特急の「朝食付きの指定席」。周りのインド人はステイタスが高そうな方々。しかし日本の特急に比べると、設備はだいぶ古かったです。
↓ホテルからの朝食(ガイドさんがフロントから大慌てで渡されてた袋)
↓列車の朝食(形と原材料に疑問あり)
結局、一口どれも味見をしてみましたが、ゆで卵半分、バナナ、パンを少々いただきました。
バナナは万国共通安心して食べられる最強フードだと再認識しました
↓インドの車窓から
英語で書かれている新聞はカラフルで読みやすそう
↑
アグラ駅に到着です
↓↓ 貨物列車が奥に走っています 床は綺麗で座っている人もいました
↓ パパ&娘
駅を出ると、芸能人の警察署前での会見のように 出口に人が待ち構えていて取り囲まれました
何事かと思い驚きましたが、ガイドさん曰く、自分の車に乗って観光しないか?という客引きとのことでした。
ガイドさんについていき、車に乗り込みます。
途中で、日本人のお兄さんが乗るオートリクシャー(日本語の人力車が語源)が止まり、日本語のヘルプ要請。我が家を案内してくれているガイドさんは日本語が話せることで名が知られているようです
おお〜お兄ちゃんやるね〜と思ったり、日本人を狙おうと思えば狙えるってこと?
と想像力豊かなママは思ってしまったり、、、オートリクシャーに乗っていたお兄さんと笑顔で軽く会釈。これもまた楽しい
↓牛
↓牛
↓ 荷物を運ぶ動物
↓ ガソリンスタンド
世界遺産 ファティプールシクリ「勝利の都」
1571年、世継ぎの誕生を機に、首都をこの地に移転させたムガル帝国第3代皇帝アクバル。広大な土地を城壁で囲み、その中央の丘に、壮麗な宮廷やモスクを赤砂岩で築きました。水不足が原因でわずか14年で立ち去ることとなる(帝国の財政が傾いた訳ではない)。壮大な都城の遺跡がそれほど痛まないで残っています。アクバルの理念であるヒンズーとイスラムの文化的融合が見られます。インドを広く統治するために他勢力との融和を目指しました。
車で城壁を超えます
急に綺麗〜 雑踏のストレスから解放されたのかホッとしました。ですが日差し直撃
ここが建築史上重要視されるのは、イスラム様式のアーチやドームばかりを多用せず、インド古来の建築様式や技法が反映されている点にあります。傾斜した屋根やひさしなどに、仏教やヒンズー教の寺院などにあった木造建築の木組みを石で表現した技法が見られます
ディーワーネ・カース
玉座が置かれていて、世界から訪れる貴賓や賢人を迎えた場所。
↑ 扇状の装飾が施された柱 重厚感があります皇帝は上から見降ろしたそうです。
↓高台なのがわかります
パンチ・マハル(五層閣)
↓建物前の中庭に方眼が刻まれており、ここでハーレムの女性たちを駒に見立てたチェスを、皇帝が上から眺めながら遊びました。女性たちが展望や涼を取るためにも使ったそうです。ふ〜ん
↓池付きの寝室(だったと思う)
中は床が濡れていました。水がどうだとか、高くなっていて涼しかったとか、詳しくガイドさんが言ってくれましたが、忘れました
アクバル皇帝は、第一夫人がヒンズー教、第二夫人がイスラム教、第三夫人がキリスト教(イギリス人)。。
柱などに彫られた模様で、宗教の融合が見られます。
どれがどれだかわからなくなりましたが
↓ 宗教の関係で(偶像崇拝の否定だったと思う)、鳥の頭が潰されています。
宗教についてもっと学びたいと思いました
装飾は、ママは、細かい方が好きです作り手の熱い思いを感じます。
↓ 赤砂岩が厳かで素晴らしいですが、見た目は暑さを倍増させます〜
↓壁が明るいと、ホッとします
↓最後に見かけた大きなモスク。近くは行きませんでしたが、観光ではない
雰囲気が漂ってました
再び車に乗り込み、
ターリー(大皿定食)の昼食。これだけあればどれか、お口に合うものがあると信じて一応トライ。。。。。。
インドの食事にはマサラ文化があります。日本で醤油と味噌があるように、植物の実、種、根から作られた香辛料を、食べ物のほとんどに使います。マサラ抜きは考えられないとか。
いよいよ、
世界遺産 タージマハルへ
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが熱愛した妃、ムムターズ・マハルのお墓。
ムガル帝国の国力を傾けるほどの天文学的な費用と22年という歳月をかけて1653年完成しました。
正面の門から入ります
タージマハルが見えてきました〜
おお〜
すごく綺麗です均整が取れていて美しいどの角度から見ても均整がとれている形はイスラム建築の粋なところだとか。4本の塔は倒れて傷つかないように。外側に傾いているそうです。
↓とりあえず、ママ持つ
娘、つまむ(ママ撮影、若干持ててない)
パパのピンクが、空の水色と、タージマハルの白と、水路のグリーンとに
あっています。娘はあまりに短パンだったので宗教色満載のツアーだと思ったので
レギンスを履かせてきました。
ママの白は、後ろに居る恰幅の良い方々の白と同じ感じです(恰幅の良さも)
しかしここも、外の喧騒と違いすぎで、これはなんなんだとママは思ったのです。
ガイドさんと話す娘。白い大理石と細かい装飾が圧巻です
鮮やかな色のサリーを着ている女性。どの方のサリーも発色が良くてとても素敵でした中には、しっかりとした生地でアースカラーなサリーもあり、高級品なのかなと思いました。
↑ 裏にはヤムナー川があります。
皇帝は川の対岸に、黒の大理石で自分の墓を建てて、橋で結ぶ事を計画していました。イスラムの教えから妃とともに楽園へいく事を夢見たのでしょうが、現実は自分の息子に幽閉され、死後はタージ・マハル内の妃の棺の横に葬られました。実際、建物の中に入りましたが、棺がありました。白(タージマハル)がこれだけ綺麗なので、黒との対も見てみたかったです。幽閉先は後ほど訪れます。
↓裏側も綺麗 足元は不織布でできたカバーを靴の上から履かせられました。
タージマハルを後にして、幽閉先の
アグラ城へ
アグラ城へ向かう途中、少年に馬車に乗らないかと誘われたらしく、ガイドさんに「乗る?」と聞かれ、乗って移動しました。ガタゴトガタゴト颯爽と楽しかったです。ありがとう!こういうの好き
アグラ城
1565年アクバル帝により、ヤムナー川に沿って建てられました。タージマハルを建築した第5代皇帝シャージャハーンは自分の三男アウラングゼーブによって皇帝の座から引き降ろされ、ここに幽閉されました。シャージャハーンは建築狂でムガル帝国の国力を傾けてしまいました。
一般謁見の間はシャージャハーンが造りましたが、王座後部の壁面には色とりどりの宝石がはめ込まれていたそうです。
でたな!赤砂土 暑さに負けず頑張るぞ
↓ガイドさん「行っくよ〜」といった感じ。暑さと雑踏にやられ速度の落ちる我が家
↓ここでも木造建築を思わせる石の技法。
アクバル帝が建築しただけあり宗教の混合が見られるそうです。
↓ヤムナー河を見晴らす眺めが印象的。タージマハルが遠くに見えます。
幽閉され、タージマハルを眺めていた「囚われの塔」。
シャージャハーンは対岸の「黒いタージ」を思い浮かべながら、8年後1666年に74歳で息を引き取ったそうです。
↓シャージャハーンが造った空間だと一目でわかる、美しい装飾の部屋。
赤砂土と違い、暑さが吹っ飛び、体が喜んでいるのがわかります。
シャージャハーン、当時息子には「親父しょーもねーなー」と言われていたのが目に浮かびますしかし、そのどこまでも熱く強い思いのおかげで、現世にまで届いていて、美しさに感動させてもらっていますと、シャージャハーンに伝えたい
車でデリーに戻ります。行きは電車でしたが帰りは車移動です。
車窓から見えるローカルな景色は、インドは広ーい平坦で緑の多い大地があり、数々の小さな村と村は細い道路で繋がっていました。あっ村が出てきた、みたいな。人々はバイクで村と村の間を行き来しています。思ったのは、日本は山や川を越えると隣町が見えるという感覚ですが、隣町まで高低差を感じないのが新鮮でした。ロールプレイングゲームの世界のようでした。
途中、大理石工場に立ち寄り、お土産を購入。
娘が好きな水色がメインの石がはめ込まれた小型の8角形の壁飾りです。
おまけの象2匹付き
夕食はムガール料理。
ムガール料理とはムガール王朝時代の宮廷料理の流れをくむ料理法で作られ、スパイスやナッツ、クリームやヨーグルトなどを使ったリッチなテイストが特長とのこと。
確かに、店員は六本木にいそうなスタイルの派手めなお兄ちゃん達が居て、店の雰囲気もそんな感じ。店に入るまでの通路やエレベーターは奥まっていてとても怪しかったです
隣の席に日本人の若い男女2組がいらっしゃいましたが、元気良くて料理にテンションが上がっているのを見ると、おそらく素敵な高級ホテルにお泊まりで、洋食ビュッフェの朝食で始まるような朝を迎えた方々でしょう。対して我が家はグロッキー状態で入店
↑ (写真はスタート時のみ)タンドリーチキンはお初。
中央の生っぽい小玉ねぎは食べられず、グリーンはいけると思いましたが、予想と違い、色々出ましたが、全てマサラ風味で、ごめんなさい、ママは大丈夫というものはありませんでした。パパは食べていました。娘はパパに無理やり食べさせられていました
ホテル帰宅 バタンキューです