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中国のメディアは、北海道大震災を自国民にこう伝えた 報道を4類型に分けてみると…

2018-09-16 23:54:58 | ブログ


中国のメディアは、北海道大震災を自国民にこう伝えた 報道を4類型に分けてみると…

4つの傾向
9月6日午前3時8分に北海道で発生した最大震度7の大地震は、40人以上の死者を出し、一時は道内の全域が停電状態に陥るという非常に深刻な被害をもたらした。その数日前に関西地方を襲った台風21号の被害と合わせて、日本の天災は中国メディアでも大きな話題となっている。
今回の記事では、北海道地震に対する中国側の報道について考察を加えてみることにしよう。被害の規模をストレートニュース的に伝えたものを除くと、中国側の北海道地震の報道には大きく4つの傾向が見られた。
1.「中国人は見た」被災体験系
在日中国人や中国人観光客がみずから体験した地震の様子を詳しく述べる内容だ。例えば国営通信社・中国新聞社(中新社)のWEB版は「北海道の華僑同胞が地震の驚愕の一夜を振り返る」と題した記事を掲載している。
25年前に上海から来日して札幌市北区で診療院を開いている陶さんの屋内ではものが散乱して停電した、10年前に来日した札幌市白石区の王さんの家の被害は大したことがなく電気も午後に復旧した――、といった話だ。掲載された被災体験談の一部を意訳して引用しよう。
”商店はまだ営業していたが、列に並ぶ人たちが非常に多く、王さんは列の周囲をうろうろ歩き回ってみたが列の尻尾を探し出せずあきらめた。停電しているので店では現金のみを取り扱っており、店員は電卓で精算していた。
民衆はみな非常に我慢強く待っており、混乱はまったく見られなかった、街では救急車と消防車が次々に走り、頭上には絶えずヘリが飛んでいた。日本のメディアと政府はさまざまなチャンネルを通じて災害情報を報じており、王さんは日本の災害対策の経験は学ぶに値すると感じた”
”王さんを感動させたのは、地震後に近所の数人の老人がみな王さんたちの様子を見にやってきたことだった。彼らは、外国人だったら地震はいっそう怖いだろうと思ったらしく、「困ったときは言いなさいよ」となぐさめてくれた。この数人の老人の話は王さん一家を温かい気持ちにし、心配を減らすことになった”
これ以外にも国営通信社の新華社や、在日華人メディアの『中文導報』などが、北海道を旅行中の中国人や在日中国人に取材して、彼らの被災体験を伝えている。
良くも悪くも、中国の国営通信社である新華社や中新社の海外中国人への取材ネットワークの強固さを感じさせる話だが、今回の報道ではおおむね、札幌の街が電気を失ってもなお秩序だっていることや、コンビニエンスストアなど商店の店員たちの驚異的な努力を伝えるものが多かった。


「心理学ではなく新興宗教」精神科医が、人気カウンセラー・心屋仁之助氏の「娘叩く母」肯定を斬る

2018-09-16 23:36:03 | ブログ
「心理学ではなく新興宗教」精神科医が、人気カウンセラー・心屋仁之助氏の「娘叩く母」肯定を斬る
 昨年3月まで、日本テレビ系で放送されていたバラエティ番組『解決!ナイナイアンサー』。結婚、家族、健康、お金、仕事など、さまざまな悩みを持った芸能人が登場し、“クセ者相談員”たちがアドバイスをしていくという内容だが、その相談員の中でひときわ異彩を放っていたのが、心理カウンセラーの心屋仁之助氏だ。同番組で、「性格リフォームの匠」と呼ばれていた心屋氏は、ほかの相談員とは一線を画すアドバイスをすることで注目を集める存在だった。
 例えば、「結婚したいと思わない私は変なのか?」と悩むフリーアナウンサー・中田有紀に対し、「家族との距離が遠い女性は結婚したがらない傾向」「父親にもっとかまってほしかったと思っている」と指摘。中田に「お父さん大好き」という言葉を口にさせ、これまで押し殺してきた感情を認識するよう促すなど、一見突飛にも見えるカウンセリングは、視聴者の目に印象的に映ったのだろう。
しかし、心屋氏はその後、テレビから姿を消し、すっかり「あの人はいま」となっているが、先日、公式ブログでのある発言が“炎上”する事態に。娘を叩いてしまい自己嫌悪に陥っていると悩む一般女性に対し、「キミの娘さん 叩かれるために生まれてきたのよ」とアドバイスをし、「虐待を助長する」と批判の渦が巻き起こったのだ。
 問題のブログを詳しく見ていくと、相談者の女性は「色々あって、娘とケンカして、ほっぺたに往復ビンタを3回もしてしまった…娘に、このままじゃママに包丁で刺される!とまで、言われました」と告白。「とりあえず、たたいたらあかんって言ってるママが叩いたらあかんやんなー、とアハッと笑いました。娘は私を許してくれました」というが、「ぢんさん、こわいです。わたし、こわいです」と本音を吐露している。
 それに対し心屋氏は、「キミの娘さん叩かれるために生まれてきたのよ だから、叩きたくもないキミを動かしたのよ」と回答。なんでも相談者の女性は、「叩く『役目』を負わされた」といい、娘が叩かれるために生まれてきた理由については、「それでも親を許すため それでも親が自分自信を許すためのトレーニングしにきたのよ。前世でできなかったからまたチャレンジしにきた」と説明している。
 この「叩かれるために生まれてきた」という心屋流のアドバイスには、かつてテレビに出ていた頃と同様の“突飛さ”を感じさせ、ネット上では「あり得ない」といった声が広がっているが、精神科医の目にはどのように映るのだろうか。開口一番「むちゃくちゃですね」と声を上げたのは、『被害者のふりをせずにはいられない人』(青春出版社)や『高学歴モンスター~一流大学卒の迷惑な人たち~』(小学館)などの著者である精神科医・片田珠美氏。かつて『ナイナイアンサー』で心屋氏と共演経験もあるという片田氏が、心屋氏のアドバイスを一刀両断してくれた。
 今回、問題になったブログを読んで、片田氏は特段「驚かなかった」という。心屋氏は2013年4月のブログで、「臨床心理士○○・・認定カウンセラーとか △△協会認定とか・・そういう類のものいっさい持ってない」と書いているが、片田氏は「心理学の知識があるわけでも、臨床経験を積んだわけでもない人で、以前から『胡散臭い』と感じていた」そうだ。





想像力が音楽家にもたらした新しい夢と転機

2018-09-16 23:29:44 | ブログ
想像力が音楽家にもたらした新しい夢と転機音楽家のもつ想像する力はどのように転用できるのでしょうか(写真:yenwen/iStock)
『一生懸命努力して、精一杯頭を使って、そして目一杯夢を見るのが大事だと思うんだ。夢が、現実のものにできると本当にありありとイメージできるなら、あとはもうその機会がいつ巡ってくるかだけだと思うんだ』
――by TIME FOR THREE コントラバス奏者 ラナーン・マイヤー
音楽家が想像力豊かであるというイメージを持たれている方は多い。しかし、音楽家にとって“想像力”は、漠然とした「才能」や「芸術性」といった「浮世離れした、普通のひとは持っていないもの」ということではない。想像力は音楽を演奏するうえで技術的に欠かせない具体的な訓練を経て身につけ、向上させることができるものだ。
どんな楽器でも、奏でたい音を奏でるためには体を使って、物理的に行わなければならない。弦楽器であれば弦を適切に指で押さえ、弓で適切に弦を擦る必要がある。管楽器であれば、適切な指運びを行わなければならないし、唇・舌・息を適切に操作しなければならない。けっこう、肉体的でややこしい操作をしなければならないのだ。この連載の一覧は こちら
それがある程度自然に操作できなければ、音楽表現に意識が向けられず、合奏やアンサンブルで他者と演奏するときに周りの音やタイミングを聴き合わせていくような注意力の余裕もなくなる。そのため、肉体的・物理的な運動や操作を徹底的に反復し身につけていく。
ただし、その作業は「これから奏でようとする音」と対応させて行わない限り、いつまでも複雑なままだ。だから、技術を習得していく過程で、「指をああしてこうして」とだけ考えるのではなく、「Aの音はこうやって出す、Cの和音は身体的にはこうやって弾く」というふうに必ず音について考えながら操作を覚え身につけていく。
想像することは演奏の必要条件
つまり、音を出すための肉体的・物理的な操作をやるにあたり、「この音を出したい、こんな音を奏でたい」という、『音のイメージ』を具体的に持っておかなければならないのだ。想像するという行為は、物理的な運動と操作を対応させるものであり、練習したものを引き出すガイドであり、演奏が機能するための必要条件なのだ。……前置きが長くなってしまったが、そのことを知ったうえでもう一度冒頭の言葉を読むと、これは安っぽい自己啓発の類ではないとわかる。
今回は、音楽家がビジネスを考えるとき「想像力」を転用・応用できることが強みだと思う事例を紹介しよう。
クラシックからポップス、即興など多様な分野の音楽を演奏し世界的人気を博する弦楽器トリオ“TIME FOR THREE” のコントラバス奏者、ラナーン・マイヤー氏へのインタビューを題材に取り上げる。2014年7月8日、ハリウッド。バイオリンのジョシュア・ベル(左)がLAフィルの夏のクラシックシーズンを開き、ゲストとして招かれたTIME FOR THREE。ニコラス・ケンダル(左から2番目)、ザック・デ・プー(右から2番目)、ラナーン・メイヤー(右) (Photo by Lawrence K. Ho/Los Angeles Times via Getty Images)
いまや世界中を旅するこのイケイケのクールなトリオの始まりを見てみよう。
――『TIME FOR THREEは2001年からやっていて、カーティス音楽院で始まった。勉強はクラシック音楽だったんだけれども、それ以外の音楽もいろいろやりたくて仲間とジャムセッションしていたんだ。それを学校の事務局の人が見て、演奏のバイトをくれた。実際に演奏しに行ったら、聴衆がずいぶん熱狂しちゃって。ぼくたちは頭をかいて、まあもう1回くらいこのバイトはやってみるかと。
2回目の演奏は別の聴衆たちだったけれど、やっぱりまた熱狂的に喜んでくれた。
それでこのグループが生まれたんだ。ただ楽しみのために、パーティのような雰囲気でやっていたらすごく良い反応が得られた、というところから』――ポッドキャスト『The Entrepreneurial Musician』=『起業家的音楽家』より。

88歳祖父の死に「おめでとう」と言う孫の真意

2018-09-16 23:22:59 | ブログ


88歳祖父の死に「おめでとう」と言う孫の真意
「笑顔の通夜」を実現した中屋敷さん一家。なぜそれが実現したのでしょうか(写真:筆者撮影)
人はいつか老いて死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から追い出し、親の老いによる病気や死を病院に任せきりにして、目をそむけてきた。結果、死はいつの間にか「冷たくて怖いもの」になり、親が実際に死ぬとどう受け止めればいいのかわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。
一方で悲しいけれど、老いた親に触れて、抱きしめて、思い出を共有して「温かい死」を迎える家族もいる。それを支えるのが「看取り士」だ。この連載では、さまざまな「温かい死」の経緯を、看取り士の考え方と作法を軸にたどる。今回は、笑顔と笑い声にあふれた父親の通夜を自宅で実現した、60歳の長女と17歳の孫に焦点を当てる。温かい最期を迎えるために、この母子が「肌を触れ合うこと」が大切だと話す理由とは何か。
笑顔と触れ合いと笑い声に満ちた通夜
介護福祉士である中屋敷妙子(当時58歳)は、病院から運ばれてきた父親の遺体を棺には入れず、母親のベッドに寝かせた。弔問に来る人にじかに触れてもらうためだ。彼女の三男、阿南(あなん)は当日のことを振り返った。この連載の一覧は こちら
「顔中シワいっぱいなのが独特で、おじいちゃんらしい笑顔でした。入院していたときみたいに、スキンヘッドの頭もぐりぐり触りましたよ。通夜に来てくれた人たちもみんな、おじいちゃんの顔や頭を触ってくれて、『笑ってるよね』って笑顔で言ってくれましたし」
2016年10月に都内の自宅で行われた、大阪生まれの祖父・稔(享年88歳)の通夜のこと。阿南は、角川ドワンゴ学園N高等学校の1年生だった。
弔問客たちの多くは稔の笑顔を見て「幸せそうやね」と話した。ある女性は冗談交じりに「じいじの話は面白かったけど、下ネタもあって、今ならセクハラやわ」と話すと、「ほんまや」と呼応する女性もいて、時おり小さな笑いが起きた。
当時15歳だった阿南にとっては、初めて身近で触れる死だった。だが、彼自身が漠然と抱いていた死の印象とは違っていたという。
「祖父は多くの人に触れてもらい、笑顔で声もかけてもらえて幸せだったと思います。『死は悲しくて怖いもの』というイメージがありましたけど、悲しいのはそうだけど、それだけじゃない。人生をまっとうしたという点では『お疲れ様』だし、人生の卒業式なら『おめでとう』だし……」祖父・稔が趣味で書いていたTシャツ画。通夜の際には周囲に華やかに並べられた(写真:編集部撮影)
若さゆえの感性なのか、「おめでとう」には少し戸惑うが、200人以上を抱きしめて看取ってきた、社団法人日本看取り士会の柴田久美子会長(65歳)は、阿南の感想について何の不思議もないと話す。初めて身近で経験する肉親の死が、その人にとっての「標準」だからだ。
「結局、子どもにとっての死を『冷たくて怖いもの』にするのも、『温かくて幸せなもの』にするのもすべて大人なんです。大人が肉親の死を必要以上に怖がって遠ざけ、忙しさを口実に病院に任せきりだと、それを見た子どもたちは『死は冷たくて怖いもの』と思い込んでしまいます」(柴田会長)

樹木希林さん死去 まさか西城秀樹さんと同じ年に…「寺内貫太郎」で共演、惜しむ声

2018-09-16 23:08:34 | ブログ
樹木希林さん死去 まさか西城秀樹さんと同じ年に…「寺内貫太郎」で共演、惜しむ声
ドラマ「時間ですよ」など多くの作品に出演した女優の樹木希林(きき・きりん、本名内田啓子=うちだ・けいこ)さんが15日に亡くなったことが16日、分かった。75歳だった。家族にみとられたという。樹木さんは5年前に全身がんであること公表し、闘病していた。樹木さんはドラマ「寺内貫太郎一家」で、5月に亡くなった西城秀樹さんと共演。ネット上では「2人が同じ年に亡くなるなんて」と追悼の声が上がった。
 「寺内貫太郎一家」はTBS系で1970年代に放送された。作曲家の小林亜星氏が主演。樹木さんと西城さんは仲の良い祖母と孫という設定だった。樹木さんが歌手・沢田研二のポスターを見て「ジュリー!」と叫んで身もだえるシーンが話題を呼んだ。
 ネット上では「まさか西城さんと樹木さんが同じ年に逝くとは」「西城秀樹も死に、樹木希林も死んだ。昭和は遠くなりにけり」「秀樹さんと同じ年に逝ってしまわれるなんて」「西城秀樹さんとのやり取り、樹木さんがご飯を飛ばしてヒデキが『ばあちゃんきったねーなー!』 もっと生きていて欲しかったなぁ」などとドラマの1シーンの写真をアップし、2人の軽妙なやり取りを懐かしむ声が多く見られた。