夏目漱石 1867年(慶応3年)~1916年(大正5年)作『三四郎』は1908年(明治41年)9月1日から
同年12月29日まで、朝日新聞に掲載された。以下は上京する青年と広田先生を描いた一場面である。
三四郎は自分がいかにも田舎者らしいのに気が付いて、さっそく首を引き込めて着座した。男もつづいて
席に返った。そうして、「どうも西洋人は美しいですね」と言った。三四郎は別段の答えも出ないので
ただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして
こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、
庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことが
ないでしょう。今に見えるからご覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより他に自慢するものは何もない
ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々がこしらえたものじゃない」
と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。
どうも日本人じゃないような気がする。「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男はすましたもので、「滅びるね」と言った。
ホントにこんな会話が、その小説に載っているのか?載ってたら、現代を予測しそらんじて、夏目漱石がそうした、とは言える。正に、予言者として。
しかし、人は死ぬ、いつか死ぬ、といえば、予言者かといえばそうでもない。これはいつの時代もの、宗教の、特に新興宗教には言える問題。それで炊き付けて危機意識を煽り、自分の信者を増やす。
そういったレトリックも有るが、純粋な文学としてみれば、この漱石の理論も面白いし、ちゃんと(この部分だけで、全部読まないのが惜しいが…)理路整然として、漱石は自説を説いて止まない。素晴らしい文学だと言える。
以上。よしなに。