Gibson☆彡Masterの本ですが・・・^^;
少し ここで 立ち読み^^;???
===={第4章・沖縄の霊能力者・「ユタ」 ・本来ユタ(霊能力者)の仕事とは &
第五章・沖縄の民間信仰「尊・尊・前」(トー・トー・メー }==========
ユタが語れない霊界の話し 「Angel License ・2」
・本来ユタ(霊能力者)の仕事とは
まだ死ぬ準備が出来ていないのに、突然死んでしまった人の「この世への心残り」を、
遺族に伝える「通訳・伝達」「申し送り」が本物のユタさんの仕事なのです。
例えば「この案件は、こう解決して欲しい。」「これは誰に使って欲しい。」
「コレは、捨ててもいいんだよ。」・・・云々。
最後の一言が言えずに四十九日以降も、この世に留まっている場合の、
本人のまだ気になる「最後の一言を、遺族に伝えてあげる」仕事なのです。
これ以上でも、これ以下でもありません。コレが本物のユタさんの仕事なのです。
それでは、自分が死後、ユタさんのお世話にならない、ためには?
私の提唱ですが、誰にでも毎年「誕生日」は来るのですから
毎年誕生日に「最新版の遺書」を書くのです!
例えば「照れくさくて、まだ、言ってなかったけど、誰々さん、ありがとう、
愛している。」・・・または「ごめんなさい。本当は反省しているよ。」
あと「コレは誰に使って欲しい」「この件は、このように対処して欲しい」
・・・云々。
また財産の目録も書いていれば「安心して、あの世に帰れますね。」
女性の方は、お気に入りの「写真も準備」していれば、心残りなく帰れるはずです。
この世への未練「特定の場所、地位・名誉。人・・・云々」への執着が
この世に留まる原因なのです。これが「幽霊の正体」なのですから、
その時が来たら、潔く、心、軽やかに、機嫌よく霊界に赴きましょう。
宗教に入っていなくても、良い人はみんな天国に帰れますから♪ ご安心を♪
軽い心は、煙の様に自然に雲の上まで・・・すなわち「天まで昇る」のです。
☆彡*:・゜’☆,。・:*:・゜’☆,。・:*:・゜’☆,。・
第五章・沖縄の民間信仰「尊・尊・前」(トー・トー・メー)
沖縄には、いにしえの琉球の頃より、
「中国の孔子の教え・儒教」を学び、生活の規範として浸透してきました。
しかし最近では死後は、誰でも死ねば「トートーメー」として崇められます。
「えっ?」
本来の儒教の教えでは 「尊い、尊い、生き方をした、お前様。」
生前、その高徳ある生き方をした個人を指しての呼称なのですが・・・
沖縄では、生前、家族や親戚に迷惑をかけた人も、全て・・・
「トートーメー」として崇めています。本当に、それで良いのでしょうか?
霊界の真実では、死後、自分でその生き方の間違いを正すために、
地獄で反省しているのに、地上から子孫が、
毎日「尊いお前様」「尊・尊・前」「トートーメー」と、
崇められると本人は、学校・修行所・「地獄」で反省が出来なくなるのです。
子孫は一生懸命、その人どころか、ご先祖様全て供養しているつもりでも、
逆に、「そうか、自分がこんな暗い地獄に居るのは、
子孫のお前たちの拝みや供養が足りないからだ」と
勘違いをして、逆に子孫に災いをかけてくる事も起きています。
本当に死ねば、人間は全て仏様「尊い人」になるのでしょうか?
先ほど述べた「人間は、死ねば等しく無になり存在しない」と、
同じ理屈ですね。ですから、
むやみに全てを一色単に、拝むのは問題があるのです。
仮に、ご先祖様に不成仏の方がいる場合の対処の仕方は、
次章に詳しく書きます。