風呂が好きである。
ここでいう風呂とは家風呂ではない。
江戸では銭湯古くは湯屋。
西国でも銭湯で通用するが、私は
もっぱら風呂屋で通す。
いわゆる「お風呂屋さん」である。
私の暮らす近所にお父さんとお母さんがやっていた風呂屋があったのだが
5年ほど前にお父さんが健康を崩されて廃業された。
なので徒歩で行ける風呂屋はない。
かわりにチャリンコで15分ほどこぐと
風呂屋が6軒連なる有難い場所がある。
私は風呂屋は好きだが、スーパー銭湯は嫌いだ。
スーパー銭湯を経営されている会社や関係者の方には申し訳ないがあくまで
私個人の主観であるのでご容赦頂きたいと思います。
風呂は一日の疲れをとる。または
朝風呂、昼風呂で休日気分を満喫する
風呂あがりの発泡酒がうまく感じるなど私なりの過ごし方がある。
贔屓にしてる「ふろや さんわ」さんは
非常に清潔感あふれる風呂屋である。
公衆浴場という場を絶えず意識しておられるのだろう。
洗面器→座椅子はヌメっていたことは今まで一度もない。
お湯も綺麗である。そして脱衣場も
お客さんの邪魔にならないように
頻繁に掃除機がけをしておられる。
照明も明るい。
こちらも家族経営である。
朝の6時から夜は12時まで営業されている。たった6時間で次の営業時間である。
風呂場のお湯を抜き、湯舟、洗い場、タイルなどを清掃することは極めて重労働であると思う。
フロ二ストである私はそんな経営者さんに敬意をはらう。
最近は大人でも風呂屋マナーに欠ける方を多く見かける。
湯舟に入る前には、掛け湯をして欲しいのである。下半身の前後は必須であるまいか。
皆、さっぱりしたくて湯に入るのでなかろうか。
そして、お店の衛生管理に絶えず気を配っているお風呂屋さんに対する感謝を忘れてまいか。(お金を払うが利用する側にもマナーは必要である)
私は、ねばならいとか、すべきと言う表現は好きではないが
フロ二ストとして言いたい。
湯舟に入る前には掛け湯をすべきである。
それが公衆浴場と言う不特定多数の方が利用する場の鉄則である。
さて、私の掛け湯は豪快である。
時々、おっさんにメンチを切られることもあるが気にしない。
まず下半身を足の指からそして前後、
上半身→頭と洗面器でざぶざぶ掛ける。
風呂屋の醍醐味はこのざぶざぶ掛ける掛け湯と豊富な湯量と湯温調節であるとフロ二ストの私は思っている。
シャンプー、リンスは使わない。
いわゆる湯シャンである。
身体においては、顔面と下半身の前後、足の指のみ石鹸で洗う。
(石鹸は牛乳石鹸の赤箱である)
1週間に一度くらい全身を石鹸であらう。これで充分と思っている。
私は風呂屋で人間観察をするのも、まあまあある。
なかでも、密かに私を楽しませてくれるのはご新規のお客さんである。
ご新規のお客さんにはタイプが2つあるのだか、ひとつは初めてなので周りを見ながら控え目に入ってくるタイプ。
もうひとつはイキって入ってくるタイプ。やはり後者が観察対象となる。
イキってる方は大概威勢がよい。
常連の爺どもどけどけ!と言わんばかりの勢いである。
そして、ここの風呂屋には「ぬるめのお湯」、「あつめのお湯」とプレートがついているのだが大体において、イキりは
「あつめのお湯」に掛け湯もせずに足を突っ込むのだ。
私はその時はカランに座り湯舟に背を向けて、必ずでるであろう次の言葉を待っている。
「あっ!!」
撃沈である。
熱くて入れないのである。
ここで先程までの勢いは完全に削がれ
すごすごと「ぬるめのお湯」に向かう。
たまに常連の爺と目が合うと爺もニコニコしている。
風呂屋の掛け湯は鉄則である。
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