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映画感想 「北京的西瓜」

2022-04-17 08:56:04 | 映画感想
1989年公開
監督 大林宣彦

映画は実話からなる
千葉県船橋市のある八百屋の主人
「ベンガル」さんとその家族、仲間
在日中国人留学生との交流を
ドキュメントのように映し出す

時流、時勢が今の感覚で観ると
違和感はでる
この当時の中国と日本での貨幣価値
来日の目的は現在とは異なる
そこは、差っ引いて観た

八百屋の主人は、篤志家でもなく
毎朝、4時に起きて市場へ仕入に
向かい、休憩の合間に競馬場に行き
日々を淡々と、やることを成す
一市井の人

お金に困窮する、中国人学生は
八百屋の野菜が買いたいが
高くて買えずにいる

それから、物語は展開していく

実話での主人は
「長谷川勝」さんという方であるが
「目の前で溺れている人をみて、いてもたってもいられなくなった」と
おっしゃる

それから、見返りを求めない
奉仕が始まる

途中、どうして、ここまで
厚かましくなれるのか?と
中国人学生に思った

また、八百屋の主人に対しても
家族と他人(中国人学生達)と
どっちが大事なん?とも思った

美談ではあるが
誰か(家族)を犠牲にしての
美談はまやかしだろうと…

しかし、それを帳消しにするのは
あくまで、個人的ではあるが
主人の妻
「もたいまさこ」さんの存在だ。

はっとする、美人ではない
(ごめんなさい)
それでも、女優の
八百屋の女房になりきった風体
化粧っ気のない顔(無論メークはしてるだろうが)
なによりも、笑うと目がなくなる
笑顔が素晴らしい
落ち込んで、泣きそうになって
半べその顔もほんとに落ち込んでいる
んだな…と思う
店の金に手を出す主人に対しても
金切り声でわめくのではなく
止める声に品がある

もたいまさこさんが影の主人公である

映画終盤に37秒の空白があるが
これは、当時ならではのメッセージ
なった
西安的西瓜が本来の題名であったのを
あえて
北京的西瓜にしたのだろうか?とも
思った。

そして、同じく終盤での
もたいまさこさんが
中国人学生達に、礼を述べる場面の
セリフは
当時、現在でも変わらない
普遍のメッセージだろうと思う。







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