論文IX 1.3章 人工体と「技術圏」の化学
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1.3 人工体と「技術圏」の化学:自己触媒
我々はいま二つの設問を扱う必要ある。ひとつは、人工体(artefact)が人工体を生むことは何を意味することになるのか? 第二は人間と「技術圏」との間の関係は何であるか?である。
最初の設問への答えは最も実りあるものである、なぜなら生命理論の源に帰ることになり、ここでは生命と非‐生命との間の境界線をひく必要が出てくるからである。この境界線は生物学全体の位相を明らかにすることでもある。
哲学的には、「自然」と「文化」‘nature’ and ‘culture’との間の区分、そして人間が「機関」と「意図」agency and intentionalityを専有的に付与されたものと意味するものである。そして結局「技術圏」technosphereの実体は単なる「モノ」‘things’であって、非‐生命存在のものであり、それら自体は機関agencyを持ちえないものである。
それに対して、沢山の代替となる考えがあり、そしてこの案件位置はまだ収まっていないのであるが、筆者たちの文脈において、もっとも確からしいつぎの観方が現れてきている。それは、生きているシステムa living systemは進化している情報の合成体であること、つぎにその物質のなかに情報が内蔵化されていること。さらにその情報が物質の構造を維持し、再生するための「エネルギー貫流」energetic throughputsの活動を可能にするというものである(例えば, Lahav et al., 2001; Elitzur, 2005)。
したがって、この観方では、情報とエネルギーinformation and energyの二つの概念がシステマティックに関係している、このことは経済的進化についての最近の理論化のなかでもまた示唆されてきたことであった(Hidalgo, 2016)。
筆者は、このアプローチを技術に対して適用する提案を出したい。それはまさに、術語「生命システム」を術語「技術」に置き換えることでもある。
この概念上の総合を完結するためには、物理学上での「仕事」workの概念を導入することによってのみ達せられる。
生命システムと技術的なシステムは、「仕事」を発生するが、その仕事はその環境にインパクトを与える、またそのインパクトのフィードバックとして、これらのシステムの再生と維持として還ってくるというものである。
「仕事」と他の物理的インパクトとの間の区別を感覚的に分かるためには、情報の概念が不可欠である、なぜなら「仕事」と「熱」work and ‘heat’との間の区別はマクロの位置付けを行うのであり、この(ミクロ‐マクロのスケール上の)区別が情報上のうえでの意味をもっているのである(尤も存在可能なる状態は熱逸散dissipation、つまりエネルギーの逸散であり、それは同時にエントロピーの増大であることに注目したい)(see Collier, 1996; Atkins, 2007: 32f)。
生命理論の起源をふりかえると我々は生命の系統図を考え、その起源からの発生を考えてきたのである。
単体としての動物はそれ自体として再生することはできないのであり生物圏の進化を含んでいるが、技術もこれと同様に単独に再生はしない。
換言すれば、理由づけのもっとも一般的な段階では、「再生」‘reproduction’の概念は生物圏と「技術圏」との両方にその体系的包含性が参照されるであろう。
このアプローチは気候と経済につながる現今の仕事においては陰示的である。ここでは人間経済はエネルギー変換という意味で現実化され技術的人工体の中に含まれるものとなる。そして(経済は)さらなる進化フィードバックをする仕事を発生し、経済のシステム境界は拡大するのである。 斯くして「技術圏」が生み出される。
これが筆者の主張なのである(Garrett, 2011; in Herrmann-Pillath,2013: 121ff, 筆者流に表現すれが「自己参照熱機関」‘self-referential heat engines’モデルである)
この洞察に基づいて、我々はさらに焦点をしぼり、生物的実体biological entitiesとの類似において単体としての技術的実体technological entitiesが再生されるかを考えていきたい。
Stuart Kauffman's (2000: 49ff)は概念的総合のひとつの可能な道筋である:
「自律機関」autonomous agentは完結した熱力学的仕事サイクルを現実化することが可能であり、この「仕事」において、このサイクルが「自律機関」再生目的に究極的に奉仕することになるのである。
この基本定義から、生命の抽象的な様相が引き出される(Lahav et al., 2001):
・代謝性metabolism、環境との相互関係のもとでエネルギーと物質のプロセスを行う;
・自律性autonomy、環境との境界を維持し、再生する容量性である;
・目的性teleonomy、環境との相互作用において発現する構造の発現である;
・そして学習性learning、これは情報の蓄積であり、これによって、上の様相のもとでの実際のはたらきを可能にする。
かくして、我々は人工体artefactsが自律的機関autonomous agentsであるかを問うことになる。
技術の標準的なアプローチでは問題になくこれは否定される、なぜなら上のリストにある基本的判定限度のほとんどは人間に人工体artefactsの設計者と使用者を科しているのである。
しかし、詳しく見ていくと、何の保証もない。
代謝性Metabolismは産業システムでの認識された性質であり、そして用語「産業代謝性」は産業エコロジーにおいては共通のものである(Ayres and Ayres, 2002)。
人工知能Artificial Intelligenceの時代では、学習learningもまた、人間の専有の性質ではなくなている。
目的性Teleonomyについては「進化経済学」Evolutionary Economicsで、つとに認識されている現象であるが、技術変化の方向軌跡についての感覚としては、それらは人間行為によって全体的に設計、制御、および予想とは異なる現象としてとらえている(seminally, Dosi, 1982, Cimoli and Dosi,1995)。
かくして、自律機関autonomous agentsについての概念到達として、「技術」を意識的に除外した「自律」に我々にを留まらせたのである。
この点で、AIを万能薬に期待してはならないのであるが、技術進化のすべての段階に一貫しての基本的な課題を提起するのである。
「自律機関」‘autonomous agent’という用語からはつぎの設問が自然におこるのである。それは「機関」‘agent’の意味であり、これを次節で論ずるが、人工体においての「機関」の役割りを考えることを導く。
この点では、まずそれを考えるにふさわしい特定プロセスの形式構造について詳しく見て置く必要がある。
Kauffmannは自己触媒のサイクルをここで使っている。
事実、自己触媒の構造については生命理論の中核的原点であるが、同時に生命/非-生命の区分を超えていくものである。
自己触媒サイクルの化学モデルの一般化はMaynard Smith and Szathmáry(1995) or Ulanowicz (1997)の講義で提示されたが、これは生化学の基本水準をはるかに超えた生物圏もしくはエコスステムの普遍モデルとしてのものであった。
Padgett et al. (2003)の産業での生産について早くからのこの議論があったが、これは「技術圏」科学の一般モデルでの化学の役割りを示唆している。
その第一は「技術圏」を、要素のネットワークとして見てアプローチするものである。この要素のネットワークとは然るべきタイプへの類別化(企業や会社を化学物質対応として捉える)および相互効果発現を駆動する然るべき規則のもとにある作用継続(つまり「生産」‘production’)である。
第二の感覚は、これらの相互作用の中心的特徴は、エネルギー変換であり、これをある相互作用パターンについてエネルギー変換でのエネルギーの閾値の高さ(「コスト」‘costs’)を如何に、低くめるかにある。
これが触媒現象のポイントである。
自己触媒モデルはすべての種類の相互依存プロセスに対して参照されるものであるが、
これらのプロセスは再生のための閾値を低くすることで生成物が生まれるというものである。これは、事実、生命の起源のモデルのように、再生と成長の最も簡潔な機構からの結果となっている。
筆者は以下に詳細に論じるように,先行条件は、環境の選択的圧力であり、これが過少な資源の奪い合いを誘発する(化学溶液のなかの様々な物質で、その溶液のなかで自己触媒サイクルは事実上、他の可能な反応にも関係して、使える入力をすべて消費する)(これはHaffの2016を参照)。
斯くして,重要な結論に到達する、それは自己触媒構造は、変化の方向性を含んでいて、まさに目的的現象になるのである。
このことは、「自律的機関」に言及することができるもっとも単純な感覚である、なぜなら到達指向動力学は、機関意思のように顕われ、それがまさに目的プロセス、もしくはプロセス終点の意図になっているからである。
このプロセスでは、成分はより大きな動力学的パターンを再生する機能(関数)をもつものとして顕われる。
この機能的相互従属性は、そのサイクルの自律性を生み出す、それは環境に対してシステム的な境界を確立し、維持するという意味である。
技術において自己触媒は技術軌跡についての研究でよく認識されているが、滅多にその視点で語られない。
古典的な事例としては、C. Herrmann-Pillath Ecological Economics 149 (2018) 212–225 216で言及している蒸気機関がある。
発明という次元で考えると、この人工体は他の要素と組み合わせとして顕われ、この要素の結合に置いて、相互に機能作用してエネルギー変換を駆動させるのである。
この相互作用は蒸気機関と関連技術的人工体との間の相互作用からのシステム効果によって仕組まれるのであるが、例えば、炭鉱からの水のくみ上げや石炭の輸送に鉄道に蒸気機関を使う場合がそれである。
斯くして、石炭をベースにしてあらわれた生産プロセスのそれぞれの要素は相互にその利用を「触媒」‘catalyse’するのであるが、その意味としてその生産プロセスでの
エネルギーと資源のコストを相互に低くするものである。
これは明らかに、「自然的」‘naturally’に起こるものであるが、しかし人間の行動によって媒介されている。
しかし、同時に、我々はこの進化動力学を、全く、人間行動と設計にあると帰納することはできない。
これは、自己触媒構造が人間行動のためのパラメータを発生することによるものである。このパラメータはサイクルを再生する帰納(関数)を満たすべく人間行動を導くものであるからであって、これはひとが設計でそのパラメータをひきださなくても発生するのである。
興味あることには、この蒸気機関の例は、元のサイクルは英国の地域的な文脈においてのみ自律的に作動したのであったが、一方でフランスでは、人間機関は実際に先導的な役割りをして、あたらしい技術の拡散を積極的に推進させたのである。ここではこの地域的文脈で与えられたパラメータによる条件群から不利でさえあったである(Allen, 2009)。
斯くして、この例もまた、人間とシステム機関との間の境界条件の適合調和性が示されている。
筆者は、自己触媒サイクルの抽象的なモデルが、人工体についての意図および設計ベース概念intention- and design-based concept of artefactをより一般的な概念によって、置き換えを援けるものと結論する:その概念とは、自己再入力と自己再生構造から発現する目的性teleonomyを基礎に置くものである。
筆者は自己触媒の抽象的なモデルが意図・設計を根拠とする概念を、より一般性のある次のような概念に置き換えることを援ける:それは自己再入力や自己再生構造から出現する目的性に基礎を置くものである(触媒の抽象的概念に関連するアプローチについてはRomano, 2009をみよ)。
これもまた、「意思」と「目的」‘intention’ and ‘purpose’の概念を展開するために極めて重要である。それらは、物理学的原理に基づいている場合であり、したがってこれが異なる存在論領域、社会、生物圏と技術を超えての概念的な総合化のための根拠を提供するものとなる。
蒸気機関の例に示したように、重大な課題は「技術圏」のより大きな同類の自己触媒的な動力学に対して、人間機関の役割りは何処にあるかというものである。
この基本的な理念は「技術圏」の進化の結果と人間意思との関係にある。人間意思はまた技術の再生産において、人間に対して中心的な役割りを割り当ててくるのである。
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