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『ザ・シークレット』ー場面と場面のつなぎは叶えられていない

2013-09-08 13:43:02 | 無題
確かに思い描いたことが、

現実になったことはある。


それが

サーフィンをしているみたいに、

次々にうまくいくこともあれば、

あるときから、まったくダメになるときもある。


きっとそうなるだろうと安心感持って待っていて、

その描いた時期が近づく頃になるにつれ、

忘れるほど自然になることができたのに、

すぎて思い出してみれば、

まったく叶わなかったなということもあった。

きっとあの人がまた集まる機会を作ってくれるだろう、

それは6月頃にと。

でもなんにもなかった。


同窓会はいつも起こっている。

同窓会あればいいなぁと思った次の瞬間に電話のベルがなったり、

メールが数週間の内に届くのだ。

同窓会するのですが、ご都合はいかがですか?と。

しかしこれはもう叶わないだろう。

前回の同窓会でこりごりしたし、

私はもう同窓会にあまり夢がない。

いいこともあったんだけど、

よくないこともあって。

でもとくにしくじったということもない。

同窓会にもう未練がないのだ。

もしかしたら・・・程度の希望的観測だ。


人間関係は相変わらず、

その場面場面が叶うだけだ。

すごく嬉しいことを言われたり、されても、

その人と未来永劫長くつづいているわけではない。

相変わらず、疎遠という言葉が似合う私になったしまった。


本当はすごくつながりたい、

以前の職場の人とも、ちょくちょく飲みに行ったり、

なにげなしに遊びに出かけたしたい。

そうFacebookで見かけるように。


彼氏できなさそうだなぁと思っていた後輩には、

次々に彼氏ができるし。

うらやむほどの彼氏ではないけれど、

やっぱりそばに寄り添ってくれる人がいるっていうのは、

精神的にぜんぜん違う。

心安らかだ。


あー・・・。相手の心がわかるときはね。



私は相変わらず今の会社を辞めたい。

どうしても前の会社との差を感じずにいられない。

上司はよくきく自分保身の目上にごますり、

会社に野放しのペットがいるし

求人や面接で聞かされていなかった。

それなのにへらへら知らせてなくてごめんねって。

嫌いだっつーの。

明日休みって言われてたのに、

やっぱり試用期間だから、私はダメだって、ごめんね

ってまたへらへら謝る。

そのくせ、週報を送ったかと聞かれ、

送りました

きてないです、いつ送りましたか?(この時点で既に食い気味)

ああ、送れてないですね、もう一度送ります。

今送りました

(確かに送ったはずだけど、

関係ないメールまで送られてくる仕組みにうんざりしていて、

よく理解できない他の仕組みにうんざりしていたから、

さっさと再送する方がよかった。

探すのがめんどくさかっから、あまり探さず再送した。)

しばらくすると、

一言いいですか?誤ってもいいんじゃないですか?

だって。

とりあえず、すみませんと言ったけど、

内心、うざいなと思った。

週報を出すなんてことは知らされたばかりだし。

いつもなんでも直前に言われる。

それなのに新しい初めての仕事がどんどん振らる。

だからスケジュールが見えなくて不安だ。

それなのに、

今月は何万達成してほしいですねとか言う。

そのことも伝えたけどぜんぜん改善されない。

人がたくさんいる会議の前では、

先輩が今月は難しい案件(気難しい客の案件)ばかりだったので、

大変でしたという報告をすれば、

上司は、自分は考えて適材適所で仕事を振っていると言って、

他の人より随分長々と話した。

自覚してるみたいで、

長くなってしまいましたが終わりますって。

さらに先輩かその上司かがやる仕事で、

先輩が休みだったから、

チェックを単でもいいですか?ときけば、

それはやりたくない仕事ですね~って。

笑いもしないで言ったから、

冗談でもなくまじめにやりたくないんだろう。

え?;と思ってたら、

今の仕事の量だったら(先輩の方)さんに振ってほしいです。

って、

マネージメントもなにもないなと思った。

それだったら普通に、案件を振り直せばいいのに。

リーダーかその先輩どっちかしかできない仕事なのに。

なにかあるごとに、

自分は制作をやっても評価されないから、

簡単な案件だけやるが口癖だし。

書いててひどい上司だなと、

もっと益々はっきりした。

それは悲しいですね、

なにで評価されるんですか?と聞けば、

少し間があったあと、

チーム全体の評価で

と言った。

え、それって・・・と思った。

マネージメントでと言えばまだわかる。

チーム全体の売り上げとか評価で、

上司自身が評価されるなら、

おまえももっと手伝えよと思った。

エクセルで超多項目にわたる管理票を作って、

現場の人にしょっちゅう書かせる時間とらせてないで、

おまえがもっと積極的に自分から管理しろよと思う。

前の会社の上司はそうしていた。

だから制作に集中できたし、

その上司は制作はほとんどやったことないのに、

頼ればビシッと決めてくれるすごい人たちだった。

頼もしかった。



私はもう会社の仕組み全体に嫌気がさしていた。

隣のチームに同じ案件のことについて質問するのも、

頼むのも、事務的なめんどくさい手続きが必要。

すごい量の項目の、

使いにくいシステムを通して申請しなければならない、

誰が担当なのかも、

共有されていなくて、

わざわざ離れた部署の人に、

だれが担当ですか?と聞かなければならない。


管理票のたぐいがいくつもある。

それらにいちいち同じことを入力しなければならない。

顧客の細かい情報、管理用の番号、

どこの部署のだれが営業の案件か。

それをすべて手入力。

顧客情報のデーターベースにたどり着くのも一苦労。

そこからコピーするのも、

ちかちかするほど小さな字と、

スペースのない項目、

わかりにくいボタン、

使いにくすぎる。

そういう声が出てるのに改善しないどころが、

どこが使いにくいの?俺はそう感じたことねぇけど。

とひょうひょうという上司の上司も嫌いだ。

あなたが、会社の改善点をどうしても挙げろというから言ったのに。

その後延々と、改善する必要がないことを語られる始末。

うざい。


前の会社なら、

一つ文字を入れれば候補が出てくるようなシステムだった。

社員同士でも、なにかの申請でもなんでもだ。

IT業界なのにシステムが生かされていなくて、

パソコンを使っているのに

アナログな作業をしている気分って、

どういう状況だろう?



長期的な目標を言って。

フリーランスになりたいと思ってrの?っていうから、

面接のときと同じアートディクレターになりたいことを伝えると、

今の状況でどうやってなるの?

っていうから、私もそう思っていますが、

とりあえず上司に相談上司に相談していますといったら、

うん、と納得した顔を見せたかと思えば、

まぁ、目標はかわらないとおかしいからね。

だって。

どういうつもりで採用したんだ。



前の会社だったら、そんな返しはない。

それに向けて、今の実力にあった案件が振られることになる。

私の場合は少し背伸びした案件だけど、

現状、アートディレクターに向けて必要な実力がつく経験をつませてもらえるのだ。

フリーを目指していたり、事業を立ち上げたいという人たちも応援する。

そういう社風だ。


けれど今の会社はそういうさわやかで生き生きした会社風を装っているにすぎない。

中身はほんっとうに古い、古くて固いいかにも保守的な日本の会社といった感じだ。

IT業界にいるとは思えないほどだ。

若い人も上司になれるのかと思えば、

きっちり年功序列だったし。

見た目が若いだけだった。 


ビルもカーペットも汚い、

お手洗いも古くて冷房が効いていない、

いやがることをおもしろがってしてくる、

これはそういう社風なのか、私だけじゃなく

されているのもよく見かける。


私はもうブチ切れそうだ。


そして悲しい。



前の会社と違って、結婚している男性ばかりだから、

会社に出会いを見いだすこともできない。


上司の引用スピーチを毎日聞くのもうんざりする。

それを得意げに話すところが嫌だ。


前の会社の人たちなら、

そういう共有は得意げに行ったりしない。


一番嫌なのが、上司にこうしてもいいですか?というと、

必ずすぐ、ダメーと返ってくることだ。

よく話を聞かれることも、検討もなし。

もう一言二言私がいうと、

ああ、それならいいよとなる。

だったら最初からそんな抵抗見せるなよと思う。

人の話を聞いてみようとか、

興味をもつということがないのが、

本当に嫌だ。

前の会社の上司たちと違い一番の点だ。


前の会社の上司たちは、

目下だろうがなんだろうが、

意見や話を聞く。

よく聞く。

そして会話のキャッチボールがあって、

共感を示してくれる、

上司の考えが知れて、

それでそれが許可できるか、できないかが述べられる。

許可できないということはほとんどなくて、

今はダメだけどという感じだ。

それは子供だましで今はいいというのではなく、

本当に徐々にそれに向かっているのが日々感じられるのだ。


こういう上司を信頼しなくてなにを信頼するというのだろうか。

私はそういう上司を信頼していたし、

真の意味として上司に力(権限、叶える力)と行動力があるのだと感じて、

上司としての尊敬の念も抱いていた。

本当に任されているんだなぁとか、

本当に上司の上司にかけあってくれたんだなぁとかだ。

感動した。

だから上司についていこうと思ったし、

理不尽なことがあっても、

きっと上司が考えたことだから、なにかあるんだとか、

私には見えていないことがあるんだと思えた。

それはとても心地よくて、

安心感もあった。



でも前の会社が一番よかったのは、

”私を受け入れてくれたことだ。”

面接のときからはじまり、

私のこと、

私という固有の意思を認めてくれたことが、

私があの会社がよかったと思う一番の点だと思う。

それがあったから、ドミノ倒し式に、

他のことも肯定できたのかもしれない。

自分を信頼してくれる人を、

私は信頼せずに、

なにを信頼するというのだろうか。


それまでの会社も、今の会社も、

今の会社につく直前に働いていた事務所も、

別に私でなくてもいいなと思う。


もちろん前の会社の仕事だって、

私じゃなくてもできる人は世の中にいっぱいいる。


でも、面接のときに、

私がそれまでクライアントさんのために一生懸命考えたことや、

自分なりに目指している道に関係あることを勉強したことや、

これからの目標などを、

肯定して認めてくれて、採用してくれて、

採用後もそれは変わらず、期待してくれていることを感じたのは、

私は涙が出るほど感動したことで、

すごく嬉しかったことだ。


今まではアルバイトだと誰でもいい仕事なのだろうなと思っていた。

だけど今の会社で正社員になって、

なにか変わったかって言うと、

なにも変わらない。

上司や会社に意見を言えるか言えないかは社風だし、

意見を聞いてもらえるかどうかは、

入社ご非常に気を使って、上司にごまをすりつつ、

なんとか意見を聞いてもらえるように努力するしかない。

尊敬もしていない上司にごまをすったり、

言うことを聞くなんて。



前の会社は願いが叶った会社だったんだけど、

事業部撤退しちゃって、

なくなっちゃったんだ。



つまり、

願いは長続きしないってこと。



恋愛の場面も、

仕事の場面も、

友達の場面も

叶ったんだけど、

ずっと続いているわけじゃないんだ。




個人の仕事に受け方を考え直したとき

2013-09-08 12:14:01 | 無題

新しい個人の仕事に興味がなかったわけではない。

経験をつけるためにと、

ほぼただ同然で引き受けた仕事が駆け出しのころにあった。

でも、最近、そういう仕事の引き受け方はよくないなと自分をいましめたところだった。

安くてもいいと思っているクライアントさんは、

ホントにそれに対してどうでもいいとか、

効果をそこまで期待していなかったりするんだ。

私は広告のデザイナーでもあるのに、

それを頼りにしてくれる感じはその人たちからはしない。

デザインの力を信じて、頼りにしてくれるというのもなければ、

ただ同然でやっているのに感謝されることもないんだ。

中にはその金額でもわがままを聞いてくれるのが当然と思っている人もいて。

いい加減疲れた。

逆に、安いから希望を言い出しにくいというのもある。

だから自分のためにも、クライアントさんのためにも、

安く引き受けるってよくないなと思った。

それでそういう仕事の引き受け方はやめることにしたんだ。



それでも好きなことだから、

やりたくて引き受けちゃいそうになるところを、

よく考えて決心したところだった。



それでもやりきりの仕事なら引き受けていたかもしれない。

やったことない部類だったり。

でもサイトを、しかもお店のサイトをつくってほしいというのもネックだった。

それって、運営はどうするの?と思った。

新しいカフェが更新がないわけがない。

メニューを改定したり、テーマのあるカフェだからイベントみたいなのを

やるかのうせい、思いつく可能性だってあるし、

店主が思いつかなくたって、私が思いつく(もう思いついている!)

そうしたら提案したくなっちゃうじゃない。

でも、そういうのもうやったことある。

そういう提案だって更新だってお金がかかるのに、

それを知った途端そういう人たちはしぶる。



そういうカンタンに考えている(カンタンでいい、安くていいという)人は、

その後のサイト運営のことまで考えていないことが多い。

更新するのだって料金が発生するし、

存続させるのだって料金が発生する。

ネット上でタダで気軽にいつもコンテンツを見れるし、

ブログやSNSという無料でサイトが作れるのもあるから、

サイトを作るのはカンタンだと思っている、

それなのに、やってみたら自分でできなかった、

でも本当にごくカンタンなのでいい、ネット上に自分のサイトが存在している

という、その事実だけでいいから、

サイトを作れる人にはお茶の子さいさいだろうから、

(お茶の子さいさいってかなり久しぶりに使った。おもしろい響きだ。)

小遣い稼ぎ程度にやってくれないかなぁというのがある。




私がもうデザイナーとして自分の地位を築いていて、

安定もして、蓄えもあったら、

引き受けていただろう。

小遣い稼ぎや、もしかしたら、そこからなにか縁があるかもしれない、

新しいご縁にワクワクして。


でも現状、そういうのはないし、

安く引き受けたところからは今のところご縁がない。

それどころか気まずい。


安く引き受けたけど、自分の持てる知識とアイデアの限り、

広告や企画を提案もしてきた。

賛同もしてくれたし、感心されたり、

そこまで考えてくれて嬉しいと言われたこともあった。

でも、

その後頼ってくれたり、

相談されたり、

感謝されたり、

新しい仕事があるかというと、

そうではない。


私のその人たちの価値というのは、

安くやってくれる

それにつきるのだ。

世の中に広告(マーケティング)や企画という仕事がまるでないかのように、

まさかそんなのでお金とらないでしょうね的なほどに。


わからなくもない。

私も小さい頃、広告代理店という職業が意味が分からなかった。

同じく不動産屋もそうだ。

中間に立って、ああだこうだいうだけで、

巨額を動かしだれよりも利益を得るのが、

信じられなかった。

なぜそれを世間は許しているのか。

中間はなしに直接やりとりすればいいのじゃないか。

不思議だった。


でも今ならわかる。

企画やアイデア、そして専門知識は、

専門家に頼んだ方がいい理由を。

毎日それを専門に行っていて、(業界を超えた)周辺のことも知っている人と、

その業界のことだけ、自分のお店、会社の商売、知識を勉強するべき人と、

考えると、自分のするべきことに時間を使い、

広告や企画等は専門家に任した方が、

時間を有益に使える。

どこの印刷所に頼もうかとか、どこの制作所に頼もうかとか

頭を悩ましたり、うまくいかなかったらと不安を抱く必要がない。

人によっては何色が効果的なのかとか、

(色が効果を与えることすら知らない人までいるから、

何色でもいいと思っている人もいる)

自分でつくってみたけど、なんかかっこわるいななどと、

頭を悩ませ必要、そしてその勉強時間を他にあてられる。


不動産だって、いろいろ法律があって、

それを考えたり、契約書等の事務的なことや、

お金を払ってもらえなかったときにどうするかということを考えると、

頭が痛い。

それらを解決する手だてが既にある専門家=不動産屋に任せた方が、

数百倍楽だし、安心感がある。



けれども―

まだ私はそれが叶っていない。

自分に高額の仕事が舞い込んで来たり、

以前知り合った人から、

あなただから頼みたいと、

どうしてもぜひとお願いされることが。



名指しはあったけど―

あれはきっと私がヒマなんじゃないだろうかと思ったからじゃないだろうか、

あと、他に頼める人がいなかったからだろう。

同じチームのデザイナーに一斉送信で頼んだけど、

総スカンをくらったから、

あと話したことのあるデザイナーもいないし、

消去法で私だろう。


そのときだって私は嬉しかったけど、

照れ隠しや周りの人が忙しいのにリーダーを通さずに頼んでとやいやいいってたから、

忙しいのにと、少し抵抗を見せてしまった。

本当は飛び上がりたいほど嬉しかったのに。

もう彼女は私に仕事を振ってくれないだろうなぁ。

その前にまずSNS上だって友達にはなってないし。

連絡する手だてがないよな。


なんて、考えたりして。



ザ・シークレットーたやすく叶ったこと

2013-09-08 12:13:02 | 無題
『ザ・シークレット』を読んで、

そういえばそんなことあったなということを書く。


私はまだシークレットを読んでいなかったときにあった話だ。


引き寄せの法則とかも知らなかった。

言葉は見かけたことがあったけど、

法則とか方法とか知らなかったし、

なんとなく今まで手を伸ばさなかった。

今月頃から読み始めて、

そういえばそんなことあったなということを書いている。


2ヶ月前、7月の話だ。

美術館の展覧会のペアチケットが当たった。

当たったことはあまり不思議ではない。

初めて登録したところだと、

だいたい当たりやすい。

問題は、誰といくかだった。

私は友達が少ないし、

彼氏もいない。

慕ってくれる人もいないから、

美術館なんて人にとっては退屈なところへ誘える人なんて

ごく限られていた。


誘いたい、誘ったら乗り気になる人が3人浮かんだ。

1人はーああ、もう田舎に帰ったんだった。

ということですぐにダメだと。

それに彼氏ができてから、なんだか私とのやりとりも粗雑だ。

気分がよくない。

2人目はーまだ実際は会ったことない人だ。

そのチケットが届いた日(土曜日)に初めて会う人だ。

前々から美術に興味があることは知っていたから、

きっと誘ったら行くというだろう。

でも、駆け引きなのか、たまにそっぽを向くことがあるから

どうだろう?

まだ会うばっかりだし、それで次私からこんなのに誘ったら、

勘違いさせてしまいそうだな・・・。

そういう関係にはなりたくない。

期待させる関係にもだ。

3人目はーこの人が一番うってつけ。

展覧会が好きで、展覧会を一緒にいく友達だった。

むしろ展覧会がないと一緒にどこか行ったりしたことがない。

美術学校から帰るときに、一緒に帰ったくらいしか接点がない。

でも、

その人のグループ展の知らせよく写真付きで毎回くれたけど、

一斉送信とわかってから返信しなかった。

いつもどうやって行けないことを返信しようか困っていたから、

気が楽になったけど、

それでもずっと足を運ばない、メールも返さないで、

申し訳ないなという気持ちがあった。

精神的に不安定になっていると最後に会ったとき言っていたし、

たしかに話を聞いていて、

おかしいなという感じだった。

私もそのとき、精神的に不安定ーどころかその人よりマズくて、

自殺を考えている日々だったから、

力になってあげられなくて、

距離を置いていた。

新年のあいさつのメールが来たけれど、

携帯が壊れて前の携帯からメールしていますと、

液晶の割れた、壊れた携帯の写真付きで来たから、

怖っと思って、

さすがにこれはないと思って、

新年のあいさつすら返信しなかった。

もうこの人に返信するのやめようと思った。


それから7ヶ月だから、

まだ精神的に不安定かもしれないし、

よく思い出してみると、

その人の話はあるときから愚痴ばかりになったことを思い出した。

最初の頃は、社交的で積極的な、

はつらつと生きている人、

仕事もお金も人間関係も、

私とは逆で不安なく生きている人に感じられた。

けれど、

あるときから、話は逆になり始めた。

仕事場の人たちとうまくいっていない、嫌だと感じている話。

仕事の愚痴、職場の人の愚痴が永遠続いた。

私も心が折れそうなほどだったのに、

次から次にでる愚痴に、

私は自分の話は話せなかった。

もし、それはまだいいよーとか言われたら、

ポッキリ折れて立ち直れる自信がなかった。

たったその一言でダメになるほど、

私は精神的に衰弱しきっていた。


愚痴を聞いていて疲れた。

会う度に、嫌な話か、

もしくはそれを癒すために通っている、

話がためになって頼りにしているというヨガの先生の話と、

一緒にどう?という話

ーを断るのにうんざりしていた。

あやしい話なんじゃ?と思って。

ヨガもやらないし。家からも遠いし。

その先生への崇拝度合いがーなんか気持ち悪かった。

なにかお布施してるとかいう話は出てこなかったけど、

持ち上げ具合が。


そんなこんなで、お正月のそれがあって、

もう完全にないなと思っていたことを思い出した。

展覧会に誘われない限りないなと思っていた。

自分から誘うのはなしだ、と。

でもお正月の挨拶メールも無視したから、

もうないだろうなぁと思っていた。


が、


日曜日、つまり次の日、

彼女からメールがあったのだ。

内容は、友達がカフェを始めるから、

そのサイトを作ってほしいというものだった。

ごくカンタンなのでいいからと。

お仕事の依頼思いがけずあったことも嬉しかったけど、

私に頼んでくれたのも嬉しかった。


でもよくありがちな安くすみそうという発送なら断ろうと思った。

でも最後に会ったとき、私はまだデザイナーとして就職していなくて、

その人から見たら、うまくいっていないように見えただろうから、

いきなりメールで事情をずかずかと聞いて、

私はもうデザイナーとして経験を経ていて、

正規の値段を取るからとメールで話すのは難しく、

気が進まないなぁと思った。

それに、それはダメだとしても、一緒に展覧会に行けたらなぁと思った。

メールの感じからすると、

精神的に立ち直ったのかはまだちょっと不明だったし、

仕事を引き受けるにしても、

その人との間である彼女がおかしかったら心もとないなと思った。

もしかしたら、そのお友達も精神世界に肩入れしている

やっかいな人かもしれないし、と。


それで、

ひさしぶりに会うし、

よく話を聞きたいから会おうよ、

ちょうど展覧会のペアチケットが当たったんだ、

一緒にどう?

という内容を送った。


できればその日がよかった。

私は2週間後には、土曜日も出社する日がある会社で

働き始めなければならなかった。

具体的に土曜日のいつ出社か知らされていなかったし、

そんな不規則かつ長期労働で、

週末元気に展覧会なんか行けるかわからなかった。

だから、その日がよかった。

次の週の土日は旅行帰りであり、

出社前の土日だったからゆっくりして体力をためたかった。

その日がベストだった。


私は、どうかなぁ~?急かなぁ~?と、

祈るような気持ちだった。

メールを送ってみた。

すると、いいですよ、ちょうど今日暇してたんですと

返信があって、その日に一緒に展覧会に行くことになった。


メールがあったのは午前10時頃。

展覧会へは午後2時に。


私はこうなればいいなぁということが叶ったのだ。

まさか彼女の方からメールがあるなんて、

しかもこのタイミングで。


お仕事の話は結局、

業者に頼むとすごくお金がかかるから、

私にということだ。

がっかりしたけど、

それでも私を思い出して頼んでくれたのは嬉しかった。

彼女は精神的に安定したということだった。

前の会社はやめて、木の家具職人のところで職人見習いとして

働いているとのこと。

気に障っていたい、ものを作るのが好きといった彼女は、

彼女らしかったから、それでよかったのだろうなぁと思う。

でも相変わらず、

職場の愚痴を言うのは変わらなかったけど。


私は自分のポートフォリオを見せて、

2週間後に新しい会社で働くからすぐにはできあがらないと話した。

それでもいいか聞いてみるというから、

私に頼んでもそれくらいかかるよといって、

そうかぁとこの話は終わった。


展覧会は楽しかった。

見応えもあったし、

帰りに食べた夕食もおいしかった。




ザ・シークレットー相違がある点

2013-09-08 10:16:45 | 無題
『ザ・シークレット』を読んで、

そういうことあったなという、

こころあたりある、あったことを前回書いた。


今回は逆に、そんなことない、あったことを書いてみようと思う。


いつも思っていれば叶うとあるけれど、

いつも思っているより、

いつも思っていたけど、

執着がなくなって、他のことに集中しだしたら、

いつも思っていたことが現実になったことがある。


例えば、特に私に場合は、

恋愛なんて縁がないんだけど、

小さい頃から、

お姫様抱っことか、

あつくてロマンチックなキスをの場面を

思い浮かべては、

そうなるといいなぁと思っていた。

他にも、マンガで知った壁や木に追いつめられて、

腕で囲まれる(今でいうところの壁ドン)とか、

憧れた。

眠る前に、そんな場面を想像して楽しんでいた。

そしていつか王子様みたいな人が現れるといいなと。



私は恋愛経験も乏しくて、

ほぼつきあったことがなかったのに

突然それらは叶った。


私は俳優女優を目指していたから、

よし、もう恋愛なんていい、

これからは夢に向かってがんばるぞと、

書店でオーディション雑誌を買った帰りだった。

帰りながら女優の道に向かって集中した自分を感じていた。

すると、

「すみません」と声をかけられ、

振り返ると、

そこにスラリと背の高いカッコいい人がいた。

「すみません、っていうか、好きです。」

私は、はぁ?と思ったけれど、

そこは繁華街でもなく、

住宅地だった。

駅からも離れていて、

歩いている人もほとんどいない。

ナンパにしては変だった。


それから・・・

それから書くとすごく長くrなってしまうから、

ここでは端折るけれど、

壁ドンも、情熱的でロマンチックなキスも叶ったのだ。

お姫様抱っこも、その人とは別の人だけど、

突然、叶った。

そんなことしそうな人に見えなかったから驚いた。

メディアのアンケートとかでも、

お姫様だっこは起こりにくいものだし、

実際問題、重くて難しいということで、

彼女がどうしてもしてほしいというならやるといったのを見たことがあったから、

現実的にはー特に私なんかには、

夢の話だと思っていた。



でも、結局私はその人たちを信用できなくて、

ーつまり体目的なんじゃないかと思って、

つきあうというような日々(普通にデートを重ねて徐々にという)も送れなかったし、

そういうのがないからこそ、信用できなかった。

エッチもしなかった。

好きだったけど、すぐに別れることになった。


つまり要約すると、

いつも想像していた場面は

突然叶った。

でも、

想像した場面、場面が叶うだけで、

その前後がなかった。


その前後を、その場面、場面と同じくらい想像していたわけではない

ということがポイントだろうか。


シークレットにはまるでも体験しているように想像するとある。

私は普通のー理想の、恋人同士がどうやって出会って、

どうやってつき合うところまで自然といき、

どうやってその後の日々を重ねているのか、

ぜんぜん知らない。

ドラマやマンガくらいで、

現実的にはどういう感じなのか知らなかった。


現実的には、

相手だって好意を抱いている人の気持ちを知るのに臆病になるから、

ドラマやマンガみたいな熱烈で積極的なことが最初からあるわけではなく、

ごくごく普通の会話から、

相手が自分に興味を抱いてくれているか、

落とせそうかを探る感じだ。


でも私の場合はそんなことしている(されている)内に、

意外ととっつきにくそうとか、

見た目と違ったとかで、

好意自体が消えていくみたいだけど。

そうじゃなかったら、

私がうまく返せなくて、

無理そうとあきらめる感じだ。

そこまで熱を上げるほど好意があるってわけじゃないからだろう。



叶った話を書いてしまった。

でも近年、最近は、

彼氏や友達がいて、

普通にメールが来る想像をすることがある。

それは実体験感覚を伴ったものだ。

シークレットではもう得ているかのように想像することとある。

そうしているんだけど、

今のところ、

彼氏も、

ほぼうから誘ってくれたり、連絡をくれる友達も、

いない。


友達で思い出した。

この前あった思ったことが叶った話を

書こうと思う。


けれども、

叶わないことがあること、

混乱していることを

その次に書こうと思う。