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昭和63年(1988年)12月初旬リーグ戦を全勝優勝で終える事のできた私達は花園の芝生を踏むことになった。
当時、花園の芝生は現在の年間通して青々とした芝生ではなく冬枯れのする芝生だった。
いまでも私にとっての花園は冬枯れの芝生が記憶に焼きついている。
相手はそう…1回生で入れ替え戦で負けたライトブルーのジャージに胸にはホワイトライオンのエンブレムを持つ宿敵「京都大」だ
ジャージの色が好みなのでブルーライオンだ
1931年から続く定期戦でもある
私達はスポーツセレクション制度はなく、高校時代からほぼ無名の選手の集団だった。
国立大である、京都大も当然セレクション制度はない。
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「ええか、この1年ここへ来て、京大に勝つためにやってきたんや、その練習を信じるぞ!!練習でやってきたことをそのまましたら絶対に負けん!! 最後は気迫や。行くぞ」
外で待機していた1回生が控室の扉を開ける
グランドに一礼して冬枯れの芝生に立つ
のちのち1回生に聞くと控室から出てきた
私の形相は鬼かと思うくらい顔つきが変わっていたそうだ(笑)
キックオフの笛が鳴る
私の対面(トイメン)は背番号5のロックだった。私よりひと回り体がでかい
180cm 85kgでロックというスクラムの二列目選手としては明らかに小柄だった。
対面は188cm 90kgはあったろう
泥臭い練習をしてきたのがその雰囲気でわかる。
AリーグとBリーグとの違いは技術面もさることながら圧倒的に違うのは「当たり」の強さだ
同志社、大体大、京産大と全国の四強に値する強豪校と七戦闘うことで、その「当たり」はスクラム、モール、ラックあるいはタックルの強さに繋がる。
ファーストスクラム
セットプレーのマスターピースだ
不思議とFWというのは、このファーストスクラムでの当たりで相手の強さがわかる
本当に力の差が歴然とする場合は当たった瞬間にズルズルと下がってしまう
「ハッ!オイショ!」
スクラムを組む組んだ瞬間に
一列目プロップの肛門に肩のポイントを当てて思いきり押し込む
相手がズルッと下がる
スクラムで1cm下がると相手バックス陣のラインは1mは下がる
手応えは有りだ。当たり負けしていない
前半三本のペナルティゴールを決めて9対0で折り返す
控室での監督の指示はなし
「フォワードは当たり負けしてへん後半はスクラムを基点にして、バックスは縦に走ろう。絶対横に流れるな」
サイドが変わり後半の笛
相手陣ゴール前、グランドのセンター位置でのペナルティを得た
(どうする?手堅くコンバージョンキックで3点をとるかの考えが一瞬よぎる)
とれば12点差…
2トライ、2ゴールで同点の範疇だ
「スクラムにします」19点差にして戦意を潰す
「ハ! オイショ!」
8人がひと固まりにまとまるナンバー8がボールをキープ
「レディーゴー!!!!」
押す!力の限り押す!京大が下がる
冬枯れの芝生を掻き全身の力で押す
相手プロップがたまらず首を抜く
ピピーッと笛の音「トライ」認定トライだ
相手はたまらず首を抜いたが、その行為が無ければスクラムを押し込みトライとなっていたとレフリーか判断したのだった。
ゴール決まりこれで19点差。ここからアクシデントが私に起こる
自陣のラックを作っていたときに味方フランカー、次期主将の3回生が私の右膝へ逆関節に頭から当たった
「バキバキッ!ブチッ」激痛が走る
右膝を見ると、膝頭が体の中心まで横にダラっと下がってる(ヤバい、靭帯切れた)一時離脱して、テーピングでガチガチに固定する。
1年間絶対に怪我をしないこと
練習を休まないこと
これが4回生になった時に最初に立てた目標だった。ここでくじける訳にはいかない…
グランドに戻る右膝がブラブラする
その時相手陣でのモールで私は相手に右足首を固定された状態で仰向けにひっくり返された。右足首から「バキバキッ! バチン!」と音が鳴る
鳴らした相手は私の対面だった「やってくれるな こいつ」今度は右足首の靭帯が飛んだ
右膝と右足首が壊れるとさすがに精神力だけで走ることは不可能と判断せざるを得ない…
控えの後輩が「〇〇さん!!もうやめて下さい!!」と声を張り上げる
目を真っ赤にした後輩に「頼むぞ」と声をかける
後はあまり記憶にない
勝った喜びよりもこれで責任を果たすことができたの安堵感の方が記憶に新しい
風の便りで右膝を壊した後輩は亡くなったと聞いた
足首を壊した対面の男は元気なのだろうか
正座ができない膝を見ると
思い出すのが京大戦であり冬枯れの芝生だ