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「小説家は自分以上のものは、
決して書けないものだと思うんですね。
そして、作品にあらわれる、主人公は
その作者自身となんらかの
関係なしには書けないんです」
細部まで記憶してませんが
主旨はこのようなものでした
この引用は、遠藤周作氏が
エッセイで書かれていたものです
まだ、全作品を読み通したわけでは
ありませんが
遠藤周作氏の作品の主人公の
心理や行動
などを観察すると
やはり先生自身ではないかと
意を強くするのですね
「沈黙」の吉次郎
「侍」の長谷倉六右衛門
「男の一生」の前野小右衛門
「鉄の首枷」の小西行長
「反逆」の竹井藤蔵
「王の挽歌」の大友宗麟
「私が、棄てた、女」の吉岡
「スキャンダル」の勝呂
「海と毒薬」の私
「満潮の時刻」の明石
「深い河」の磯辺、沼田、木口、大津
小説だけではなく
作品や創作品は、その作者が
生涯をかけて創りあげたものと
思っています
また、作品や創作品など
興味もない方々もいらっしゃるとも
思います
例えば、一生本を読んでないとか
それでも、人間は
その言葉があらわすように
人に「間」があると昔の人は考え
ました
「間」は関係性でしょうね
若いときから、自立せよと
叩き込まれたように思いますが
最近、思うのは自立なんてありえない
と思うんですよ
どんな人でも
人と人との相互関係によって
成り立っているのだと。
なので、一生涯、作品や創作品に
触れない方々でも
人との関係性は必ずあるわけで
そこで、人生の目や考え方や
感性を奪い、自分の人生に
痕跡を残しているかと思うんですね
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