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朝日記151017  制度劣化(Absent of Institution)ということ と今日の絵

2015-10-17 13:31:21 | 社会システム科学

朝日記151017  制度劣化(Absent of Institution)ということ と今日の絵

10-17おはようございます。

 (働く JR品川 Yamanaka 君)


なんとも、重苦しい事件で ことばに出すのも憚るくらいです。 なぜ憚るのかと自問したくらいです。
特に、技術者倫理が前面にでた成り行きが問題の根の深さを感じさせます。
フォルクスワーゲンの環境基準への不正開発設計、横浜マンションの基礎パイルの工事の不良、そしてこの東洋ゴムの面震ゴム品質性能不良品出荷など、シンドラーエレベータの保守不備など最近は報道されていませんがタカダのショックバルーンの製品安全性など、思いおこされます。
私のつとめた会社では、かつて有機水銀公害訴訟、健康・サプリメントの製品責任訴訟などがあり、ながく経営の根幹を揺らし続けたことをおもいだしました。
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これらは、ひとことでいえば、畏友AT氏のご指摘を待つまでもなく経営そのものの劣化であるとしか言いようがありません。こういう経営の分野は専門家が多いですが、たとえば以下二つが思い当ります;
1.合法的に運営していても、法律が時代に追いついていないことによる事故
2.経営体の価値目標の優先順位、職責の組織システムが目前の恣意的な次元でうごき、全体の一貫性を欠いてしまっていること、それに感覚麻痺してしまっていることに依る瑕疵による事故

思い出しますが、もともと日本の経営は、すくなく決めて、ひとの力でしっかり進めるという文化で、これが運営の安定としてあり長所でもありましたが、同時に組織効率性の点からは短所でもあったとおもいます。これらをうまく、くみあわせての経済大国への離陸でしたが、あとバブルがはじけて1990年代のはじめの組織のリストラクチャーで 結局、背に腹は代えられず、上の「ひとの力」つまり企業文化(職場をまもる)は、相対的に貧弱になったこととおもいます。 JR西日本福知山線の事故なども思い出します。
これをどう取り戻すか、若い人の就活での課題であろうかとおもいますが、いまは人で不足ですが、かれらは如何に考えているか興味があります。

先日、Social Institutionというのをスタンフォード大学のネットで勉強していました。
そのなかに'Vacance(Absent) of Institution'というのがありました。 組織や社会の問題をInstitutiveにとらえて、運営の改善、改変を具体的に担うAgentというとらえ方です。 こういう機能が地域、社会、市場、公共がネットとして隈なく働いて、変革していくという意味でのAgent and Institutionという機能がはたらくというインフラ思考です。この機能の欠落がある、それに気がつかない状態があるということを上の表現で、警鐘していたと思います。欠落を積極的に埋めることを意図している発想であるとおもいました。アメリカらしいと思いました。

技術者倫理としてかたづけられるのは、悲しいですことです。そういう問題もありますが、この問題のとらえ方もOrganization Institutiveに捉えるべきで、 当該者の経営者の発言も、メディアのとらえ方も浅薄な印象がのこりました。
これが 私の口を重くさせたことの第一であったと思います。


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