
Masterの新刊
「ユタが語れない霊界の話し」 (スピリチュルセッション.2)
ブログ「ココ」で ・・・少し ご紹介^^; いらないかしら?
☆彡*:・゜'☆,。・:*:・゜'☆,。・:*:・゜'☆,。・
第二章・幽霊の定義 死ぬという事
昔から 世界中に霊体験や幽霊を見た。
三途の川を見た。という話はありますが・・・
通常、人間が死ぬと「三つの道」があります。
一・まっすぐ天国に帰る人。もちろん守護霊や導きの霊も来てくれます。
生前、宗教も学び心から天国を信じていた人の場合です。
二・まっすぐ地獄に落ちる人。本人も生前から自覚しているはずです。
生前、犯罪に手を染めて死刑の判決も出ている場合です。
三・死後も、この世を彷徨う幽霊になる場合。
生前、死後の世界もまったく信じずに、しかも無神論を人々に説いていた場合。
その魂は、肉体の死後、肉体から抜け出たあと、自分の死体と対面し慌てます。
必死に、どうにかして一生懸命に身体に戻ろうとしています。
この時に死後硬直も激しくなりますが、やがて自分の葬式にも、
ちゃんと参列もしているのですが、まだ本人自身が死んだことを自覚・理解が出来ません。
「死んだと、認めたくない心があるのです。」
生前、人間は死ねば、全てが「無」になると思っていたのに・・・
今、まだ物事を感じ、考える事が出来る自分がいることを理解して認める事・・・、
死んだはずの現状の状態が理解が出来なくて、パニックになっているためです。
本人はまだ「生きている」つもりでいるのです。
喩えるなら、リアル(超現実的)な醒めない夢の中にいる感じでしょうか?
当然、導きの霊・守護霊も側にいるのですが生前から、その存在を本人が認めず、
信じていないために、本人には何も見えません。
人間は、死後すぐに霊感が開き霊視が出来るわけではないのです。
丁度、携帯電話&ラジオはポケットに、ちゃんと入っているのに、
持っている事にも気づかず、またスイッチも入れていない状態ですね。
本人が、これが夢ではなく現実だと認識するまで守護霊も何も出来ないのです。
放送局が勝手に、その人の電話やラジオのスイッチを入れる事は出来ないのです。
その後・・・自分が本当に死んだと気づくまで・・・家にしがみついたり、
会社に居座ったり、家族に取り憑いたり・・・自分の存在を一生懸命に訴え続けます。
時折、遺族側にも霊感が多少ある人には、何かしらの障害・異変が起きてきます。
「霊障害」「霊障」「サワリ」が起きてきます。
昔から、心霊写真は世界中にありますね。
さて死後もこの世を彷徨う幽霊さんですが、葬儀・火葬した後なのに、
本人が、ガイコツの姿では無くて生前の姿で写真に写ります。「?」・・・
不思議に感じたことはありませんか? 生前の姿で出てきています。
幽霊「不成仏霊」の定義は、肉体やこの世への執着なのです。
死後も自分は、こんな姿で存在していると思う「思念波が物質化」しているのです。
例えば、病院でも患者さんがオペで、手足や臓器を取ってしまった後も、
しばらく、個人差はありますが、まだ手があるような、足があるような・・・
臓器がまだ体内にあるかのような感じがすると訴えます。
肉体(物体)は切り離しても、目には見えませんが、本人の心が作るイメージが、
「幽体の形」で、まだちゃんと繋がっていて存在しているのです。
火葬の後も生前の姿でこの世を留まり、彷徨っている状態が幽霊なのですが
やはりこの時、一番肉体的に意識が向かない足元から幽霊の姿は、半透明化して
消えて行きます。確かに心霊写真でも「幽霊に、あまり足がありませんね。」
死後、人間は四十九日前後、ほかの人には見えない「幽体」という体ですが、
まだこの世に存在できます。「神様や、守護霊の思いやり。」なのです。
この間に、守護霊や導きの霊(縁ある故人の霊・先輩霊)と一緒に、
思い出の場所に行ったり、最後に、もう一度会いたい人の元に行ったり・・・
いろいろ、この世での「人生の決算」をしています。
この時期に、よく本人が枕元に出たり、遺族が夢を見るのです。
やがて、それぞれの導きの霊(通常は守護霊)に諭されて
天国に帰っていきます。
しかし、あまりにもこの世への執着が強すぎて
、四十九日以降もこの世に何年も、
彷徨っている状態を「幽霊」「不成仏霊」と言いますが、
あまりにも時間がたちすぎると、
本人もだんだん生前の肉体感覚も薄れてきて、
体全体では無く顔だけの姿でこの世に残り、彷徨うような事になります。
例えば二十年も前に亡くなっているのに、
家族の集合写真に顔だけ映る心霊写真とか、
たまにありますね。やはり自己認識として最後まで残るのは、
今世での自分自身「顔」なのです。
また、科学の進歩ですね。最近ではインターネットで、
心霊写真ではすまなくて「動画」でも幽霊の姿が確認、公表されてきています。
次に、生きている時の「この世での魂の姿」について詳しく見ていきましょう。
実際には、人間の肉体は「三層に分かれている」のです。
まず「外側の肉体」ですが、毎日細胞の変化「新陳代謝」しているにも関わらず、
急に髪の毛の色や、肌の色・肉体的な個性や性格は・・・変わらないですね。
考えてみれば不思議ですね。
毎日「細胞は変化しているのに、変わらない絶対個性。」
これが、心(魂)の正体です。
簡単に変化しない部分「これが自分であるという個性・心・魂」が、
肉体に入っているのです。それは胸のあたりに「丸い心」の形で存在しています。
決して、心は「脳の中には、ありません」
証明として世界中のどの宗教も祈る時には、作法・仕草は多少違いはありますが、
必ず「胸の前で手を組む」はずですね。
その胸の辺りの「丸い心・魂」が、肉体と同じ格好の「幽体」
・「アストラル体」と言うモノを「纏って」・「着て」いるのです。
「車が肉体」で「運転手が魂」みたいな関係と喩えてもいいですね。
肉体の死後、この幽体が心を収めたまま肉体から抜け出るのです。
「蝉の脱皮」みたいな感じです。コレを「幽体離脱」と呼んでいますが
また幽体が死後、肉体から抜け出す時間が「お通夜にあたる二十四時間」なのです。
肉体から幽体と心が一日がかりで、ゆっくり抜け出るのです。
生きている時、人間は心を収めた幽体と肉体が「霊子線」と呼ばれるコードで、
しっかり繋がっています。例えば、
妊娠中のママと赤ちゃんを繋いでいる「へその緒」に当るようなものを想像してください。
これが「霊子線・シルバーコード・魂の緒」と、呼ばれるものです。
生き物には、すべて備わっています。魂と身体をこの線で繋いでいるのです。
ですから、お通夜の時間「死後二十四時間」は、まだコードが繋がっているので、
実は、生き返る可能性もまだあるのです。
正確には「人間が死ぬ」とは、「魂と、身体が切り離される時」
「霊子線が切れた」その時なのです。
まだ霊子線が繋がっている間は死体の中で魂(心)自身は、周りの出来事も、
周りの人の会話も全て・・・認識出来ています。
お通夜の席で、その方の悪口を言っていると、ロウソクが突然・・・消えたり、
何かが突然倒れたり、本人には、やはり聴こえているのです。ご注意を!
「ユタが語れない霊界の話し」 (スピリチュルセッション.2)
ブログ「ココ」で ・・・少し ご紹介^^; いらないかしら?
☆彡*:・゜'☆,。・:*:・゜'☆,。・:*:・゜'☆,。・
第二章・幽霊の定義 死ぬという事
昔から 世界中に霊体験や幽霊を見た。
三途の川を見た。という話はありますが・・・
通常、人間が死ぬと「三つの道」があります。
一・まっすぐ天国に帰る人。もちろん守護霊や導きの霊も来てくれます。
生前、宗教も学び心から天国を信じていた人の場合です。
二・まっすぐ地獄に落ちる人。本人も生前から自覚しているはずです。
生前、犯罪に手を染めて死刑の判決も出ている場合です。
三・死後も、この世を彷徨う幽霊になる場合。
生前、死後の世界もまったく信じずに、しかも無神論を人々に説いていた場合。
その魂は、肉体の死後、肉体から抜け出たあと、自分の死体と対面し慌てます。
必死に、どうにかして一生懸命に身体に戻ろうとしています。
この時に死後硬直も激しくなりますが、やがて自分の葬式にも、
ちゃんと参列もしているのですが、まだ本人自身が死んだことを自覚・理解が出来ません。
「死んだと、認めたくない心があるのです。」
生前、人間は死ねば、全てが「無」になると思っていたのに・・・
今、まだ物事を感じ、考える事が出来る自分がいることを理解して認める事・・・、
死んだはずの現状の状態が理解が出来なくて、パニックになっているためです。
本人はまだ「生きている」つもりでいるのです。
喩えるなら、リアル(超現実的)な醒めない夢の中にいる感じでしょうか?
当然、導きの霊・守護霊も側にいるのですが生前から、その存在を本人が認めず、
信じていないために、本人には何も見えません。
人間は、死後すぐに霊感が開き霊視が出来るわけではないのです。
丁度、携帯電話&ラジオはポケットに、ちゃんと入っているのに、
持っている事にも気づかず、またスイッチも入れていない状態ですね。
本人が、これが夢ではなく現実だと認識するまで守護霊も何も出来ないのです。
放送局が勝手に、その人の電話やラジオのスイッチを入れる事は出来ないのです。
その後・・・自分が本当に死んだと気づくまで・・・家にしがみついたり、
会社に居座ったり、家族に取り憑いたり・・・自分の存在を一生懸命に訴え続けます。
時折、遺族側にも霊感が多少ある人には、何かしらの障害・異変が起きてきます。
「霊障害」「霊障」「サワリ」が起きてきます。
昔から、心霊写真は世界中にありますね。
さて死後もこの世を彷徨う幽霊さんですが、葬儀・火葬した後なのに、
本人が、ガイコツの姿では無くて生前の姿で写真に写ります。「?」・・・
不思議に感じたことはありませんか? 生前の姿で出てきています。
幽霊「不成仏霊」の定義は、肉体やこの世への執着なのです。
死後も自分は、こんな姿で存在していると思う「思念波が物質化」しているのです。
例えば、病院でも患者さんがオペで、手足や臓器を取ってしまった後も、
しばらく、個人差はありますが、まだ手があるような、足があるような・・・
臓器がまだ体内にあるかのような感じがすると訴えます。
肉体(物体)は切り離しても、目には見えませんが、本人の心が作るイメージが、
「幽体の形」で、まだちゃんと繋がっていて存在しているのです。
火葬の後も生前の姿でこの世を留まり、彷徨っている状態が幽霊なのですが
やはりこの時、一番肉体的に意識が向かない足元から幽霊の姿は、半透明化して
消えて行きます。確かに心霊写真でも「幽霊に、あまり足がありませんね。」
死後、人間は四十九日前後、ほかの人には見えない「幽体」という体ですが、
まだこの世に存在できます。「神様や、守護霊の思いやり。」なのです。
この間に、守護霊や導きの霊(縁ある故人の霊・先輩霊)と一緒に、
思い出の場所に行ったり、最後に、もう一度会いたい人の元に行ったり・・・
いろいろ、この世での「人生の決算」をしています。
この時期に、よく本人が枕元に出たり、遺族が夢を見るのです。
やがて、それぞれの導きの霊(通常は守護霊)に諭されて
天国に帰っていきます。
しかし、あまりにもこの世への執着が強すぎて
、四十九日以降もこの世に何年も、
彷徨っている状態を「幽霊」「不成仏霊」と言いますが、
あまりにも時間がたちすぎると、
本人もだんだん生前の肉体感覚も薄れてきて、
体全体では無く顔だけの姿でこの世に残り、彷徨うような事になります。
例えば二十年も前に亡くなっているのに、
家族の集合写真に顔だけ映る心霊写真とか、
たまにありますね。やはり自己認識として最後まで残るのは、
今世での自分自身「顔」なのです。
また、科学の進歩ですね。最近ではインターネットで、
心霊写真ではすまなくて「動画」でも幽霊の姿が確認、公表されてきています。
次に、生きている時の「この世での魂の姿」について詳しく見ていきましょう。
実際には、人間の肉体は「三層に分かれている」のです。
まず「外側の肉体」ですが、毎日細胞の変化「新陳代謝」しているにも関わらず、
急に髪の毛の色や、肌の色・肉体的な個性や性格は・・・変わらないですね。
考えてみれば不思議ですね。
毎日「細胞は変化しているのに、変わらない絶対個性。」
これが、心(魂)の正体です。
簡単に変化しない部分「これが自分であるという個性・心・魂」が、
肉体に入っているのです。それは胸のあたりに「丸い心」の形で存在しています。
決して、心は「脳の中には、ありません」
証明として世界中のどの宗教も祈る時には、作法・仕草は多少違いはありますが、
必ず「胸の前で手を組む」はずですね。
その胸の辺りの「丸い心・魂」が、肉体と同じ格好の「幽体」
・「アストラル体」と言うモノを「纏って」・「着て」いるのです。
「車が肉体」で「運転手が魂」みたいな関係と喩えてもいいですね。
肉体の死後、この幽体が心を収めたまま肉体から抜け出るのです。
「蝉の脱皮」みたいな感じです。コレを「幽体離脱」と呼んでいますが
また幽体が死後、肉体から抜け出す時間が「お通夜にあたる二十四時間」なのです。
肉体から幽体と心が一日がかりで、ゆっくり抜け出るのです。
生きている時、人間は心を収めた幽体と肉体が「霊子線」と呼ばれるコードで、
しっかり繋がっています。例えば、
妊娠中のママと赤ちゃんを繋いでいる「へその緒」に当るようなものを想像してください。
これが「霊子線・シルバーコード・魂の緒」と、呼ばれるものです。
生き物には、すべて備わっています。魂と身体をこの線で繋いでいるのです。
ですから、お通夜の時間「死後二十四時間」は、まだコードが繋がっているので、
実は、生き返る可能性もまだあるのです。
正確には「人間が死ぬ」とは、「魂と、身体が切り離される時」
「霊子線が切れた」その時なのです。
まだ霊子線が繋がっている間は死体の中で魂(心)自身は、周りの出来事も、
周りの人の会話も全て・・・認識出来ています。
お通夜の席で、その方の悪口を言っていると、ロウソクが突然・・・消えたり、
何かが突然倒れたり、本人には、やはり聴こえているのです。ご注意を!
巣状糸球体硬化症って言われ治療方法が無い難しい病気らしいです
よろしくお願いします
明日また長男と伺います
これから 日本を支えてくださる
大切な一員です。
その青春のお手伝いが出来るように
平癒の祈願を
なんて分かりやすい内容~^0^
「不成仏霊」の実態をしると
恐がるのではなく、
もとは「人」なのでなんら恐いことはないのかな~とかおもったりします(でも恐い(笑)
よく、霊がおどろおどろとした(血まみれとか)
姿であわられるのは
自分の苦しみを表現しているとありましたが
そうですか?
あと、心霊体験とかの話でよくあるのですが
霊がおどかしたりするのは
なにかあるのですかね?
死後「身体が無くなっても」個性はそおまま^^;
親dすぐに別人にはなあないのですね。
しばらくは その個性も癖も
思考&行動パターン 持続します。
ですから 生きてるときに
「いたずらや好きとか」
「冗談が きつい人」などは・・・
死んだ後も
人を脅かしやり・・・・?
遊んでたりします^^;
死後「身体が無くなっても」個性はそおまま^^;
親dすぐに別人にはなあないのですね。
しばらくは その個性も癖も
思考&行動パターン 持続します。
ですから 生きてるときに
「いたずらや好きとか」
「冗談が きつい人」などは・・・
死んだ後も
人を脅かしやり・・・・?
遊んでたりします^^;