「それでも人生にイエスと言う」 ヴィクトール・フランクル「夜と霧」/強制収容所におけるある心理学者の体験」をどう読むか
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アメリカで1000万部を越えるベストセラーとなった「夜と霧」について、興味深い解説を「100分で名著」というテレビ番組で見ました。これはアウシュビッツにおけるユダヤ人強制収容所での、壮絶凄惨な体験を記しています。そこに記されていることは遠い過去の出来事ではなく、私たちが生きて来た20世紀に現実に起こったことです。戦後の平和で豊かな生活を享受している現在の私たちですが、歴史は繰り返します。いろいろな病的兆候が社会には見え始めている今、大いに考えさせられることがありましたので、敢えてここに内容を書き止め編集しなおしてみました。
以下は私個人の感想なので、興味のある方は動画を検索したり,NHKのテキストをご覧になっていただきたいと思います。(それで、出演者名はイニシャルに留めて置きます。)
ヴィクトール・フランクル強制収容所の内部
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番組紹介 100分で名著;「夜と霧」/<絶望の中で見つけた希望> これはユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルがナチスの強制収容所での壮絶な体験を綴った記録です。東日本大震災の後、ある書店ではこの本を、新刊本を置くコーナーに置いたところ、多くの人が手に取って読み、出版社へはたくさんの声が寄せられました。その一部を紹介します。・・・ ・生と死についての普遍的なテーマが書かれているので、私の人生のお守りとして読み続けて行きたいと思っています。 ・環境の激変で立ちすくみ、途方にくれていた私を導いてくれました。私には「生きるように」と言ってくれているかのように。・・・ |
今回の指南役は心理学者であり、カウンセラーであるMさんです。
<基本情報>
この本は1946年、終戦間もないオーストラリア・ウィーンでまず出版されました。これまでに20以上の言葉に翻訳されました。日本語に訳されたのはアメリカより早い1956年で、現在までにおよそ100万部が発行されています。
M:これは強制収容所に捕らえられたフランクルが、そこでの人間観察をありのままに記した生々しい本ですね。悲惨な状況が物凄く書かれているんですけれども、そこにかすかに希望が見える、そういった本です。
「夜と霧」の原題は「強制収容所におけるある心理学者の体験」とあります。精神科医ヴィクトール・フランクルは1942年9月強制収容所に入れられました。故郷ウィーンを追われ、チェコ、ポーランド、ドイツと、収容所を転々とさせられた2年半、中でも彼に強烈な記憶を焼き付けたのがあのアウシュビッツ強制収容所です。
収容所に到着すると彼らはすぐに長い列に並ばされました。その先でナチスの将校が人々を二手に分けていました。将校の人差し指のわずかな動きだけで。
彼の番が来ると将校は少し考えたのち、右に向かうように指示しました。大半の人は左側に行かされました。そこには彼の同僚や友人もいました。彼は古株の囚人に尋ねます。
私の友人はどこに行ったのだろう?
そいつは別の側に行ったのかね。
そうだ。
そんならそいつはあそこに見えるじゃないか。あそこでお前の友達は天に昇って行ってらあ。
生死が将校の指先一つで決められました。
さらにあらゆる財産、所持品は没収、ヴィクトール・フランクルという名前は奪われ119104というただの 番号で呼ばれました。
人生のすべてを奪われ、彼らを待っていたのは飢えや寒さ、過酷な労働でした。そんな極限的な条件の中で彼は人々の心を見つめて行ったのです。
T:これはほんとうに過酷な2年半ですよね。
S:今のところぼくの置かれている状況とあまりに違って、これに似た経験ですら思い当たらないにもかかわらず、興味があるのは、これが現代の日本人の心を打つということですね。
T:確かに、そこに思いを寄せるには今を生きる私たちにはすごく難しいなあと、実は読む前にちょっと思ったんですけれども、なぜかページをめくる手が止まらないのは何でだろう?と考えた時に、あの震災以降、普通に私たちが生活をしているにもかかわらず、今ある日常生活が続かないということが、ある日突然、実際に起きるんだということをほとんどの人が痛感をして、私自身はそういう思いを持ちながら読み進んでしまったんですよね。
S:これ凄いなと思うのは、ほんとに不条理なひどい目に遭っている人々がいるのに、ある意味でこれは観察対象なんだというふうに切り替えられる強さというか、凄さというか・・・
M:彼は決して観察対象とは思っていないと思うんですね。実際その場で仲間たちが次々に死んで行く。自分自身も死の危険にさらされている。見たくないものを見ざるを得ない。けれども、もし自分の命が助かったら、いつかこのことを本にしよう、そして多くの人に語って行こう、こんな人間の究極の真実を私は体験したんだということを語り継いで行く使命が自分にはあるんだと、彼は思っていたようです。
収容所に入れられた人々の心理状態とはどんなものだったのでしょうか。
彼は人々の心に生じたある現象を次のように記しています。
それは「アパシー」;感情がなくなったのです。
過酷な強制労働の日々、監視役の理不尽な暴力を受けている人を見ても、ただ眺めているだけ。朝、仲間が死んでいても、何の感情も起きない。苦悩する者、病む者、死につつある者、死者、これらすべては数週の収容所生活の後には、当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。
やがて彼は生きることを放棄してしまう人々を目にするようになります。点呼の時間になってもベッドから起き上がれなくなってしまう人、食料と交換できる貴重なたばこを吸い尽くしてしまう人。・・・彼らは生き残ることはありませんでした。
T:無感動って極限状態ですよね、まさに。
S:想像ができるかどうかは別にして、ぼくもああなるような気がして・・・
T:Sさんなんかは最もそうならなそうですけど。
S:ぼくはああいう感じになるタイプかなって思いますね。いじめでも虐待でも、受けている人は当然ですが、下手をするとそれに対して声を上げない傍観者の人もそういう状況になるんじゃないかな、それは「防御」だというのが、ぼくの中のイメージです。いじめや虐待に遭っている子供たちを見ても、とても悲しんだり同情したりしてはいられない、それが生き延びる唯一の方法?
T:それは自分を守るため。
S:そういうものなのかなと想像したのですが、・・・
「そして彼らは生き延びられなかった」というのがショックでした。
M;多くの人が生き延びることができなかったわけですね。何がそれを分けたのかというと、自分には未来があるんだと言うことを信じることができた、わずかな人だけが最後まで生き延びることができたんだと彼は言うのです。
T:でもあの環境の中で未来を信じることができたというのはどういうことなんですか?
M:彼があげている例で印象的なのは、クリスマスの日が来たら私たちは解放されるはずだという噂が流れたのですが、実際はクリスマスがやって来たのに解放されなかった。それでクリスマスの翌日に多くの方々がバタバタと命を落として行ったんですね。解放されることはないんだという現実を目の当たりにして、希望を失って多くの方が亡くなって行ったんです。
S:なるほど、そのクリスマスまではという希望がある期間は生き延びる、それがガセネタだったという時には希望を全く失うわけですね。これってすごく難しいのは、信じることがもろ刃の剣というか、未来を信じる人の方が生き残りやすいと言うことと、それを信じ続ける強さと比例してそうならなかった時のショックが大きいような気がするんですが。
M:そうですね。絶対にクリスマスに解放されるんだと思い込んでいた多くの方は亡くなって行った。けれども違う希望を持っていた人たち、自分たちはいつかは解放されるという、未来に可能性を信じることができた人たちだけが生き残って行ったんですね。
T:期限付きでない・・・
フランクルは絶望的な収容所生活の中で、どんな人が生きることを諦めなかったのかを次のように語っています。
繊細な性質の人々がしばしば頑丈な身体の人よりも収容所生活をよりよく堪え得た。・・・彼の言う繊細な性質の人間とは、どんな人だったのでしょうか?
辛い労働の後すし詰めの貨物車に入れられ、くたびれ、腹を空かせ、凍える闇の中で、彼が目にしたのは、 「神に祈りを奉げる人々」の姿でした。また、労働の合間のわずかな食事休憩に、一人の男が樽の上に上がって、イタリア・オペラを歌い始めました。
ほんの一時であっても音楽で心を癒している人たち、・・・
それが辛い収容所での生活を支える大きな力になっていたことを彼は発見したのです。
T:私、歌って言うものはこういう極限状況の中でまず一番最初に失くなって行くものだと思っていたんですけど、決してそうではなかったんですね。
S:屈強な体の人が生き残りそうなんだけど、そうじゃない。
M:この真っ暗な収容所とは別の世界への通路を持っていた人だけが生き残ることができた。体が頑丈なことよりも心の豊かさ、感受性の豊かさが生きる力になっていたと彼は言っています。
S:歌が何を生産するのかは分からない、信仰が物理的には何かを与えてくれるわけじゃないけれども、大事なことなんでしょうね。
M:そうですね。どん底に落ちているからこそ、何かを見つけ出す力が人間にはあるんだということがこの本では言われているんだと思いますね。これはSさんも同じだと思うんですが、収容所の中でユーモアを言うことによって、励まし合っていたというシーンが何度かあるんですね。
極限状態にある時には笑いこそエネルギーなる
と言うのは人生の真実だと思うんですね。
彼はたぶんこの収容所での経験が大きく影響していると思うんですが、自分が亡くなる直前まで家族をひたすら笑わせ続けたんですね。御家族がそう語っています。
さらに彼は如何に絶望的な状況にあっても人間性を失わなかった人たちがいたことを指摘しています。
強制収容所を経験した人は誰でもバラックの中で、こちらでは優しい言葉、あちらでは最後のパンの一片を与えて通って行く人間の姿を知っています。かたやとても人間とは思えないような仕打ちをする人がいる一方で、どんな状況の中でも他人に手を差し伸べる優しさを失わない人がいました。彼は確信しました。<与えられた事態に対してどういう態度をとるかは誰にも奪えない、人間の最後の自由である。>
M:彼が実際に収容所の中で見たのは、死んだ仲間からものを奪って行く人もいたわけですね。けれども同時に、自分自身も息絶え絶えなのに、自分のわずかなパンをほかの人に与えて行く人もいた。つまり
収容所の中で人間は天使と悪魔に分かれて行った
という事実だったんです。
どんな態度をとるかという、<態度決定の自由>だけはどんな人でも奪えない。これが彼が「夜と霧」の中で一番強調している点の一つなんです。
S:なんかこう、嬉しくもあり、誇らしくもある反面ちょっと責任の強い言葉だなと思います。すごくひどい環境にいたから俺はこんな悪いことをした、こんなひどい局面だったんだから俺がこんなにひどいことをしたとしても、俺のせいじゃない(環境のせいだ)という・・・
M:そうですね。状況がひどくなったら仕方ないじゃないかという、人間誰でもこうなるんだと言うことに対して、彼はノーと言っています。そうではなくてどんな状況であれ、ある態度を自分が選び取ることができる。そのことを収容所で一番人間の精神の真実として知ることができた、そこに希望を見出したというふうに語っています。
今、貧困化社会、ニート化難民とか言われていますね。そういう人たちはある種、現代の収容所の中に生きているというような状態にあると言ってもいいと思うんです。
行っても、行ってもどこまでも闇だと言う感覚を持っていると思うんですね。けれども彼は収容所の中にあっても、未来を信じると言っているんですね。いつかは希望の光が人生の方から射してくる。
S:このバランスは難しいですね。希望を持てよ!というのは簡単なことなんだけど、それが根拠のない希望だと死んじゃうと言うのもまたひどい話で、・・・その中でいいあんばいの希望を見つけると言うのは簡単じゃないかもしれない。でも、もしかしてこの本を読んでいるうちに希望が出てくるかもしれませんね。
T:確かに読んでいるうちにすぐ、分かったとはならないかも知れない。でも何年後かに彼の言葉ってこういう意味だったのかと若い人たちが気づいてくれれば・・・
<どんな人生にも意味がある>
4歳のある日彼は「人はいつか必ず死ぬ。だとしたら僕はなぜ生きるんだろう。」という疑問を抱いたと言います。幼い心に抱いた哲学的な問い、その答えを探し続けて彼は精神科医の道を選びました。患者の悩みを聞くうちにやがて彼はあの4歳の時の心の問いが解決の鍵だと思うようになりました。なぜ生きるのかその意味を失った時、人は心を病んでしまう。大切なのは自分が生きる意味を知ることだ。
そして患者が生きる意味を見出すことに治療の中心を置いて来ました。1942年強制収容所に入れられる時、彼はこう自分に言い聞かせたと言います。
お前はこれまで、人生には意味があると語って来た。それはどんな状況でも失われないと言って来たじゃないか。さあ、今度は自分でそれを証明する番だ。こうして彼は収容所の絶望の中でも生きる意味を探し続けて行ったのです。
T:フランクルは収容所に入る前から生きる意味を確立していたというわけなんですね。
M:彼はカウンセラー、精神科医として、意味の欲求が人間の一番根本にあるんだと言う「ロゴセラピー」と言うものをすでに確立していた。その彼が収容所に入れられた。そこで多くの人に向き合って行ったわけです。「生きる意味が見出せません」と言って来た人を救って来た人だからこそ、ここで私のやるべきことがあるんだという使命感に燃えたんじゃないでしょうか。
人生に絶望し、命を絶とうとした仲間を彼は意外な言葉で救いました。実際非常に厳しい収容所の環境の中では絶望してしまう人も多くいました。いつ解放されるとも知れず重労働を課せられる毎日、力尽きてしまう人、生きることを諦めてしまう人が続出する中、ある日、二人の男が悲壮な決意で彼を訪ねてきました。彼らはフランクルに言いました。
―もはや人生から何物も期待できない。
死にたいと訴える二人に対して彼はある言葉をかけます。その言葉で彼らは自殺を思いとどまりました。それはいったいどんな言葉だったのでしょうか。
T:Sさんなら何と言葉をかけますか?
S:凄いと思ったのは、説得されてしまってもおかしくないじゃないですか。そうだなとか、分かる、分かるとか。・・・まあ、私の場合は「寝ろ!」ですかね。(笑い)こういうことを考え出した時には、俺は眠いんだと思うことにしているんですよ。
二人に対してフランクルが言ったのは、
「それでも人生はあなたがたからあるものを期待しています。」という言葉でした。
すぐにはその言葉の意味が分からず戸惑う二人に彼はさらに言いました。
あなたたちを待っている何かがあるはずです。それが何か考えて下さい。
すると一人の男があることに思い当たりました。・・・
待っている。・・・愛してやまない子供が外国で私を待っている。
科学者だったもう一人の男は、そうだ。科学の研究の仕事をまだ書き終えていない。この仕事が私を待ってい る。
彼は二人を待っているものこそが生きる意味なのだと言うことを気づかせました。こうして彼らは自殺を思い止まったのです。
T:人生から何を我々がまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が我々から何を期待しているかが問題なのですというわけですね。視点が変わるんですね。
M:あなたがどんなに人生に絶望していても、人生があなたに絶望することは決してない。何かがあなたを待っている、誰かがあなたを待っている。
それはどういうことかと言うと、私たちは日々人生を問います。例えば、就職活動がうまく行かないとか・・・、その時にこんな人生一体何の意味があるんだろうと考えます。けれども私たちが人生を問う前に、人生が私たちを問うている、と彼は言うんです。
私たち人間はたえず人生から問われている存在であると言うことを知って、人生に対する態度を180度ひっくり返す必要があると彼は言っています。
S:でも、我々は人生に求め続けるじゃないですか。こんな人生になってくれと。ぼくが人生に求めるものと、人生がぼくに求めるものがバランスが合わない時はどうしたらいいですか?
M:フランクルはこういうふうに言っています。人生に何かを求める姿勢を続けている間は、人間は永遠に欲求不満になってしまう。絶えず、人間はもっともっとと何かを求めますね。そうするといつも空虚感が支配せざるを得ない。人生を疑う前にまず自分にどんな問いが突き付けられているのか、こちらの方が先だ。誰かのために、世界のために、あなたにできることは何があるんだろうと、何があなたを待っているんだろうと言って、人生に対する見方を変えてみませんかというのが彼の提案だと思うんです。
S:分からないことがあります。ぼくの場合、年齢を重ねて行くうちにこういう世界に入って成功したいと思った。一番最初はバイトをしないで食べて行けたら、おそらく何も悩みがないんだろうと思ったんですけれど。テレビにいっぱい出してもらって同年代の友達よりも少しもらうようになった。だけどこれは永遠じゃないと言うことにまた悩んだりするわけですよ。そうすると、もともとの根本の「人を笑わせたい」というようなことと、とんちんかんなところで悩み始めるんです。ただの不安の塊みたいになって来るんです。もしかして人生に期待していたのは、一杯テレビに出て一杯お金が欲しいとか、そういうことにもしかしたらなっていたかも知れないんだけど。
M:彼はこんなことも言っているんですね。あなたの内側を見つめるのはやめましょう。それを止めて、あなたを待っているものに目を向けなさい。
S:難しいんだよな。得てして合わないものですよね。自分が期待する人生を捨てられないし。我々はもともとそういう価値観で生きているじゃないですか。こういうことをすると、こういういいことがあるんだよと思って、ずーと生きているから。
M:そうですね。
S:それを捨てろと言われても難しい。
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岩手県陸前高田市、今回の震災で1800人が犠牲になった、被害の最も大きかった場所の一つです。地域の拠点病院だった県立高田病院、最上階の4階まで津波が襲い、職員や患者24人の生命が奪われました。現在病院スタッフは仮設の診療所で地域医療の立て直しに取り組んでいます。そのリーダーが院長のIさんです。Iさんは今回の津波で長年連れ添った最愛の奥様を亡くしました。 I:医学部の2年生のころに亡くなった家内と出会ったんですけど、彼女がこの「夜と霧」を勧めてくれて初めて読んで、そこからの付き合いだったんですよ。 最初に読んだ時の印象は?・・・すごい昔の話なんであまり覚えていないんですが、アウシュビッツの悲惨な体験の話という印象がすごく強くて・・・ 学生時代にはそれほど大きな印象を残さなかったという「夜と霧」、それから30年,Iさんは再びこの本を手に取りました。それは震災から2か月、奥さんの葬儀から間もない時でした。 その時Iさんはある言葉に目が止まったと言います。 I:<収容所の一日は一週間よりも長い>というところに線が引いてあって、当時の心境もこうだったかなと思います。
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一日が一週間よりも長く感じる、それは突然の災害に病院を奪われたIさんの心情をそのまま表しているような言葉でした。 塞ぐこともあったIさんでしたがその心を救ったのは 自分を待っている人の存在でした。 I:患者さんたちにはずいぶん支えられました。「先生、生きてたの!」とか、泣く人がいたりして、そういう状態でしたからね、自分は一人でないという感じを持ちました。 今、Iさんはフランクルの言葉をかみしめながら患者さんの生きがいを大切にする医療を心がけています。 I:希望といいますか、フランクルの本でいうと生きる意味と言うんですかね、そういう風なものをしっかり持つということはすごく大事なことだろうって思いますけどね。自分が生かされた存在だからこそ、やらなければならないことっていうのかね、そういう風なのを感じながら生きなければならないなあって思えるようになりました。 この本を読んでからまたその思いが強くなったし、何とかやっていけるんじゃないかなと思っていますね。 |
S:奥様と恋愛が始まって人生の一番楽しい時にこの本を読んで、先生が二度目にどん底で読んで開かれて来た世界があった。何か凄いですね。
S:奥様と恋愛が始まって人生の一番楽しい時にこの本を読んで、先生が二度目にどん底で読んで開かれてきた世界があった。
M:やはりフランクルの言葉が一番入って来るのは、人生に絶望し切っている時だと思うんです。ほんとうに人生に苦しんで、悩んで、悩んで、悩み抜いた末に、ああこのことかと、この言葉が入って来る方はたくさんおられるように思いますね。
<欲望中心から使命中心の生き方へ>
M:彼はどんな人にも、どんな人生にも意味があるんだと言っているんですが、これは言葉を変えて言うと、どんな人にも見えない使命が与えられているということです。それを見つけて果たすことによってはじめて人生が全うされる。自分の天職との出会い、運命の相手との出会い・・これは似たところがあると思うんですね。
私はこういう仕事を絶対したいんだというふうに凝り固まっていたり、私はこういう条件の相手でなければ絶対に妥協しないというような生き方、これを彼は欲望中心の生き方と言っています。そして欲望中心の生き方をしている限りは満たされない。それを生きる意味と使命を見つけ出す生き方に転換しないと、最終的にはほんとうに心の奥底から私は幸せだと思える人生はなかなか手に入らない。
T:私には今小さい子供がいて、生きる意味を考える余裕もなかったんですけども、自分の使命はと考えた時、夫はさておき、子供を育て上げること、そんなとっても一般的なことしか思い浮かばないんですけど、それでも堂々と生きる意味だと思って生きて行っていいんでしょうか?
M:それくらい大きな意味はないんじゃないでしょうかね。私の恩師が百冊の本を書くよりも一人の子供を育て上げることの方がはるかに難しいと言っています。
晩年彼はアメリカの死刑囚のところへ講演をして回ったんですが、「明日あなたが死刑になるとしても、遅すぎることは決してない。」ということを説いて回ったんですね。人生の意味を見つけると言うことは最後の瞬間まであきらめる必要はないんだと。
S:明日死刑になる人、絶望的な環境にある人、一番説得し難い人にも響いてくる言葉ですね。