初めての大怪我は保育園時代であった。
シーソー台。当時のシーソー台は木製であり座面も当然木製である。
取手は馬の顔で持ち手が馬の耳であった。
私は靴を脱ぎ靴下を履いたまま、座面に立った。(経年使用で座面はツルツルだった)
ステンとうつ伏せに倒れると、喉元に馬の耳が刺さった。
一瞬何が起こったのかわからず、痛いと思い立ち上がると、周りが阿鼻叫喚となった。
喉元から血が噴き出してた。
文字通りの全身血まみれである。
今でも覚えてるのは、患部に触れると指がズブッと入ったことである。
泣き叫びながら走ってきた担任の先生に抱っこされて、近くの外科に向かい、手術台に横たわって患部に麻酔を打たれたところまでは記憶にあるが、その後の治療や通院は記憶から欠落している。
2度目はジャングルジムでのケンカであった。
後に知的障害とわかった当時の園生にジャングルジムから突き落とされた。
どう落ちたか記憶にないが、左手首の骨が皮膚から露出していた。
これは病院までの道のりが記憶にない。
記憶にあるのは、手術台に寝かされて
折れた骨を元に戻すことである。
保育園生であるが、あまりに痛いので暴れまくった。今でも自分のわめく声が聞こえる。(そらそうである、麻酔無しであった)
すると、天井からスチールの鉄板がスルスルと降りてきた。
私は殺されると思ったが、ここで記憶は抜ける。
多分気絶したのだろう。
医者は折れた骨をボルトで繋ぐ手術を奨めたらしいが、祖母が断固反対したようだ。
近所のお好み焼き屋のおっさんの元に走り、腕のいい評判の骨接ぎ屋を聞いてきた。
そして、無理矢理退院させた。
これも石膏のギブスをされたところまでは覚えている。
あとはギブスが取れて、父親と公園に行って木に登り蝉を採ったことか…
まだまだあるのだが、自分でタイプしてて痛くなってきた。
どうもならん 保育園生である。
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