秋葉原の事件、当日のテレビでも見ましたが、
今朝の朝刊には携帯のサイトに直前まで書き込みを続けていたとか・・・・
被害にあわれた方々の無念さを思うにつけ、
犯人の実行に至るまでに、何とか止めることはできなかったのかとの
想いがつのります。
教室で、保護者のご相談にのることがしばしばあります。
ここ一年は、自家中毒から登校できなくなってしまった小学生のことで
毎週のようにお母さんの相談相手となってきました。
誰にもわかってもらえないと
お医者様の言うことも、学校の対応も信じられず
嘆くばかりの母親に
時には慰め、時には知恵を貸して・・・・
最近、ようやく母子共に落ち着いてきて、まだ半日程度とは言うものの
学校にも通えるようになって来ました。
そのお母さんが言います、
『もし、この教室が無かったら・・・・先生に逢えていなかったら・・・・
どうなっていたかと思うと怖いです・・・・』
「よかったね、怖いことにならなくて」
私達の、こどもの教育に携わる仕事には、こんな面もあるわけです。
私のしていることは、ほんの、ほんのわずかばかりのこと、
でもそれが、もしかしたら
ひとつの悲劇をおこさないことに役立っているのかもしれないと思うと
趣味と実益(収入のほうは儲かるとまではいきませんが)でやっている教室も
捨てたものではないかも・・・・
そんな想いで
ろくに稼ぎにならない教室を続けている先生達もたくさんいらっしゃるのでしょうね、
ある種の奉仕精神がなくては、やっていられない仕事ですから。
だけど。
自分で、そう想い、そう考えて
「儲からなくても・・・・・」というのはいいけれど
他人から、「そうあるべきだ」と言われるのは腹が立ちます。
私が、多少なりとも他人助けの余力があるのは
何とか教室が赤字にならず、多少とはいえ自由に使えるお金が入ってくるから。
身銭を切ってまで、他人様の面倒を見る根性はありません。
携帯サイトに書き込みを続け、
≪誰かが止めてくれるのではないか・・・・≫と期待していたかもしれない加害者。
その孤独感は哀れには思いますけれど、
ひとはそれぞれ、
自分のことでせいいっぱいです。
なんだか、
研究会の指導者に要求してくる奉仕精神と重なり、
腹立たしさがひとしおです。
今朝の朝刊には携帯のサイトに直前まで書き込みを続けていたとか・・・・
被害にあわれた方々の無念さを思うにつけ、
犯人の実行に至るまでに、何とか止めることはできなかったのかとの
想いがつのります。
教室で、保護者のご相談にのることがしばしばあります。
ここ一年は、自家中毒から登校できなくなってしまった小学生のことで
毎週のようにお母さんの相談相手となってきました。
誰にもわかってもらえないと
お医者様の言うことも、学校の対応も信じられず
嘆くばかりの母親に
時には慰め、時には知恵を貸して・・・・
最近、ようやく母子共に落ち着いてきて、まだ半日程度とは言うものの
学校にも通えるようになって来ました。
そのお母さんが言います、
『もし、この教室が無かったら・・・・先生に逢えていなかったら・・・・
どうなっていたかと思うと怖いです・・・・』
「よかったね、怖いことにならなくて」
私達の、こどもの教育に携わる仕事には、こんな面もあるわけです。
私のしていることは、ほんの、ほんのわずかばかりのこと、
でもそれが、もしかしたら
ひとつの悲劇をおこさないことに役立っているのかもしれないと思うと
趣味と実益(収入のほうは儲かるとまではいきませんが)でやっている教室も
捨てたものではないかも・・・・
そんな想いで
ろくに稼ぎにならない教室を続けている先生達もたくさんいらっしゃるのでしょうね、
ある種の奉仕精神がなくては、やっていられない仕事ですから。
だけど。
自分で、そう想い、そう考えて
「儲からなくても・・・・・」というのはいいけれど
他人から、「そうあるべきだ」と言われるのは腹が立ちます。
私が、多少なりとも他人助けの余力があるのは
何とか教室が赤字にならず、多少とはいえ自由に使えるお金が入ってくるから。
身銭を切ってまで、他人様の面倒を見る根性はありません。
携帯サイトに書き込みを続け、
≪誰かが止めてくれるのではないか・・・・≫と期待していたかもしれない加害者。
その孤独感は哀れには思いますけれど、
ひとはそれぞれ、
自分のことでせいいっぱいです。
なんだか、
研究会の指導者に要求してくる奉仕精神と重なり、
腹立たしさがひとしおです。