難治がんの記者が荒唐無稽な「物語」で問いかける社会の本気度野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中
うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。21日に退院し、丸2日間もおかずに、今年3度目の救急車となった。今回は「二度あることは三度ある」と感じた入院と、安倍晋三首相が3選を決める自民党総裁選の3カ月前にヒントを思いついた、荒唐無稽な「物語」について。
「今日はほんとうに金曜日だろうか」
201X年1月のある夜。東京・永田町の国会記者会館を出た新聞記者の「風間」はあたりを見回した。道を挟んだ首相官邸に向けて批判の声を浴びせる人が、ふだんの金曜日よりもぐっと少ない気がしたからだ。
官邸前も含む国会周辺は、政権を批判する各地のデモの象徴で、盛り上がりのバロメーターともされる。
官邸内から様子をうかがっていた首相の「林田」は官房長官に向かい、「ちょっと遅れて、内閣支持率も上がってくるね」と笑顔を見せた。
翌週も、翌々週も「沈黙の金曜」は続いた。しかし、思うように支持率は上がってこない。2カ月もたつと、官邸前は何もなかったように、元のようなにぎわいをみせはじめた。
逆の視点で見ていた政治家がいる。野党トップ「火浦」だ。「動かざること山のごとし」が口ぐせの彼は手を打たなくても原状回復したことに胸をなでおろした。
すでに忘れられかけていた「沈黙の金曜」が永田町で久しぶりに話題になったのは翌年3月。首相の党の党大会で、党員数の増加が発表された時だ。
想像できないような増え方に会場はざわついた。「うちのほうでも、若い連中が『党員になるのはここでいいんですか?』って金を持ってきたそうだ」「そういや、おれのほうでも……」
ところが、それで期待された数カ月後の国政選挙の議席は、さほど伸びなかった。「若い人は投票せずに遊びにいったのかな。あてにならないね」というぼやきが官邸から聞こえてきた。
とはいえ勝ちは勝ち、だ。
首相「林田」とすれば、事実上の首相選びである党代表選に圧勝して残り任期を確保し、悲願を実現したい。そのためにもライバル候補との一騎打ちで圧勝することが大切で、勝利そのものを危ぶむ声は陣営から聞こえてこなかった。
それなのに――。
あっという間の転落劇だった。
地元議員の動きを参考にして投票先を決めるとみられていた地方票が、ライバルへ一斉に流れたのだ。予想とは裏腹に、現職支持を表明していた議員のほうがこうした動きを水面下でつかみ、相手方に走った。
そうして誕生した「新首相」の持論は「有権者と握手した数しか、票は出ない」だ。「後援会や党の集まりに出席していた人数を合わせてもこんな票数にはならない」と首をかしげた。
逆転劇に、さらに頭を抱えたのが報道陣だ。
本人すら知らない「真相」をつかみ、締め切りや番組に間に合わせなくてはいけない。新聞記者の「風間」はとりあえずスマートフォンでツイッター画面を立ち上げた。
驚いたことに、そこには「真相」らしき情報の一群が広がっていた。裏を取らなくてはと、ツイートを見続けていると、発信源らしいアカウントがいくつか見つかった。連絡を取り合い、待ち合わせ場所へ。「風間さんですか」という声に振り返ると、3人の女性が立っていた。1時間後には原稿を書き始めないと、締め切りに間に合わない。急ぎ足で聞き取った「真相」の概要は次のようなものだ。
場面は201X年1月。つまり「沈黙の金曜日」が官邸前に出現する1週間前になる。
官邸前のデモで意気投合した女性5人は、繁華街の居酒屋に流れ、「林田」批判を繰り広げていた。
1人が先日あった与党の代表選のことを話しはじめた。「ここで選ばれる人が結局総理大臣になるんですよね。私たちは1票を入れられないのに、どうしたらいいと思います?」
ジョッキを手にしたもう1人は話を合わせた。「総理を選ぶ選挙に参加しようという党員募集のポスターを見たことがあるけど」
また別の1人はテーブルのお皿を何枚か重ねて、自分のタブレットを差し出した。党のサイトにはこうあった。
「日本国籍であること」「前年まで2年連続で年3千5百円の党費を納めていること」。読み上げた女性は付け加えた。「合計7千円って……思ったよりも簡単じゃない?」
4人が一言ずつしゃべっていくうちに、テーブルには熱気が満ちていた。まだしゃべっていなかった1人は周りが見つめるなか、迷いない口調で「やるべし!」と言った。
作戦名はそのまま「林田総理以外に投票するために、アルバイトして党員になろう」作戦。基本方針ははやばやと決まった。