おはよう御座います マントで~す
マントが介護に携わったのは今から40年前 17歳の頃!!
うら若き乙女の時代 今じゃシワが増えてオバちゃんになっちゃいました
昨日に続いて父の話しになります
父が51か52歳の頃 お酒を飲んで大声をあげ近隣に迷惑をかけていました
飲まなければ真面目な良い人なんだけど・・
段々言うこともなくなり
飲んでいるので睡魔が襲ってきたのか二階で寝てしまいました
何時頃かは忘れましたが 2階から物が落ちたような鈍い音“ドスン”と・・
何だろうと思い行ってみると 父が階下で倒れていたのです
飲んでいるから様子を看ようと思って階下の部屋で寝かしたのですが・・
徐々に酔いが醒めだした父が『身体が動かない?』と訴えたのです
急いで救急車を呼んで病院へ行き検査したところ
頚椎5・6番目の骨が少しづれ 身体が動けなくなったのです
首を固定して治療はしたもの 設備が整っていない救急病院なので
リハビリで有名な専門病院へ母とマントがレントゲンなどを持っていき
診察を受けましたら転院する事が決まったのです
40年前は完全看護でない時代なので 父の付き添いを如何しようか迷い
大黒柱が倒れたいま 母と兄達が働らなければならないので
マントが付き添う事になったのです
箸が転がっても笑う歳に 何と父の介護をすることになったのですよ
本当は嫌で嫌で堪りませんでした
でも・・家族の為に我慢・我慢
しかし 父にとって過酷なリハビリがこれから始まるのです
首の固定は続いており 動く事ができないから
時間ごとに身体の位置を変えていかなければならないのです
それと 男部屋に若い娘が付き添うには抵抗がありましたけど
他の皆様は患者でもあるし 気にはなりませんでしたね
父の手や足の機能を動かさないと硬直するので
毎日 朝・昼・晩 マッサージして機能回復の運動をしたのです
時々・・『痛いんじゃ~』と怒られ
その度に母へ電話をしては『もう嫌じゃ!』と愚痴を言っては困らしていました
それから何ヶ月が経ったのでしょうか?
院長回診の時に父の状態を看ていると
手足が麻痺していたのに少しづつだけど機能が回復しているのです
主治医の先生は『娘さんが毎日運動させてくれたお陰だね!』と言ってくれたのです
本当に嬉しかった
それからの父の身体は段々動き出し
最初はストレッチャーに乗って移動し 直立で立つ訓練をして
一歩一歩機能回復リハビリをして行ったのです
入院してから7ヶ月には車椅子で移動するようになり
マントも父の付き添いを卒業する事になるのです
父も私に恩があるのか? 一時文句は言わないけど
口が達者で腹が立つ事 しばしばあって煩いのなんの
チョッと寂しいけど これからは父自身が頑張らないと自立できないし・・
最終的には右側上下半身不随になってしまいました
そして 障害者手帳交付申請したのです
退院する時には杖を突くまで回復しましたが・・
年そうそうに体力が衰えてゆき 最後は電動車椅子になりました
これがマントの介護原点だったのでしょうかね
マントが介護に携わったのは今から40年前 17歳の頃!!
うら若き乙女の時代 今じゃシワが増えてオバちゃんになっちゃいました
昨日に続いて父の話しになります
父が51か52歳の頃 お酒を飲んで大声をあげ近隣に迷惑をかけていました
飲まなければ真面目な良い人なんだけど・・
段々言うこともなくなり
飲んでいるので睡魔が襲ってきたのか二階で寝てしまいました
何時頃かは忘れましたが 2階から物が落ちたような鈍い音“ドスン”と・・
何だろうと思い行ってみると 父が階下で倒れていたのです
飲んでいるから様子を看ようと思って階下の部屋で寝かしたのですが・・
徐々に酔いが醒めだした父が『身体が動かない?』と訴えたのです
急いで救急車を呼んで病院へ行き検査したところ
頚椎5・6番目の骨が少しづれ 身体が動けなくなったのです
首を固定して治療はしたもの 設備が整っていない救急病院なので
リハビリで有名な専門病院へ母とマントがレントゲンなどを持っていき
診察を受けましたら転院する事が決まったのです
40年前は完全看護でない時代なので 父の付き添いを如何しようか迷い
大黒柱が倒れたいま 母と兄達が働らなければならないので
マントが付き添う事になったのです
箸が転がっても笑う歳に 何と父の介護をすることになったのですよ
本当は嫌で嫌で堪りませんでした
でも・・家族の為に我慢・我慢
しかし 父にとって過酷なリハビリがこれから始まるのです
首の固定は続いており 動く事ができないから
時間ごとに身体の位置を変えていかなければならないのです
それと 男部屋に若い娘が付き添うには抵抗がありましたけど
他の皆様は患者でもあるし 気にはなりませんでしたね
父の手や足の機能を動かさないと硬直するので
毎日 朝・昼・晩 マッサージして機能回復の運動をしたのです
時々・・『痛いんじゃ~』と怒られ
その度に母へ電話をしては『もう嫌じゃ!』と愚痴を言っては困らしていました
それから何ヶ月が経ったのでしょうか?
院長回診の時に父の状態を看ていると
手足が麻痺していたのに少しづつだけど機能が回復しているのです
主治医の先生は『娘さんが毎日運動させてくれたお陰だね!』と言ってくれたのです
本当に嬉しかった
それからの父の身体は段々動き出し
最初はストレッチャーに乗って移動し 直立で立つ訓練をして
一歩一歩機能回復リハビリをして行ったのです
入院してから7ヶ月には車椅子で移動するようになり
マントも父の付き添いを卒業する事になるのです
父も私に恩があるのか? 一時文句は言わないけど
口が達者で腹が立つ事 しばしばあって煩いのなんの
チョッと寂しいけど これからは父自身が頑張らないと自立できないし・・
最終的には右側上下半身不随になってしまいました
そして 障害者手帳交付申請したのです
退院する時には杖を突くまで回復しましたが・・
年そうそうに体力が衰えてゆき 最後は電動車椅子になりました
これがマントの介護原点だったのでしょうかね
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