いつも、小説を読むと思うのは
読み方も感じ方も
百人百様であるというもの。
どう感じようと、仮に影響されようとも
それは、それを読む人々の背景や
その時々の、境遇からくるので
何がいいとか悪いとか評価されるもの
ではないと思っている。
言わずもがなの孔子
どんな人か詳しくは知らなくても
その名前は2500年経っても
廃れていない人物。
物語は、孔子の架空の弟子
えん薑(えんきょう)という人物の
語りで始まり、語りで終わる。
いや、終わるというより
終わりなき始まりが、ぼくにとっての
読後の気持ちだ。
伝記でもなく、孔子を論じるでもない。
歴史小説であるが、想像力の小説かも
しれない。
孔子没後、33年が小説の舞台となる。
よって、論語というのは、この時点
では編纂されていない時代
哲学者、聖人、教育者、儒者
様々な名を持つ孔子であるが
何となく、説教がましいと思っていた
のが、ぼくだ。
100ページぐらいまでは、しんどかった。
孔子に対する、イメージが堅苦しい
のと、著者の文体に馴染めなかったと
思う。
春秋戦国時代で、文字通り動乱の時代
であり、亡国、国を亡くす棄民が
当たり前の時代である。
その時代に、孔子は不幸な人が
ひとりでも少なくなるように決意する。
著者は、架空の弟子「えん薑(えんきょう)」を通じて、人の死生、命を
一緒に考えませんか?と語りかけて
いるように感じる。
どんなに努力しても
正しい行ないをしても
正しくない行ないをしても
成らないものは成らず
成ものは成る
それとこれとは別。
それが、天命と言われたようだ。
だからといって
自棄になるのではなく
成敗や裁きは、度外視して
死ぬまで、嘆こうと嬉しかろうと
笑おうが泣こうが
「自分は自分流で、自分を汚さないで、自分の手足を動かして生きていこう」
何ものも、受け入れて
川の流れがとどまらず、幾つもの
川が混じり合い、やがて大海にそそぐ
ように、歩いて行けばいいと
思うのが、正直な気持ちだ。
「終わりなき始まり」が
一言でいうなら、ぼくの感想となる。
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