Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

音楽絵画151028 町田文化祭絵画出展と今日の絵No 269and270Croquis October

2015-10-28 04:32:42 | 音楽絵画

 

音楽絵画151028 町田文化祭絵画出展と今日の絵

おはようございます。
すっかり、日の出もおそくなり、また冷涼になりました。

徒然こと
町田文化祭で、今日から三日間 町田市民ホールのギャラリーで絵画展があります。今回は 「のどかな港」と「秋の実二題」のふたつ出展します。

 


とくに 前者は大学の後輩筋の畏友である安部忠彦さんが,介護の実相をあらわしていて、多分行事ポスターには採用されないであろうと、ほめてくれたあの「叫び」です。今回、A1サイズとしてポスターの専門業者に拡大してもらったものを用意しました。 こういうのはジャンルが絵画となるか、写真となるかですが、内容が基本的に絵画作品なので絵画部門に出します。自分の手での会場とりつけですから、これで行けそうですが、ちょっとControversialです。
午後からの開催ですので 午前中 搬入します。久しぶりの運転ですね。
朝はラジオ体操で そっと知り合いにチラシをまきます。

 

Viva Machida Festa  Yassie arai 27XV10

ところで、絵のおとうとが秋川渓谷でスケッチしていて、その折にカメラを谷に落として、あぶなく滝壺に引かれるところであったそうです。 無事でよかったです。そのおとうとときょうは会えそうです。
Traumaがお祓いできるかですね。
つれづれこと終わり。

橘樹住香と一緒

 

 徒然こと 2 「のどかな港」へ、畏友安部忠彦氏からのコメント

 2015/09/05 13時16分 (東大OBネット 早起き同盟 2015/9/5)
みなさんこんにちは。
荒井さんの作品動画を拝見し、忘れかけていた心の傷がうずきました。

介護現場を統括していた私にとって、介護される人の表情もする人の表情も、「困惑」「不満」「我慢」「苦痛」そして、「安堵」くらいしか思い出すことができません。
安堵というのは、困惑・不満・我慢・苦痛というネガティブな事象から解放されたときのつかの間の喜びのことです。
幼稚園児のような屈託のない笑いは、存在していませんでした。

荒井さんの動画(No 268variation希望のささやき~町田市介護予防月間ポスター展https://www.youtube.com/watch?list=PLJ-2JTwLfCf2SG1z3JE6yjOHWZPueZOBb&v=_w0n3Ep68rs)で33秒目に登場する、ムンクの「叫び」を彷彿させる女性の表情、そしてうつむいて目を伏せている表情。これが、介護を寡黙に、しかも明晰に語っていると思います。 この作品は採用されないはずです。でも、これが介護する側、される側の心象風景です。
殺伐とはしていませんが、陽気にニコニコというわけにはいきません。見事に、介護事業関係者の心をとらえるものだと思います。

みんながニコニコ笑っていて、お日様が微笑んでいて、犬も猫も笑いながら走り回っているような、そんな虚構のポスターがまた一つ生まれるのかもしれません。

地方行政主導で決まるものと言えば、「ふれあい広場」「ふれあい橋」「みんなのの森」などの、言葉だけが上滑りしたネーミング。そして、にこにこ笑いながら車いすを押される人と押す人の絵を配したポスター。
そんなポスターがみんなの広場の管理事務所に張り出される・・・・・ 

見つめたくない事実を、そのままポスターにせよ、とは言いません。
ただ、現実を覆い隠してしまい、若い人たちが介護の仕事に、幻想を抱くような、そういうイメージ作りはしないほうが良いと思いました。
 そのことを、ここで語っても仕方がないのですが、心の傷がうずいたので、聞いていただきました。

徒然こと 3 あたらしい音楽絵画です;

No 269and270Croquis October


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1 コメント

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「のどかな港」もしくは「しずかな港」が意味するもの (あらいやすまさ)
2015-10-30 07:51:08
「のどかな港」 畏友安部忠彦さんからのコメントについて(2015/9/6荒井facebookへの投稿)
My friend, ABE,Tadahiko san has sent me his message that he is praising the poster below, as his best favorite. He pointed out, a lady at center, sounds to be something ommage to Monk's "Cry" and it reminds me of the reality-at-site of pain symbolically. So, this piece,he has convinced to say, would, by no means, be selective at competition committee. Thanks.
~~~~
安部忠彦さんからのコメント(2015/9/6荒井facebookへの投稿)
I saw Mr. Arai's animation work.
And the bruise which exists in my mind (I was going to have forgot it completely......) smarted.

I have been a person in charge of nursing business.
Person's nursed expression and person's expression I have are an expression of "perplexity" "dissatisfaction" "endurance" "pain" and "small euphoria" for can remember.

The one as "small euphoria" is delight in the brief moment when being freed from a negative affair as perplexity, dissatisfaction, endurance and pain.

A carefree laugh like a kindergartner didn't exist.
The "cry" I see a female expression, and which is Munch, I remembered. I saw an expression like her constantly.
At the same time, I often also came across the expression they seem anxious about which in this work (the expression which turns to the bottom and casts down its eyes).
I think moreover something this calls nursing is being told vividly without using a word.

I think this work isn't adopted.
But this is the image landscape of the nursed side and the done side.
It's never miserable, I can't say with a pleasant smile cheerfully.
I think excellently, I captivate mind of the people who concern nursing.

I don't think it's better to make every kind of one a poster actually just as it is.
But I think it isn't good to give an image different from actuality hard. There is a fear that young people make a positive illusion about work of nursing by mistake.
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