Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記130705 something strange (3) プラグマティズムの盲点

2013-07-05 14:51:14 | 社会システム科学


朝日記130705  something strange (3) プラグマティズムの盲点

朝日記210702  Essay collectives "Something Stranges"  (2013)

  こんにちは。
昨夜からの風雨ですね。湿度はたいへん高いですね。
 少し 長めになりますので つならなければスキップください。


徒然こと
友人が 高等学校のころから英英辞典などでのことばあそびがすきで、これが英語の読解力を急速に引き上げたと回想されていました。

* something stange から これまでの思考とは別の切り口が生まれてくることが楽しみになりましょう。
たとえば 頭のなかでの、invisible boardで ひとりでKJ法をやって 論理構造の積み木をやっているようでもあります。


*上の友人がさきに、「無縁社会」についておもうところを述べよというの’投擲’が私にありました。 それで、私の方でも、こういうsomething strangeで 思考のあそびとしてしまえば 逆にproductiveな 思考作業に転換するかもしれないと考えました。

実は、その境目くらいのぎりぎりのところが おもしろいとこのごろ思っています。これも友人への’投擲’とします。
*来週末に 小さな学会の定例で「トーマス・ホッブスを読む」という題でプレゼンテーションします。これは この同盟に15回書いて そのつど 朝日記ブログで掲載したものをまとめて 原資料をつくりました。
* 理性 自由 自然権 主権、コモンウエルズときて
あとどうするかですが、
 やはり プラグマティズムにつなげるながれを考えています。そのなかの
知の仕組みなどを考えられるかなというところが狙いです。

*自分の手慣れた領域から考える方が楽です。 かつて私は技術者でしたから、 つねにこのプラグマティズムの流れに身をおいたからです。 私のことばでいえば 化学システム工学です。Subject to(現象のモデル化)などが専門でしたので もっぱらこちらの中にいたことになります。
*国のプロジェクトを企画したたりから、システム論のなかのObjectives(目的;価値)の機能構造につよい関心をいだきはじめまたと思います。
(理系の学問は 大体 Subkect toからです。主人と奴隷の関係の原型があるかもしれせんね。)


*先日、村上隆夫さんの「仮説の倫理」の書評(アマゾンに掲載されています)を書きましたが、社会学者Peirceの前提は 1.直観は切り捨てる 2.目的は自由 3.モデルで考えるです。これは まさにシステム・モデルそのものでもあり、技術者の思考に馴染んだものでもあります。
*目的;価値の選定や設定は、モデルへの自由選択与件で、市場経済原理で 主人(経営者)が決まるからそのまましたがっていれば 最大幸福になるという思想です。
*もっとも その基盤になる道徳は プロテスタンティズムの倫理を想定していますが アメリカあたりでもご承知のように苦闘しています。 しかし、キリスト教は議論のすきな宗教ですから もともと喧嘩ばかりやって 理屈をたてて妥協してきたともいえます。(したがって やや楽観的でもあります。)
*私については そのような頭のなかの状況でしたが、友人からの「無縁社会の血縁化」についての「投擲」は something strangeとなって、ボディブロー的に利きはじめたかもしれません。
*「縁」ということばを 掘り下げる前に、聞いた瞬間の自分の脳裏をさぐることからはじまりました。( メンタルな酔いの連鎖です)
*このときは ひととひととのつながりを トーマスホッブス流にやや無機的にとらえ、焦点を探ることをしてみました。 
*Subject to の中で ゲゼルシャフト的なつながり(専門職業を通じての「縁」)
*Objectives の中は なかなか複雑です。 目的思考のモデルですから やはり功利的な
目的での「縁」と見えてきます。 つまり 営利または非営利の「事業」としてのつながりの
「縁」です。 アングロサクソンは会社(company, association)においた「縁」でしょうか。
*さらに 市民社会としての個人と共同体(コモン・ウェルズ)とつながりでみる「縁」です。
これもひととひととのつながりは一見無機的にみえますが 選挙やデモや論説など共通目的でのつながりの「縁」とみました。
*こういう一連の Objectivesのなかで  ひとととのつながりを「縁」という視点でみると
どのような観方ができるかという切り口でした。 
*私が立ち留まったのは このあたりでした。
*構造など、まずはどうでもよい、ひととのつながりは いまどうなっていて、それがどような問題を抱えているのかという次元の 問題が 根底にあるとことに気が付かなかったことにあります。


*この問題は どうやらプラグマティズムで Pierceの前提で外した「主観」側の 課題であるとみえてきたのでした。
*「理性」についてしらべていると、 「われわれはなにを知ることができるか」、「われわれは何を望んでいいか」そして「われわれは何をおこなうべきか」がカントの実践道徳哲学のなげかけにあいました。 (上の友人はかつて、 Vision, Mission, Valueという語で投げかけてきました)
*Michel Sandel先生 の先生のJohn Rawlsなども カントの思想の次元に帰ることに気づいて Communiterianの政治哲学などが オバマ大統領のもとで展開しているようですが あまり詳しくはしりません。


*「縁」ということは ある意味で新鮮です。 さんざん世間のみなさまにお世話になって
たくさんの「縁」の恩恵にあずかってきましたが 忘恩の徒です。
* 終戦時 小学校2年生で 一夜にして、価値の転覆がおこりましたが、あの時代はあらたな「縁」の時代がはじまったのかもしれません。 仕事さがしに おとなは「縁」を大事にして一生懸命にうごいていたよういおもいます

朝日記210702  Essay collectives "Something Stranges"  (2013)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝日記130704 Something stra... | トップ | 朝日記130706 something stra... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会システム科学」カテゴリの最新記事