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友達がいない

2013-04-14 13:15:30 | 無題
私は仲間を失った。


端から見ればただ会社が事業撤退しただけだ。


人によっては

人間関係までを失うわけではないという人もいるだろう。


でも、私は、

何時間も相談にのってくれた、話を聞いてくれた人も、

困ったときに助けてくれる人も、

一緒にものをつくる人も、

それいいですねといってくれる人も、

情報を共有し合う仲間も、

みんな、みんななくなってしまった。


こわくなって、

それまでほとんどやっていなかったFacebookから、

友達申請をしていった。


Facebookの”友達”としてはつながっているけど、

やりとりはほぼない。

それどころか、今週末は、

みんなの更新がほぼなくて、

すごく寂しい。


みんなは今頃なにをしているだろうか?

忙しく会社で働いていると、

土日の休みも充実して、

用もなく隣りの街に足をのばしたり、

急にこった料理やお菓子がつくりたくなって、

材料を集めにまわったり、

緑のあるところにいきたくなったりして、

ネットサーフィンやネットの裏を眺めたりして

ダラダラすごすなんてこと

なかった。

それを思うと、

みんなは今頃どんな充実した土日や、

ほっこり癒しを求めているのか、

あの人は猫カフェにいっているのか、

絵を描いているのか、

フットサルへ行っているのか、

恋人や友達と、どこかへ出掛けているのかと、

思いを馳せても、

想像はつかぬところで、

孤独と虚無感に襲われる。


室温は20度近くあるのに、

すごく寒く、

心もとない。


こんなとき、

母親や、親友、はたまた恋人か。

あたたかいスープのように受入れてくれる人を求めて、

連絡をしたくなる。


けれど、

私にはその人はいない。


親は話せば揚げ足を取ったり、あたしは気に入らないという人で、

親自身も友達と疎遠になっている人だ。

親の親は、親が小さい頃に離婚し―

そんなことがあったからか、

愛の受け取り方も、与え方も知らないということなのか、

そう私の中で納得、解決させても、

辛辣な言葉をいわれるのは、

もういやで、

これ以上受入れられないほどキャパを越えてしまった。

自分より人が、子供が、秀でていることが気に喰わない、

プライドが高く自分を大切にしてもらえていないと感じることがあると、

かんしゃくを起こす、

そういった人だ。

ひどいことに大切にしてもらえていないとすぐ感じるところがある。



もう八方ふさがりで、

私は精神を壊した。

もうダメで距離をおいた。

何年も、何年も経って、

やっと私は小さい頃の素直さや、感覚

自分を取り戻した。

こうしなきゃダメだろうとか、

これができたら認めてもらえるだろうとか、

シャドーボクシングのような悩みはなくなって、

人に素直に頼れるようになったことが、

おかしな話かもしれないけど、すごく前進だった。


それまでは小バカにされないよう(小バカにされて育ってきたので)

1人でなんでもできるようにがんばった。

そして1人でできることが誇らしかった。


でも、そうすることで、

周りと関わる機会を絶っていたことが、

ホントに最近わかった。

ここ数年の経験と、本から得たことだ。


私をすごく愛してくれて、支えてくれたと感じる、

今でも感謝してもしきれないくらいの人たちや、

気持ちのいい人たちと出合ったここ数年。


私は、こんな人たちもいるんだ!!と、

新しい世界を見たようだった。


それまでも私は社会にいた。

でもそこは親と同じく陰険で、

人の足をひっぱったり、ひがんだり、

自分が楽をすることばかり考えている人たちばかりだった。


3年前くらいだろうか。

私は第失恋に終止符をつげた。

体をえぐるような悲しみから、

終わりが推測された、終止符を打つ前から、

私は心を癒す本や、心理学の本や、コミュニケーションの本を

たくさん読んだ。


それがあってか、

ただ目標に向かって邁進していたことがよかったのか、

1つのまた悲しみと苦しみののち、

私は出合った。


学びの場だ。

学びの場では、学生にそこそこつきあうことなく、

適当なカリキュラムで、適当に授業しておいても、

うまくするとだれからも悪くいわれない。

そういう授業を体験したことないだろうか?


しかしそこの人たちは、違った。

私がまさしくさがしていたところだった。

基本を知り、真に役立つ技術と、幅を広げる教養がほしかった。

私は研究熱心に取り組んだ。

自分で調べ尽くしてもわからないところや、

先生に訊ける時間は限られているのだから、

時間を無駄にしないために聞いた方が早いことは先生に訊ねた。

先生は嬉しそうに教えてくれた。+αも教えてくれた。


他にも同じような教室があって、

他の授業では本を見ればわかるような内容だという不満が

あちこちできかれた。

つまりそういう風に楽して、

教えている体裁もとることができるのに、

一流の先生たちを招いて、

その先生たちだれもが、

私のやっかいでめんどくさいであろう質問にも、

真摯に応えてくれたのだ。


教室最後の日。

その日は雪が降っていた。

私は紙袋に道具を入れて帰ろうとしていた。

先生は自らこのカバンを使いなさいよといった。

私は驚いたし、そんなの申し訳ないと

いいですよと断るのに、なんども言って、

半ば強引に貸しつけた。


でもそれがすごく嬉しくて、

私ははじめて大きく愛されている感を感じた。



そのときにはもう、私が頼りにしなくても、

助けてくれる、なんとか力になろうとしてくれる人になっていたのだ。

と、あとになった今、そう思う。


愛されるにはということを書いた本や、

有名なジョングレイの本を読んできて、そう確証を得た。

(特に女性のおいては)頼ること、

嬉しいことをされたら、素直に喜ぶことが、

相手を受入れていると、相手が感じる

コミュニケーションなのだと。


そして私は会社に入った。

それまでの職場は先にいったとおりだったから、

不安しかなかった。

でも、よく思い出すと、面接のときからそこは他とは違っていた。


私のつくったものを大変よく観察していて、

面接本にあるような決まりきった型のような質問ではなく、

目の前にいる私という個がある人物と話しているのだった。

私の技量、考えに対して、さらに質問をし、

対話をするような形だ。

すでに出してある提出物から、私という個人を少なからず捉え、

そこに可能性を見いだして、

面接に読んだのだという感じ

=認められているところがあるという感じ

がして、私は嬉しかった。

嬉しかった。

嬉しかった。



それまで接触した会社(働いていたところ、面接してきたところ)は

だれでもいい、

自分の理想の要件を満たして理想どおりに動いてくれる人がいいという感じだった。

じゃぁ、なんで私を呼んだんだ?と思わされることが度々だった。


任せてもらえる仕事が大きいから、

他も受かっていて迷った。

でも入った。

やる気があって生き生きしている人が多かった。

上司はよく私のいうことに耳を傾けてくれた。

圧力ではない、率直に期待されているところが嬉しくて、

そんなところでの毎日は、

これが”生きている”ということなんだなと思った。

もちろん事業撤退しなければならなくなったほどなので、

よい面ばかりはないが、

事業撤退表明以前からも、

退社していくほとんどの人が、

こんなに人間関係で悩まないところはないです、

とそこを幸せに感じたことを述べて

スキルアップのために去っていく人ばかりだった。


そんなわけで、

気持ちのいい人たちに囲まれたときもあったのだけれど、

今は、私の人間関係を保つスキルのなさのせいで、

友達機能の友達としてぐらいしか、

その人たちのつながりのないことになっている。


私は、ああいう気持ちのいい人たちとすごしていきたい。

そういう人たちと生きていきたい。


でも今ここは部屋に1人で、

電話も鳴らないし、

メールなども届かない。

SNS上から話し掛ける人もいない。


私から話し掛けたら迷惑に思われちゃう。

それはもう経験済みだから、

疎外されないように、

でも離れないように、

せめて、いいね!を押すのが精一杯なのだ。


それでも更新のないこんな週末は、

みんなどこへいるのだろうと、

寂しく、

やはり自分は孤独なのだと(いいね!などは見かけだけの。)

逃げ場がなく悲しみが襲ってきます。

有名になることを一緒に目指すのは難しい

2013-04-14 12:05:51 | 無題
有名になることを目標に、

一緒に活動していくというのは、

難しいことなんだなと思った。


コンビや、グループで、

売れようとがんばるとき、

メンバー個人間で売れる差が出た時、

どんなにできた人でも、

少なくとも複雑な気持ちになるだろう。


羨ましかったり、

素直に嬉しい面もあったり、

ひがむ気持ちも湧き出てしまうだろう。

そして同じところに所属するグループなのに、

自分はそのように売れない、できないとなると、

自分の価値やスキルをまざまと見せつけられ、

叩き付けられたようで、

辛さはさらに膨れ上がるだろう。



辛さを忍んで、

耐えに耐えて、

自分も負けないように、売れるようにがんばって、

やれることをやって、

やっと自分も売れ出して、

やりたいことをやって、

強く売れだしはじめたら、

すごく爽快だろう。


よかった差がなく売れだしたと喜ばしい状態だろう。

だけど、かえりみず自分のためにがんばって、がんばって、

自分のやりたいようにしてきたら、

それだけやらないと注目をあびれなかったとしても、

その点が目につくだろう。



オセロというコンビで

具体的な話をすると、

私は偶然にも小さい頃、ほぼ初めてテレビに出たところを見たことがある。

それは秘蔵映像として大きくなってからも1回だけみたことがある。

特番だったと思う。

売れている芸人が司会で、

駆け出しの芸人がいっぱい出て、

ネタを披露するために決死に戦う―みたいな企画だった。

できなかったら上から粉とか、大量の水、とかいうのだったと思う。

その中にめずらしく女の人たちを見た。

それがオセロだった。

女の人たちなのに、粉まみれ水でメイク落ちかけになって、

ヒドい状況で、

大変だなと思った。

芸人で女性は不利だなぁと、考え、

だから女性芸人が男性に比べてすごく少ないのかぁと

わかったできごとだった。


私はお笑いが好きだったので、

女性でも品格を保ったまま、女性らしさを保ったまま、

売れていくことはできないのかということを

何回か深く考えたこともあった。


その大勢の中の埋没しそうな2人のことを私はときどき思い出していた。

女の若い芸人さんいたよね?

と思っていた。

そう、その出演以降、

ずいぶんと長い間テレビで見かけることがなかったのだ。

やっぱりダメなのかなぁと思っていたある日、

テレビで見かけるようになった。

汚い格好させられていない、

綺麗なお洒落したお姉さんたちが、

昔の女芸人のようにキャンキャン声たかく主張強くいうのでもなく。

私は、わぁ、と思った。すごいと。

お洒落させてもらってる、よかったねと思った。

でも下品なことをしないでやっていくのは、

難しいんじゃないかなぁと不安な気分だった。


だけど、2人はそのままのスタイルで、

テレビにもどんどん売れだしていった。

そんなある日、

黒い方と呼ばれている人の方だけが、

なぜかテレビに多く、レギューラーに多く出ていることに気づいた。

なんで?どうして?と思った。


白い人の方は辛くないのだろうか?と思った。


そんな折りテレビで、見た目と違って、

白いから気弱に見える方が、実は気が強くて、

黒いから気が強そうに見える方が、実はナイーブなのだということを聞いた。

いや、雑誌で読んだのかもしれない、そこは忘れた。


意外でとっても驚いたけど、少し安堵した。


それからも黒の方はどんどん躍進していく。

笑う犬や、人気の高いバラエティーで女性芸人をここぞとおいて置きたいような場面では、

かならずその黒い方がレギュラーとしてポジションしていた。

ついに中井正広のブラックバラエティーにも出だした。

どの番組でもよくいじってもらえていた。

それを、もうやめてくださいよ~ということでネタを成立させる形態が多かった。

実家は詩吟をやっていて自分もできるすごい特技もあるんだというのも知った。


キラキラアフロがそれと前後して、はじまった。

テレビ東京の深夜だけど、

つるべさんと2人で出ていて、

立ち話トークがおもしろかった。

つるべさんがまたうまいことつっこむ。

驚くほどボケたところのある白い人と組み合わせがよく、

楽しかった。

番組が長くつづくにつれ、

バンドをやるとか、企画をしだした。

その前かあとだったか、

事務所を離れて個人事務所に移ったというニュースを聞いた。

よく状況がわからなかった。

え?バンドをメインにしてやっていきたいのかな?

コンビなのに事務所が違うって変だな、途中から移るって、2人でじゃなくて?

と、白い人の思惑が分からなかった。

そして個人事務所に移籍しないのを選んだ黒い人の真意も伝わって来なかった。

そりゃぁ、大手事務所にいれば、

いろいろと安泰だろうけど、

これだけ売れてくれば、

円満退社でがんばるっていうのも聞かない話じゃないしなぁ

と思った。


実際の次女はどんなことがあったのかわからない。


でもバンドをやる、事務所を1人で移ると聞いたとき、

なんだか気が強いと感じたし、

私は私のしたいように、やりたいようにする!!という感じが伝わってきた。

あんまり平穏な感じはしないし、

こんな人についていく人いるの?と思っていたけど、

つるべさんは応援しているみたいだし、

お客さんも応援しているみたいだったから、

こういう人がかっこよくて支持を得たりするのかなぁとか思って、

そういう風にできたらなぁなんて、おぼろげに思った。


バンドはそんなに盛り上がらないんじゃないの?

それ結構メインでやっていくつもりなの?

私はお話をしているところが面白くて好きだけどなぁ

そういうものかぁ、

と遠くへいってしまった=私の共感できないところで活躍していくんだろうなぁという

時、バンド解散しますという話が出た。

えー!と驚いたけど、

なんかよかったとも思った。

感覚的にはそんなにバンドが売れているように感じなかったし、

デザインもやりたいっていってやってるみたいだったけど、

私のところまで届くほど、

売れている感じはしなかったから、

それでもそっちの方でやっていくのは、

以前と比べると苦しいのではないのかなぁと思っていたし、

また面白い話が聞けるようになってよかったと思った。


他にもグータンヌーボとか、

おしゃれキラキラ女子番組に出ていて、

それが容姿ともにマッチしていてよかった。



そんなこんなで2人はそれぞれ、それぞれなりに、

売れててよかったなぁと思っていた。


けれど、

黒い人はやっぱり思うところがあったようだ。

そのバンドやデザインといった好きなこと思う存分するということ、

事務所移籍という、

ごたごたに一瞬見えて、

流れていったから、気にしていないのだろうと思っていたことは、

実は当の本人たちは、

自分の中でごたごたしたことだったのだ。


事務所を移籍した経緯は、

黒い人ばっかり事務所から売り出されていって、

扱いが違ったことに不満を持っていた、

挑戦したいけど、今の事務所じゃできないから、

つるべさんのすすめもあって移籍したということだった。

そういえば移籍したら仕事なくなるんじゃないかと私は不安に思ったけど、

どうだろう、まったくそんなことはなく、

その後もテレビで活躍していたのではないだろうか。


やっと得た自分の活躍できる場所、バックアップ、

そして確立した自分のポジション

=天然ボケなところがあるお洒落キラキラ女子、いろいろあってもハッピーさ

そんな前向きでおもしろい、チャレンジ精神あふれる人を、

応援してくれるファンは一定層必ずいる。


黒い方が移籍しなかった訳。

これは普通に考えて、大手だし、今まで相方よりも、

自分を優先して売り出してくれたところに、

未練というか、離れる理由なんてないだろう。

これからも強力に売り出してくれればなぁと思うだろう。

相方は移籍するっていうけど、

事務所に認められて、先に売れていた自分が、

なぜくっついていくように移籍しなければならないのか、

そんな個人事務所はすぐつぶれてしまうんじゃないか、不安。

そんな思いがあったのではないかと私は推察する。


ここまではまだよかった、それでもそれで収まっていた感じだった。


でも占い師やなにかにのめりこんで今のようなちょっとおかしい状態に

なったのは、それだけが原因じゃない。



そこまでいくのに、私生活の面も2人は逆転していったのだから、

そこまで精神を壊してもおかしくないと私は思う。

白い人は恋人ができ、順調に結婚、出産までいく。

黒い人はそれとは逆に、イケメンのモデルタレントと破局、その後いい話はない。


仕事も恋愛も逆転していくと、

悔しいという思いと、

自分より下だと思っていた後輩でもない、同じグループの人間。



そういえばそういうのって結構ある話だなと思い出した。

ジャニーズの人たちはそういうのほとんど聞かないし、

そんな雰囲気(結成したばかりの頃はあるけど)ないところがすごいなと思う。

むしろグループメンバー同士を尊敬し合っていて、仲がいい感じだ。

他のグループはだいたい、ひがみや争いみたいのが見え隠れするし、

意見の相違といって辞める人もいる。

お笑いコンビだったのに相方のフォローもせずなんにもできないといって、

いつの間にか相方がいなくなっている人もいる。

一方で、単体ではおもしろくないと評される相方と

おもしろくするよう、面白くするようしてきた人もいる。




結成前から信頼感があるかないかなのかなと思う。

目標を目指して集まった人とグループを作った場合より、

もともとから友達とか、先輩後輩とかの方が、

仲間意識、一緒にがんばっていく―というのがあるみたいだ。






そして私は、

自分の孤独と向き合うのだった。