日本古代史を探る

「一の俣湯の華観音(自説)観音寺跡遺跡」に潜む古代ミステリーの調査研究に伴う雑感記と「せざん美術館」の紹介です。

「神社の線」

2022-10-01 11:39:35 | 古代史
 やはり遭遇した不思議体験
 「一の俣湯の花観音」の研究を始めて3年が過ぎた。
 研究の必要性から地方の神社や古墳を回る。その形や大きさは様々で、地元民が造った思いがそれとなく伝わってくる。
 神社は、住み着いた民がお守としてその地に建てるものと思っていた。だが実際は逆で、その地に建るために他地より移住して来た。
 神社は独立した設置では無く、各地の神社と繋がりながら意味を持って建ててあった。
 神社の祭神が共通することなどはその証左。
 繋がりがその呪力を最大限に発揮すると考えたのだろう。
 「皆で手を繋いで頑張ろう」の精神に通じる。

 湯の花観音に戻り、3年前に調査に取り掛かった頃、同じような研究者が著書で記していた本のことが頭に浮かんだ。
 
 「寺社を深く調べて行くと必ず妨害と協力と不思議に出会う。」と。

 観音を調べるから、幾度も観音に戻る。調べた事柄の確認と参拝に。
 ある日ふと、観音の石垣の事が気になり、観音へ行く。
 高さ6mの石垣の角の石が30
センチ飛び出して落下寸前だったから。
 ところが、見ると、石はほぼ元の位置に戻っている(30cmの飛び出しが0cm)。
しかも誰かが工事した様子も無い。
 家の者が誰かに工事を頼んだ様子も無い。
 全く理解出来ない現象が実際に起きた。
 「これか。」
 だが、不思議と悪い気はせず、むしろスッキリさえした。
 直す工事費が浮いた。
 神様はここにも居た。