以前、たまたま立ち寄った
古本屋で、吉行淳之介さんが
書いた
「ぼくふう人生ノート」という
文庫が目にとまり買い求めた
好きな作家である遠藤周作さんの
畏友の方だと知っていたので
目にとまったのだろう
その本のなかで
「どんな人間でも、限界のない
人物はいない。もしいるとすれば
それは化け物である。限界がある
ことに、失望しすぎないことが
必要だ」とあった
これには、前段がある
氏はご自身の10代後半をこう語る
「とにかくなにをやっても駄目だった
当時自分ではまだ、気づいていない
いくつかの特質は、どの社会的分野に
も不適合だった。
私は劣等感の塊だった。
だから、私は、何をやっても駄目な
才能のない人間と思いこんでいたの だ。」
その劣等感の泥沼から這い出す
きっかけとなったのは
萩原朔太郎のエッセイであったという
朔太郎は、そのエッセイのなかで
詩人という種類の人間がどういう
ものなのか詳しく書き記して
いた
そこで、吉行淳之介さんがご自身を
もてあます要因となって
いる数々の事柄は、そのまま
特性として挙げられていた
心臓のまわりを取り囲んでいる
セルロイドの殻がみるみる溶けて
消えていく
ようだったと。
吉行淳之介さんは
続ける
「この時の劇的な心持ちは
私は詩人になれると思ったことでは
ない、そんなことよりも、私のような
人間にも、ちゃんと場所が与えらてい
るという発見の喜びである」
吉行さんは、小説家であるので
話しが小説に片寄っているかも
しれないがと、註解を与えているが
あらゆる分野にもあてはまると
書く
おそらく、吉行さんは
言葉につくせないほどの
劣等感をもっておられたのだろう
そして、このことから
劣等感は薄れたかもしれないが
消えはしなかっただろうとも
思う
劣等感を持ちつつも
書きつづけたのは
自分の限界はあると思い
その限界に失望しなかったで
あろうことを氏の目を通して
伝わってきたのです。
最後に、引用させて
いただきます
「角度をかえてみれば、才能がなく
ても、人間としての、美質があれば
それで十分なのである」