マントの介護日記

レビー小体型認知症&パーキンソン病の
主人を介護して、たまに人工股関節になった
マントの日記も綴ります!

岡山城と宇喜多家

2024年10月03日 | 介護日記
今日は一日雨が降っていて気温も下がっています☔️

岡山には岡山城があり

マント、歴史に興味があります😄

それで岡山城と宇喜多家について調べてみました!


(2009年撮影)


宇喜多直家は岡山の礎を築いて一代で50万石の大名に

常識にとらわれない戦略で勢力を広げ

一代で備前・美作一帯を領有。

超大国の織田や毛利と渡り合い

家臣や領土を守った名将です。


直家の妻(円融院)

直家逝去後、息子の秀家と家臣をまとめ

周辺の武将にも睨みを利かせるなど

女城主に近い時期があった。


宇喜多秀家は家督を継いで

豊臣秀吉の養女・豪姫と結婚し

数々の戦いで秀吉の天下取りを支えた。

今に残る岡山城を築き若くして五大老に就任。

関ケ原で敗れた秀家は八丈島に流され

島には秀家と豪姫が中睦まじく並ぶ

座像があり、その視線先は

岡山だといわれておるみたいです?


豪姫は夫を案じて始まった

八丈島への仕送りは二人の死後も

実家の前田家から子孫へと続けられた。

利発な豪姫は秀吉と正室のねねに溺愛された。


岡山城は、その後

小早川秀秋、池田氏により

城と城下町が拡張されました。

外壁は黒塗りの下見板で覆われていることから

烏城と呼ばれている岡山城天守。

岡山城天守には金色の桃瓦が8個あり

天守の中からは4つ見ることができます。

岡山城の石垣は

宇喜多秀家時代・小早川秀秋時代・池田忠雄時代など

さまざまな石垣を一度に見ることができます。


10月の12日13日連休に

「秋の岡山桃太郎まつり2024」があります。

家族でお出かけしたい人も

城や歴史好きの人も岡山へ来てください!


コメント (4)
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