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人類のための文明・思想・哲学・宗教・歴史・憲法

何が起きているのか

どうして起きたのか

それをどのように理解し

どのように対処するべきか

火薬成分のような人々

2009-10-12 09:39:52 | 日記

「良い者には良いものを、悪い者には悪いものを」そんな国だけは、ご免こうむる人々も多数である火宅

の島国日本であるが、国や世の中が不幸せであって、個々人が幸せであるわけがない。憲法効果を受けて

国民性がいじけて来ている。従って、環境が不安定になるので、火薬成分のような人々がいるように

なる。有機的組織が増えて、わからないように、わからないように他人を密殺にかかる恐ろしい人々。日

本は長い間、世界のあけぼの、輝く国だった。日本国民は、天子にとって、大御宝(おおみたから)大い

なる宝だった。孤独な女の人も確実に増えている。国家統治の機能不全及び、和才を憎み、科学を憎む人々

が作り出す情報の非対称を良しとする世の中を放置してはならないならない。

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デフレ・ギャップ

2009-10-12 07:54:41 | 日記

完全雇用国民所得水準における総需要の超過分を、インフレ・ギャップと言う

のですが、総需要管理政策には、インフレ・ギャップ対策、デフレ・ギャップ対策など

があります。天高く馬肥ゆる秋、ともなれば賜杯・杯・賞など、目白押しです。

50年~60年の長期自民党政治は、何の危機意識もなく、このような政治をやっていました。

その結果、お嫁にいくこともなく自殺してしまう若い女のひとが多数である、あやふやで、

のんべんだらりとしていて、暗く、恐ろしい国に、いつの間にか、作り変えられてしまいました。 

この辺りは、悪い企業文化を育んでしまって、地域社会から排斥を被るに至った企業と似ています。

敗戦国に至った結果、大型のサメやクジラの腹部にくっついて生きる小判ザメのような国になった。

厚生労働省の調査では、10歳から39歳までの死因の第一位はもう長い間、自殺であるのです。

狐につままれたような世の中であるので、いつでも騙したり騙されたりで、客だねが悪くなります。

客だねが悪くなると、集客力が弱くなり、デフレ・ギャップに陥ることになります。

官僚制組織は、形式合理主義を特徴の一つとしますので、実質的価値倫理は失われ

ることになります    憲法は法律ではありません。あくまでも、”法”であるのです。日本の

国が、カスカスにされてしまったのは、官僚制組織を色濃く継承し、人間観が欠落している現行

憲法が主たる原因であるのです。このような理由により、「速度の経済」と言われる21世紀は、

国と国民のために及び世界の平和のために、日本は憲法を更新する必要があります 

目標転移とは、目標を実現するための手段が、目標と置き換わってしまうことを言いますが、

国及び国民の存続と繁栄のために憲法は立法されるのであり、その目的のための手段であるのですが、

これがいつの間にか、憲法の存続と繁栄のために、国はある、国民はいる、ということになったのでは、

大変に困るということなのです。例えば、昨今の風潮である、他人(ひと)はいつでも殺されているが

自分には関係ないのであるが、その自分だっていつ殺されるか、ひき逃げされてしまうかわかった

ものではない不安社会は、上述、手段、手法の目標転移が原因である可能性が高いと言えます。

目標について、手段について、絶えず更新する必要があると考えられます。「憲法のおかげで、

貴様は、平和を享受出来ているではないか。だから憲法に感謝して、憲法を護持し続けなさい」

何とか、昭和天皇陛下を無罪にできないものか。

 

 

昭和天皇は無罪潔白だったとして、後の世の人々が責任を受けるということか。何とも理不尽な思惑だ。

意識こそは危機意識に他ならない。不確かな条文が手段であれば、その国の本来の目標や目的は何か

を言い当てることは出来なくなってしまう。「悲惨な地位を占めることになる」と元帥は語ったのです。

 

歴史の汚いシミはシミとして、都合が悪いので放置してしまう。「百年河清を俟(ま)つ」

このような態度では、歴史に良く耕された新機軸・新憲法策定作業は難航すると考えられます。

 

教育を利用し、児童を利用し、女の人を利用し、外部不経済を利用し、政治を利用し、カルトを利用し、

その他、あらゆる手段を講じて利用して国を滅ぼす、世の中を滅ぼす勢力に対して、何の批判もしない

自由放任主義であり続けようとする国・国民に明るい未来など期待出来るわけがないと考えられます。

 

 

戦略の中枢である大本営の目的は明確だった。日本軍は、大本営の手段として、手足のように動いた。

この点において、目標転移などはなかった。国民は嘘の情報をつかまされ騙されていた。以上は、事実

であり、何の反論もない。これらの事実は一体、何を意味しているかが重要であると考えられるのです。

 

 

大本営とは、戦時に設置され天皇に直属する最高統帥機関で、1893年に制定され、太平洋戦争後廃

止された。嘘の情報をつかまされていたのは、「日本民族としての国」だったのであり、大本営とは、「国

家統治権力としての国」だった。歴史は繰り返すのであり、再び、騙しが行われているので、「日本民族

としての国」の不満・不信・不安は絶望的な観を呈している。21世紀の日本人は怒らなければならない。

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だれの為に

2009-10-11 15:22:37 | 日記

アクアマリンかブルートパーズのようにダイヤモンドのように輝く秋のおお青空

ですが、児童福祉の為に、高齢者福祉・障害者福祉・勤労者福祉・動物愛護のために

クリスタルクリアーであるのだと思いたい             

石井十次、留岡幸助、山室軍平、Alice Betty Adams,岡山四聖人の一人、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州

出身のアリス・アダムスが日本に来たのは24歳の時だった。岡山博愛会を立ち上げ、貧困不就学児のために

保育園、幼稚園、小学校、失業者のために授産施設、無料の診療所などを開設した。日本で45年間働き、

1923年(大正12年)、帰国し、マサチューセッツ州のナーシングホームで死去した。71歳だった。

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沖縄社会大衆党

2009-10-11 11:37:49 | 日記

戦争前の昭和時代に日本に存在した社会大衆党と名称は同じですが、沖縄社会大衆党は、

これとは何の関係もありません。1950年10月31日、当時の沖縄の政府代表者を中心に

して結成されました。大衆党の「衆」という字は面白い字です。漢字辞典によりますと、

日(太陽)+人が三人(おおくの人)から成立し、太陽のもとで、おおくの人が集団労働して

いるさま。上部は、のち誤って、血と書かれたとあります。誤用が後、正規の字として使われる

に至ったということですから、「血の雨を降らす」が如くの歴史があって、誤用が生まれたのか

も知れない等と想像出来ます。言語も誤用が後、正規の言葉として使われるようになったという

例は多くあると考えられます。また、これとは異なり、時の権力者の意向により、正規の字が廃止

された例もあります。万里の長城の大増築、焚書坑儒、法治主義等で、その名を後世に伝える

秦の始皇帝(前259~前210)の時代、もともとは自(はな)+辛(鋭いナイフ)で削ぎ落とす

刑を受けた人の意味である字を、その字は皇帝の「皇」という字と似ているからという理由で、

これを廃止し、罪(法の網)+非(悪い行い)で、犯罪のために法の網にかかった人を意味する字に

改められたのです。中華民国台湾以外の中文圏は今は「衆」という字は使わず、あみがしらを冠する

「眾」という字を使います。理由はやはり血のかんむりを嫌悪したということでしょう。因みに、

企業統治の企という字は、人+止(趾)。人が足先でつま先立ちをする意味をあらわす会意文字で、

会意文字とは二つ以上の漢字を組み合わせて独立した文字とするもの。例えば、木が三つで森。等

 

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広田先生

2009-10-09 20:08:09 | 日記

夏目漱石 1867年(慶応3年)~1916年(大正5年)作『三四郎』は1908年(明治41年)9月1日から

同年12月29日まで、朝日新聞に掲載された。以下は上京する青年と広田先生を描いた一場面である。

三四郎は自分がいかにも田舎者らしいのに気が付いて、さっそく首を引き込めて着座した。男もつづいて

席に返った。そうして、「どうも西洋人は美しいですね」と言った。三四郎は別段の答えも出ないので

ただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして

こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、

庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことが

ないでしょう。今に見えるからご覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより他に自慢するものは何もない

ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々がこしらえたものじゃない」

と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。

どうも日本人じゃないような気がする。「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。

すると、かの男はすましたもので、「滅びるね」と言った。

 

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