小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

山下清画伯の作品 (sankei.web【産経抄】から抜粋)

2007年10月01日 | ニュース
   
『長岡の花火』
 

  東京の上野の森美術館で開かれている「山下清展」を見てきた。代表作の『長岡の花火』をはじめ精密な貼絵の世界に圧倒され、改めてその「天才」に感じ入った。だが今回はそれだけではなく、もうひとつの山下清像を知り驚かされた。
 ▼清は若いとき、リュックサックにゲタという独特のスタイルで全国を歩いて回った。「放浪の画家」と言われる所以(ゆえん)だ。だから多くの人は、絵を描くために旅していたと思っている。だが清は放浪したいから放浪していたのであって、スケッチもほとんどやっていなかったという。
 ▼実際には放浪を終えた後、記憶をもとに旅先で見た風景をキャンバスによみがえらせていたのだ。その記憶力は天才的であり、絵と実際の風景が寸分違わぬということもあったらしい。「放浪の画家」より「追憶の画家」と言った方がよいのかもしれない。
 ▼子供時代のことを良く覚えているという知人によれば、いくつもの場面が「画像」として脳裏に刻まれているそうだ。画像が残っているかは、その時いかに心を動かされたかによるという。山下画伯の天才的記憶力もそうやって培われていったような気がする。

   
『桜島』
 

<山下清のプロフィール>
• 1922年 3月10日 東京市浅草区田中町に生まれる。
• 1928年 浅草の石浜小学校に入学する。
• 1934年 千葉県の養護施設「八幡学園」に入園する。
• 1939年 11月18日、突然、放浪の旅に出る。
• 1954年 鹿児島にて放浪生活を終える。
• 1959年 ヨーロッパ9カ国を訪問する。
• 1971年 7月12日 他界 (享年49歳) 

   
『スイスの町』
 


  山下清氏の貼絵は、小学校時代に福岡の満員のデパートで、お目にかかったことがある。その頃は山下清という名前を覚えたくらいだが、今こうしてWebで見てもなにか訴えるものがある。この天才の生涯は、短い年月を駆け抜けて行ったが、いつまでも人のこころを打つ。小父さんのような凡人は、後世に残るなにものもないが、健康で平々凡々な人生にこそ感謝すべきだろう。

  sankei.webのお陰で忘れていた画伯と作品を思いだした。

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