言葉の力で何が出来るのだろうか。人を幸せにも、不幸せにも出来る。良く知られている言葉の効果とし
ては、褒めて人を育むピグマリオン効果とけなして人を潰すゴーレム効果などがあります。日本には言霊
(ことだま)信仰などもあります。さて、プロダクト・ミックスは、幅・深さ・整合性の三つの視点から、生産性
について検討することを言います。整合性とは、きちんと合わせるという意味です。人の幸不幸を考える
時、どのようにも、憲法は更新されなければなりませんが、このような重要案件については、人々の合意
が大事であると考えます。憲法とは、簡単に言えば、国の組織図であり、権限を定めた最高法規(最高
規範)であります。日本人の古来からの文化に基づく価値観である、死生観(しせいかん)・婚姻観、他の
諸価値について、コストパフォーマンスがどれほどのものであるかによって、評価されるべきと考えます。
「始めに言葉ありき、言葉は神とともにありき、言葉は神なりき」新約聖書ヨハネ福音書第一章第一節
文明が栄えるも滅ぶも言葉によるのですが、このことの重大性が全く理解出来ていない状況なのです。
世界は言葉によって創られた。とするのはおとぎ話ではない。というのは、今まさに、言葉である
日本語憲法による世界の崩壊を目の当たりにしているからである。さて、その日本語憲法ですが、大戦
後につくられた日本国憲法は西欧文明に所属します。西欧(米英)の憲法は、イングランドのジョン王の
横暴な課税を制約するために、シモン・ド・モンフォール議会が王様に受け入れさせた マグナ・カルタ
(1215年6月)に由来する。人民の自由と議会の権利を保証するものとして、権利請願(1628年)
権利章典(1689年)とともに、イギリス憲法の三大法典と称される。近代憲法は実に、リヴァイアサン
(旧約聖書中の怪物)である国家の統治権力を縛るためにあると考える。世界初の近代憲法を作った
米国であるが、国民が憲法を手段として、統治権力を制限する目的が達成されなかったりもしている。
日本の場合も、権力の横暴な振る舞いを縛る機能が実際には昭和憲法が国民を縛るに至っている。特に
日本国憲法前文は史実からかけ離れ物語風であり、第一章と共に世界に国家破綻をもたらしたと言える。
日本語の連続性と断絶については、例えば、「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の柱と
ならむ等と誓いし願破るべからず」日蓮大聖人 開目抄 1272年(文永九年)佐渡塚原三昧堂の言葉は、
「ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず」渋沢栄一(1840~1931)まで、同じ日本語が使われて
連続性を見せるが、せいぜい戦争前までであって、敗戦国に至ってからは、日本語は断絶したのである。
その文明が滅ぶ前に、その文明の言葉が滅ぶ事実について、憲法とともに、考えさせられるのである
憲法を間違えなければ、世界で最高の国なのに、間違えたので、世界で最低の国になって来た日本国。
このように、憲法についての考え方は西欧文明であり、日本文明ではないので、悪文憲法放置の責任
は極めて重大であると考えられます。聖文宇宙(cosmos)を定(しず)め、悪文暗黒(chaos)をもたらす。