ソウルの滞在を経て今回の旅の最終地である済州島(チェジュド)に向かう。
父方の祖父がチェジュの出身となるので
私の戸籍は今でもチェジュの役所に存在する。
空港で叔父と合流した。
タクシーで親戚宅へ向かう。
市場近くでタクシーを降り、祖母が海苔屋に向かい、店のアジュンマ(おばさん)
になんやら話かけると、アジュンマは黒電話をとり、どこかへ電話する。
電話を終えると二言三言話のやりとりをして、祖母が財布から円を出してウォンと交換していた。
闇の両替屋でした。レートがいいのだろう。
そこから徒歩で親戚宅へ向かう。
親戚といっても遠い遠い親戚なので、私から見れば他人に近い。
祖母と叔父は度々、チェジュに行きこの親戚宅を訪ねているので、今では気心のしれた関係であった。
そこには、姉弟がいて姉の方が私と同じ歳であったこともあり私の案内役を買ってくれた。
なんの前知識もなく、チェジュに行ったがチェジュが火山島であることは知っている。
海の中に熔岩が流れてそれが固まっている。うろ覚えではあるがその形が龍の頭に似ているので、名称は龍頭岩であったかと思う。
その岩の真ん中にくぼみがあり、そこから水が湧き出でいたのだが
ジヨンさん(案内役の姉)が身振りで飲んでみろと言う。
恐る恐る口をつけると真水でありかなりビビった笑
今でもチェジュは韓国のハワイと言われてるのだろうか。
李朝時代には遠島島流し、流刑の島であったと聞く。
両班(ヤンバン)、日本で言う貴族層の政治犯が多く流刑にあったと聞く。
その両班が島の女性と結婚し、家庭を持つ訳だがもとより勤労意欲がない。
いきおい、女性が仕事に出ざるを得ない。
火山大地のため、土地は肥えておらず
周囲は海で囲まれているので、漁業で生計を立てる。
案内中でも多くの海女さんに出くわした。
とある海岸線に行き、砂浜に降り立った。
ジヨンさんが時計を指さして、目の前の遠浅の海を見ていろと言う。
しばらく見ていると、海の真ん中が割れて左右に海水が流れて道ができている。
天童よしみの珍島物語をまじかに見てここでもビビった。
海はエメラルドグリーンでとても澄んでいたのを思い出させる。
途中腹が減ったので、何か食べようとなり食堂に入る。
ジヨンさんにあなたにおまかせしますと身振りで頼む。
出てきたのは、( „❛ ֊ ❛„)んっ?
「茶粥か?」と思われるものである。
香りを嗅ぐと、磯の香りとふゎぁとした胡麻油の香りが…
なんやろと思い匙をとる。
アワビ粥であった。今でもこのアワビ粥に勝る粥は食べていない。
アワビのワタを身と一緒に煮込んでいる。
ワタの臭みはなく、匙をとるたびに磯の香りが鼻腔をつく。アワビ自体は淡白なので、ワタと胡麻油がうまく絡んで濃厚な味だ。
うまいうまいと言いながら、結局三杯オカワリして食堂のアジュンマを笑わした。
当時、180cm、88キロであった私の食欲に火がつき、もっとないかと聞く。
で、次にでてきたのはテナガタコのぶつ切りであった。
生きてるのでぶつ切りにしても、動いておる。
それを胡麻油と粗塩かコチュジャンのどちらかで食す。
アワビもそうだが、採れたてなので鮮度が桁違いである。
吸盤が口蓋に吸いつく。
喉の奥で吸いつかれるとたまらんので
充分に咀嚼していただく。
これも三人前を食べて、同行のジヨンさんも笑うしかない。
大人男子の手のひらサイズのタコが一人前に五匹なので十五匹食べたことになる。
あとで祖母から聞いたが、日本人があんなに食べるのは初めてみたと、食堂のアジュンマがジヨンさんに言っていたそうだ。
在日コリアンであるが、現地の方から見たら日本人に見えるのだろう。
たらふく食べ、円で、2000円でおつりがきた。今はそうもいかないと思う。
チェジュに降り立った印象は、ツバメが
数多く飛んでおり人々もせわしくなく
ゆったりしている。
空気が澄んでおり、水がとてもうまかったこと。
草原に牛と黒豚がいたこと。
チェジュ初日が終わる
【続】
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