朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

開運について

2019-12-22 20:10:39 | 日記
開運?!

宝くじがあたる
お給料があがる
拗れていた人間関係がよくなる
お金持ちになる
希望する仕事につける
閉塞感から脱皮する などなど

開運というと望んでいたものや望まなくても天から降ってきてそれが幸運と呼べるようなものを受け取るというイメージを抱くように思う。

確かにドツボやと思うことより、おおっ!ラッキーやと思うことの方が人は受けとめやすいのではないかと思う。

お金は人が生きていくための必需品であるのであるに越したことはない。
正直、100%お金といっても言い過ぎでもなかろう。
純粋にお金なしでは食うていけないからだ。

最近思うところがあり、ぼちぼちではあるが自分自身を観察するようにしている。

なぜそのように思ったのか、感じたのか、なぜ行動したのか、なぜとどまったのか、その時に何を考えていたのか
自分自身に問いかけてみる。
答えがでるときもあれば、そうでないときもある。

そんな自省していると、開運というワードが頭の中をを巡った。

そもそも運命というのは(私なりの解釈だが)命を運ぶと書くので、運ぶ以上は
晴れの日もあれば雨の日もあり、暑さ寒さ、お腹いっぱい、空腹でフラフラ
など一定状態を保てないのが普通ではなかろうか。

すべてがうまくなる開運などなかろう。
そんなものはまやかしだと思う。

いまは低迷、停滞してるがこれも命の流れでは起こりうることだ。
そこに想念をあてることよりも、低迷、停滞期であっても己の土台をしっかり築いていこう。

私の場合は、日常を丁寧に生きることを心がけている。

ものを丁寧に扱う。対人関係では丁寧な言葉遣い。感謝する気持ち(素直にありがとうございますが言えればよい)

そんなことを自分の行動に取り込んでいるのだが、開運というワードに反応しない自分ができてきた。

ええも悪いも含めて開運ちゃうんか?!と私の中の小さい私が言う。

おぉ、そやなと納得しているこの頃である。

お金が100%でもよい。人それぞれだ。
しかし、いまの私はお金90%
残りの10%は心。心から湧き出たものを自らの生活の中で実践する。
この10%が人間を成長させてくれる
「財」なのかもしれないと変わってきた。

今日は冬至であった。
贔屓の風呂屋でゆず風呂を堪能させてもらったので、明日からの13連勤に弾みがついた。

働けることに感謝である