![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/91/48ab85a755503cc9b4b53a53b8a40453.jpg)
初めて大文字の火を見たのは4歳の夏だった。
二回目に見たのは57歳の夏である。
三度目に見た時に66歳になっていた。
:
いずれのときも感激したものでした。
4歳で感激するかよ?と思われるかもしれないけれど
4つでも結構色んな思出はぎっしりと記憶に残ってるし
ひょっとしたら、自分の記憶の中でも最も密度が高いのは
実は4歳の時のものなのである。
:
2度目の時も、3度目の時も良い思い出が伴っている。
果たして今年見に行ってたら
良い思い出となったか判らない。
:
夏と言えば、こないだふと
町を歩いてるときに”トリモチ”の匂いがした。
”トリモチ”なんて言っても知ってる人は少なくなっただろな。
その香りから思い出すことは一杯あった。
子供の頃の記憶というものは誠に鮮烈なものだ。
もはや、そんな記憶は何処を探しても手に入らないんだね。
今年の夏
2015年の夏
二度と戻らない夏が過ぎていく。
どちらかと言えば、セミを取るときのはかない道具化してましたね。
でも、明らかにゴム系の匂いがして・・・なんだか罪悪感のようなものを拭い去れない時代でした。
ああいう、戦後の一過性のモノ共の思い出って・・・時間の波間に吸い込まれて消えてくんでしょうね。
確かに、オイラみたいな戦後のガキ共にとっての思い出なんか、無いほうがマシみたいなもんかも。
でも、間違いなくオイラの性格形成上の部品であり続けているんですね。
戦後70年も経てば、オイラの体を構成した部品も劣化する訳で、間もなく泡沫のごとく消えていく。
そういうあり方が歴史というか、地球のあり方そのものなんですね。
大昔、父がメジロを捕獲していましたが、とりもちは禁止になり、見かけることもなくなっています。霞網もですね。
昔は銀行にウグイスが飼われていた思い出もありますが、いまでは禁止ですね。
何と言いますか、熱中症に対する考え方と似たような感じがします。
ある程度の自由と自己責任があるから、世の中面白いのではないかと思う今日この頃です。