朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

韓国映画 「傷だらけのふたり」

2023-10-01 08:31:55 | 映画感想

ファン・ジョンミン(男性)

ハン・ヘジン(女性)
 
~あらすじ~
 
男女主人公の日常を映しながら
原題の
「ナムジャ ガ サランハルテ」
(男が愛するとき)を
再現するヒューマン純愛物語
 
男はある地方都市で高利貸しの
取立てをしている
見てくれは、1980年年代の
チンピラの格好丸だしで
着る物のセンスもなぜか懐かしい
 
女はおそらく日本で云えば
地方信用金庫だろう
銀行員の窓口役の設定となる
 
男は乱暴で、荒ぶっているが
心根(こころね)は優しく
人情味を持ち、自分の持ち場である
市場(いちば)の債務者から
慕われている
 
女は、昏睡状態におちいった
父親を看病しており
その入院費にも窮する状態
 
そこへ、男が借金の取立てに
出張り、女に月49%のむちゃくちゃ
利子の覚書に捺印させる
 
そこから、物語は進んでいく
 
原題からも推測できるように
男は女に惚れしてしまった
 
なんとか、助けてあげたい
あげたいが、男の属する
金融屋の社長(男の友人)の手前と
自分の立場もあり逡巡する
 
ある妙案を思いつき
女にもちかける
 
女は、初めから男を激しく拒絶し
たがその提案を、借金返済のために
嫌々ながらも受ける
 
そして、女の父親の死もあり
徐々に男の不器用で純粋な心に
次第に惹かれていく
 
二人はどうなっていくのだろう
 
~感想~
 
韓国映画を観て
皆さんは「ヨグ」(汚い言葉)が
頻繁にでると思いませんか?
 
語尾に「シー」とつくのは
放送禁止用語ではないので
TVドラマでもよく出てきますよね
邦語にすると「クソ」とか
「ちくしょう」なんかに訳されます
簡単に云うと腹立ったときに
でる言葉です
 
また、ピカレスク物の韓国映画には
至るところでこの「ヨグ」
出てきます
 
訳者は苦労するでしょうね
だって、正確に訳する邦語が
ないんですもの…
映画でしか使えませんしね
 
ファン・ジョンミンさんは
この「ヨグ」を早口でまくし立て
ます
めちゃくちゃ汚い言葉を使いながら
観ているこちら側を引きつけて
「あ~この人ワルやけど、心底の
ワルとちゃうな」と思わせる演技が
持ち味です
 
もう一人の主人公の
ハン・ヘジンさんは
どちらかいえば小柄で
鼻筋がピンと通り
額が丸く立体感のある顔立ちで
利発で勝ち気な、苦労人です
 
全編を通して
食事の場面がよくでます
メシは個人的には重要です
 
豪華な食事は、まったくでません
家族で食卓を囲む
二人で食卓を囲む
ひとつのスープ(チゲ)を
めいめいが、匙ですくって
飲み、ご飯と一緒に食べる
 
人が亡くなって弔問に
訪れても、「メシ食ったか?」
ケンカしても、メシは同じ食卓で
食べる「メシ食え」と
 
韓国映画を観られた方は
よくある場面と思いませんか?
 
これ、しぶとさ
コミュニケーション
愛情の表現。だと、わたし思うん
すね…
 
どんなときでも、メシだけは食べる
 
そんなこんなで利発で勝ち気な
ハン・ヘジンさんは
ファン・ジョンミンさんに
心を開いていきます
 
ごりごりのピカレスク物ではないです
男の属する組織は
ヤクザ組織ではないですが
アウトローにちがいはありません
 
女はその世界から足を洗い
二人でチキン店を開こうと
小さな幸せを望みます
 
男は、足らない資金を調達する
ために、一度身を引いた組織に
戻り、ある賭けにでます
 
そこから物語は急転し
男は女の前から姿を消し
二年後に刑務所から出所する
 
結末は、観ているこちらも
わかるんですが
 
原題の「男が愛するとき」も
的をえてると思いました
 
それでも
 
邦題の「傷だらけのふたり」が
今のわたしの心境には
パズルのピースがすっぽり
はまったような映画でした
 
悲しい映画ですが
悲しいときは悲しんでいいと
思いましたよ
 
 
 
 
 
 
 
 

オヤジ達の挽歌

2023-09-30 07:12:32 | ラグビー
9月17日 日曜日
東大阪花園ラグビー場へ
行ってきました😊

ほぼ10年ぶりで
その時も、過去、ラグビー青年
壮年、中年であった、わたしには
新装されたこの西の聖地の芝を踏み
「いやぁ、変われば変わるもんや」
と目をしばたたきながら
眺めたものです



当日、開催されたのは
「昔なつかし高校OB大会」で
もう、10数年続いている
大会です

大阪府内にあった
いまは統廃合や学校名の変更などで
すでに名のなくなった、変更された
高校でラグビーをしていた
40歳以上のオヤジ連中の集まりです

開催式が
会長さんの
「とにかく楽しみましょう!
「終わって美味しいお酒を飲みましょう!」

ドクターは
「日本一危険な大会と云われていま す!」(毎年救急車が何台もくる)
「無理はしないでください!お願い
します!」
「ドクターは控えていますが
怪我に気をつけて!」
で始まった

もうラグビーをしないと決めている
わたしは
母校のジャージを着て
当日、試合にでる先輩や後輩の
アップをみつめていた

暑い💦
めちゃくちゃ暑い
35℃は軽くあっただろう
みているだけのこちらも
汗だくになる‪💦‬

ボランティアの体育指導員の
お兄さんお姉さんが
入念にアップの指導をしてくれている

隣で一緒にいた
かつて、50mを5.8秒で走った
元快速ウィングの同期は
「アップだけするわ」と云い
その輪に入る

大阪はいまでも全国クラスの
高校が多数あり
花園大会(全国予選)の
参加ブロックは
三ブロックあり、強豪を輩出して
いる

この大会では
往年、ALL大阪、高校日本代表(候補)
日本代表クラスにあった猛者も多く
参加している

当時の名称で云うと
大阪工大高
浪商
啓光
興国
阪南
島本
淀川工
布施工
茨田
などなど
いずれも花園への出場高校が並ぶ

全試合は
第一グランドで行なわれ
試合時間は10分であった

(こんなに広かったのか!)と
驚きながら、人工芝となった
グランドにしばし立つ

わたしが、やっていたころと
外観は変わっても
グランドの大きさは規格で
決まっており変わらないはずだ

だが、広いめちゃくちゃ広い
(こんなとこ走っとんたんか…)

旧グランドは
道路のように
両端が下がり、蒲鉾のような
形状にあり、こんなに広くは
感じなかった
蒲鉾形状は雨水対策だったのだろう

現在は、パッとみでは
平坦であり、そのためか
余計に大きく感じる

試合が始まった
10分と聞いていたので
5分で切り、選手の入れ替えが
あると思っていたものの
プレーは切られずに
10分間続けられた

なつかしであり、憧れである
グランドに立つ選手達はどんな
心境だろうとグランド脇から
じっと試合をみつめる
「頼むから、イキったらあかんど」
思いつつ……

隣の同期が
「あれ、40オーバーちゃうやろ?」
「あんなに走れんど」
「歳ごまかしとるな」
ブウブウ云いながら
声援を送っている

ご存知の方もいらっしゃるように
ラグビーは
陸の格闘技と云われる

殊に近代ラグビーは
ボールを動かすラグビーで
(膠着状態を避ける)
フォワード、バックスともに
大型化し、運動量に代表される
フィジカルの強さ
当たりの強さ、タックルの強さ
スクラム、モールでの
コンタクト(接触プレー)の強さは
想像以上に選手への疲労が重なる

加えて、倒れて(グランドに体をぶつけ)
は、起きて、また走るのだから
そのしんどさは
想像に難くない

1960年代初めから
1970年代後半生まれのオヤジ達は
たしかにかつては猛者であった
闘将であった
チーム鼓舞する体を張った
タックルを何本もした

ですがっ!

これがいけない、笑
いや笑ってだめだ
なぜいけない?

脳が記憶しているのだ
記憶しているがゆえに
体がついていってないのに
タックルに入り
当たりにいく

これは、みていると
わかるのですが
ほとんど無意識に行なわれている

50mの独走もできないのに
体を当てにいく快感?を
脳は決して忘れてはない

わたし達がラグビーを始めた頃は
---そうでない連中もいたが---
大半が中学からのヤンキー連中
であった
そのわたし達は
体力を持て余していて
練習や試合で
体力を思いきり発散しても
それでも
翌朝には怪我でもない限り
また、練習や試合をしていた

その体力がすでにないオヤジ連中は
平静時にはわかっている
が、グランドに立つと変貌する

あれほど、大会会長、ドクターから
「楽しんで」「怪我なく」「無理なく」
と仰った言葉が、雲ひとつない
晴天のように青空だけが
残るのだ

いったれー‼️と…

ボキッ‼️

50歳を過ぎた後輩から音が鳴る
肩の骨が折れた

いってしまう気持ちはわかる
痛いほどわかる
我に戻ったときに「はっ!」と
する気持ちもわかりすぎるほど
わかる

やれやれやれ…

オヤジ達の挽歌(晩夏)は
今年も救急車の到着で終わった










邦画 「やわらかい生活」

2023-09-24 22:29:58 | 映画感想
ひょんなことから
寺島しのぶさんと藤山直美さんの
「最強のオンナ」TVドラマを
観て、寺島しのぶさんの
目の奥からにじみでるような
演技力に圧倒されました
藤山直美さんの演技力にも。

で、「やわらかい生活」でして
これ何年か前にわたし観ているん
ですよね

再観となったのですが
ところどころは覚えていたんです
けど全体のストーリーは
ほとんど忘れていたんです

こういうところが
57歳の役得?でして(忘れる😂)
初見のような感覚で
観ていたんですね笑

舞台は
2005年の東京城南地区の外れ
蒲田になります

蒲田に行かれたことのある方は
なつかしいというか
時代は平成ですが
すごく昭和感がバリバリで
山手ではない
ごった煮のような蒲田を
観ることができるのではないか
思います(*^^*)

映画の筋書きなんですけど
寺島しのぶさんの演ずる
ヒロインは寺島さんの当時のご年齢
ほぼ同期する35歳の
独身OLです

仕事も恋人も失い
どん底の状態で蒲田に引越します
心の病もあり
これといったあてもなく外出し
デジカメで蒲田の近辺にある
タイヤ公園、池上本門寺
商店街なんかを
撮り、銭湯は仕舞湯♨️にしか
入りません


たまたまJR蒲田の駅前を
歩いていると
学生時代の同級生に
名前を呼ばれます
「橘優子さん!」
そこから
どんどんではないですが
キリっとしない男たちが
彼女の周りに集まってきます

その間には
躁うつ病が悪化したりするのですが
それでも
ほんのりほんのりと
ヒロインは小さな幸せのような
ものを感じとっていきます

豊川悦司さん
妻夫木聡さん
田口トモロヲさん

皆さんお若いですね🌱

寺島さんは
どこかくずれた印象
退廃的までは、いかずですが
冒頭に書いたように
目の奥からにじみでる
妖艶さと
もろさと
美しさと愛おしさ感じるヒロインを
見事に演じられています

髪型も役にはまっていますね

シーンは
ある女性の日常の風景になりますが
こういう日常は男性主人公では
なかなか表現しづらいかな?
なんかも思います

最後まで
観られるのをおすすめしたいですね。

理由ですか?
言えません!笑
が、観られた方は
おわかりいただけるのでは
ないかと、わたしは思います😊














韓国映画 「夏時間」

2023-09-21 09:27:04 | 映画感想
原題は
「ナムメの夏の夜」
ナムメは(男妹)をいい
本作では、姉弟をさします

観賞感ですが
とても良かったです

10代の少女を主人公にしており
観察眼はその少女の視点にあります

映画のシーンは
日常の風景や家族模様を
映し出すのですが
少女の内面感情を想像することへの
妨げとはならずに
むしろ、感情に同伴するような
感覚になっていきます

荒げた言葉もなく
アクションもなく
暴力もなく
裏切りも略奪もなく

「夏」という
「万緑」の季節だからこそ
日常のどこにでも
ひそんでいる、戸惑いや感傷
落ちつかなさ、を通じて少女の
「成長」を表現しているのかな?
と思いつつ
観させていただきました

主な登場人物は
少女
その弟
父親
叔母(父親の妹)
祖父
そして
木造建築の家
です

少女は、夏が終われば
どのように成長していくのでしょう

もう一度
とても良い映画でした(*^^*)








辛いな 苦しいなと思うとき

2023-09-06 04:48:47 | 日記
こんばんは🌛
朝の早い人は、おはようございます
かな?…

朝夕は少し過ごしやすく
なってきたと思いきや
昨日(9/5)は、早朝5時頃から
ムンとした湿度をまるで体に
刷毛で塗られたようでした

こう暑いと
汗の出しすぎで、一日終えれば
ヘロヘロになりますね、笑
プールに入ったあと
どっと疲れて寝てしまうような、笑

早く帰って、風呂なりシャワーで
さっぱりしたいですよね╮(´•ω•)╭

いま、辛い、苦しい、なんとなく
不安、葛藤、あーなんでこうなるの?
などなど
生きていると、いいことばかり
ではなく、あんまりこう思いたくも
ないですが
いいことと、悪いことの
繰り返しで、なんとかもがきながら
生きていっているのかな?
と思ったりもしますね

特にね
思うんですけど
自分に必要な1ヶ月の生活に
かかる費用を把握して
その範疇で生活してるのにも
関わらず
突然の出費
(あ、洗濯機壊れました)
パートナーの失業
(あ、失業しました)
飼犬が病気になり
うん10万が必要
(はい、病気しました)
持病が悪化する
(いま、心臓バクバクしてます😍)
などなどで

「こら、回らんで(貯金ありません)」
本来循環する道具である

「お金」に困るときって
ないですか?

毎日、汗だして
一所懸命にかつ、どう働きやすい
職場環境にしていけばいいか
そこに苦しみだけではない
目的と楽しみを持って
日々を積み重ねている方は
たくさんおられると思います
それでも

「回らん!💦」

わたしは、最終的には
自分で考えて、自分で決める
問題は解決するのだから
問題として存在する
と思っています

ですが、先にあげたような例は
人それぞれで同じものは
ないですよ

「わー、どないしよ💦」と
思っていることでも
別の人からみると
なんの感慨も打撃もないことも
あるでしょう

それは、それで比較するものでは
ありません

苦しいとき
辛いとき
なんで?と思うときって
心の空白、余白が
そのことに埋まってしまう
堂々巡りみたいになってしまう

そこで
ふと、過去を振り返るのですね
過去を振り返ることができるのは
いま、生きている証(あかし)
過去は人にとっての
経験、体験いわば財産です

そのときそのときで
なんとかしてきたから、いまの自分が
存在しています(*^^*)

存在するは生きているとも云えます
「いま、生きている」
そこに、焦点をあわす

「生きている」
なぜ生きているのか?
生きる意味はあるのか?

「生きる意味なんて探さなくてもいい
です」
「そこにいるだけで、母ちゃんは
幸せだよ」と
著作のなかで述べられた方を
わたしは知っています

サインを書いてくださった
「横山小寿々」さんという
筋痛性脳脊髄炎、慢性疲労症候群と
いう難病で、ほぼ寝たきりの
作家の方です

いま、この拙文を書こうかな?と
思ったのは
横山小寿々さん
ご自身のアイコンをみて
心に空白、余白がなかったと
気づきました


こういうときですね
人は苦しいとき、辛いときの
根っこは孤独感かなと…
そして、自立なぞない
他者との目にみえない
関係性のなかで生きているかなと…


自分で決める。
それはそれでいいです
ですが
自分で決めたことでも
空白、余白がなければ
冷静に自己観察できずに
決めてしまうのかも?と
思ったのです

感情(ハート)を探る
体はどんな反応をしているか
自分の心と体に意識を向ける

心あたたまる創作を眺める
ぶらっと、ただぼんやりと
散歩する
問題に焦点を合わしすぎない


少しずつでも、前を向きませんか
いままで生きてきた証(あかし)を
信じてみませんか
ともに、たった一度の人生を
生きてみませんか

ありがとうございます

応援しています☺️