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管理人の責任において、翻訳、または現代語による要約を紹介しています。

それでも人生にイエスと言う。

2018年02月19日 06時28分02秒 | 紹介します。

 

「それでも人生にイエスと言う」

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」/強制収容所におけるある心理学者の体験」をどう読むか

 

  アメリカで1000万部を越えるベストセラーとなった「夜と霧」について、興味深い解説を「100分で名著」というテレビ番組で見ました。これはアウシュビッツにおけるユダヤ人強制収容所での、壮絶凄惨な体験を記しています。そこに記されていることは遠い過去の出来事ではなく、私たちが生きて来た20世紀に現実に起こったことです。戦後の平和で豊かな生活を享受している現在の私たちですが、歴史は繰り返します。いろいろな病的兆候が社会には見え始めている今、大いに考えさせられることがありましたので、敢えてここに内容を書き止め編集しなおしてみました。  

 以下は私個人の感想なので、興味のある方は動画を検索したり,NHKのテキストをご覧になっていただきたいと思います。(それで、出演者名はイニシャルに留めて置きます。)

                        
ヴィクトール・フランクル強制収容所の内部

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番組紹介

100分で名著;「夜と霧」/<絶望の中で見つけた希望>

 これはユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルがナチスの強制収容所での壮絶な体験を綴った記録です。東日本大震災の後、ある書店ではこの本を、新刊本を置くコーナーに置いたところ、多くの人が手に取って読み、出版社へはたくさんの声が寄せられました。その一部を紹介します。・・・

・生と死についての普遍的なテーマが書かれているので、私の人生のお守りとして読み続けて行きたいと思っています。

・環境の激変で立ちすくみ、途方にくれていた私を導いてくれました。私には「生きるように」と言ってくれているかのように。・・・

 今回の指南役は心理学者であり、カウンセラーであるMさんです。

<基本情報>

 この本は1946年、終戦間もないオーストラリア・ウィーンでまず出版されました。これまでに20以上の言葉に翻訳されました。日本語に訳されたのはアメリカより早い1956年で、現在までにおよそ100万部が発行されています。

M:これは強制収容所に捕らえられたフランクルが、そこでの人間観察をありのままに記した生々しい本ですね。悲惨な状況が物凄く書かれているんですけれども、そこにかすかに希望が見える、そういった本です。

「夜と霧」の原題は「強制収容所におけるある心理学者の体験」とあります。精神科医ヴィクトール・フランクルは1942年9月強制収容所に入れられました。故郷ウィーンを追われ、チェコ、ポーランド、ドイツと、収容所を転々とさせられた2年半、中でも彼に強烈な記憶を焼き付けたのがあのアウシュビッツ強制収容所です。


収容所に到着すると彼らはすぐに長い列に並ばされました。その先でナチスの将校が人々を二手に分けていました。将校の人差し指のわずかな動きだけで。

 彼の番が来ると将校は少し考えたのち、右に向かうように指示しました。大半の人は左側に行かされました。そこには彼の同僚や友人もいました。彼は古株の囚人に尋ねます。

 私の友人はどこに行ったのだろう?

 そいつは別の側に行ったのかね。

 そうだ。

 そんならそいつはあそこに見えるじゃないか。あそこでお前の友達は天に昇って行ってらあ。

 生死が将校の指先一つで決められました。

 さらにあらゆる財産、所持品は没収、ヴィクトール・フランクルという名前は奪われ119104というただの    番号で呼ばれました。

 人生のすべてを奪われ、彼らを待っていたのは飢えや寒さ、過酷な労働でした。そんな極限的な条件の中で彼は人々の心を見つめて行ったのです。

T:これはほんとうに過酷な2年半ですよね。

S:今のところぼくの置かれている状況とあまりに違って、これに似た経験ですら思い当たらないにもかかわらず、興味があるのは、これが現代の日本人の心を打つということですね。

T:確かに、そこに思いを寄せるには今を生きる私たちにはすごく難しいなあと、実は読む前にちょっと思ったんですけれども、なぜかページをめくる手が止まらないのは何でだろう?と考えた時に、あの震災以降、普通に私たちが生活をしているにもかかわらず、今ある日常生活が続かないということが、ある日突然、実際に起きるんだということをほとんどの人が痛感をして、私自身はそういう思いを持ちながら読み進んでしまったんですよね。

S:これ凄いなと思うのは、ほんとに不条理なひどい目に遭っている人々がいるのに、ある意味でこれは観察対象なんだというふうに切り替えられる強さというか、凄さというか・・・

M:彼は決して観察対象とは思っていないと思うんですね。実際その場で仲間たちが次々に死んで行く。自分自身も死の危険にさらされている。見たくないものを見ざるを得ない。けれども、もし自分の命が助かったら、いつかこのことを本にしよう、そして多くの人に語って行こう、こんな人間の究極の真実を私は体験したんだということを語り継いで行く使命が自分にはあるんだと、彼は思っていたようです。

収容所に入れられた人々の心理状態とはどんなものだったのでしょうか。

彼は人々の心に生じたある現象を次のように記しています。

それは「アパシー」;感情がなくなったのです。

過酷な強制労働の日々、監視役の理不尽な暴力を受けている人を見ても、ただ眺めているだけ。朝、仲間が死んでいても、何の感情も起きない。苦悩する者、病む者、死につつある者、死者、これらすべては数週の収容所生活の後には、当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。

 やがて彼は生きることを放棄してしまう人々を目にするようになります。点呼の時間になってもベッドから起き上がれなくなってしまう人、食料と交換できる貴重なたばこを吸い尽くしてしまう人。・・・彼らは生き残ることはありませんでした。

T:無感動って極限状態ですよね、まさに。

S:想像ができるかどうかは別にして、ぼくもああなるような気がして・・・

T:Sさんなんかは最もそうならなそうですけど。

S:ぼくはああいう感じになるタイプかなって思いますね。いじめでも虐待でも、受けている人は当然ですが、下手をするとそれに対して声を上げない傍観者の人もそういう状況になるんじゃないかな、それは「防御」だというのが、ぼくの中のイメージです。いじめや虐待に遭っている子供たちを見ても、とても悲しんだり同情したりしてはいられない、それが生き延びる唯一の方法?

T:それは自分を守るため。

S:そういうものなのかなと想像したのですが、・・・

「そして彼らは生き延びられなかった」というのがショックでした。

M;多くの人が生き延びることができなかったわけですね。何がそれを分けたのかというと、自分には未来があるんだと言うことを信じることができた、わずかな人だけが最後まで生き延びることができたんだと彼は言うのです。

T:でもあの環境の中で未来を信じることができたというのはどういうことなんですか?

M:彼があげている例で印象的なのは、クリスマスの日が来たら私たちは解放されるはずだという噂が流れたのですが、実際はクリスマスがやって来たのに解放されなかった。それでクリスマスの翌日に多くの方々がバタバタと命を落として行ったんですね。解放されることはないんだという現実を目の当たりにして、希望を失って多くの方が亡くなって行ったんです。

S:なるほど、そのクリスマスまではという希望がある期間は生き延びる、それがガセネタだったという時には希望を全く失うわけですね。これってすごく難しいのは、信じることがもろ刃の剣というか、未来を信じる人の方が生き残りやすいと言うことと、それを信じ続ける強さと比例してそうならなかった時のショックが大きいような気がするんですが。

M:そうですね。絶対にクリスマスに解放されるんだと思い込んでいた多くの方は亡くなって行った。けれども違う希望を持っていた人たち、自分たちはいつかは解放されるという、未来に可能性を信じることができた人たちだけが生き残って行ったんですね。

T:期限付きでない・・・

 フランクルは絶望的な収容所生活の中で、どんな人が生きることを諦めなかったのかを次のように語っています。

繊細な性質の人々がしばしば頑丈な身体の人よりも収容所生活をよりよく堪え得た。・・・彼の言う繊細な性質の人間とは、どんな人だったのでしょうか?

 辛い労働の後すし詰めの貨物車に入れられ、くたびれ、腹を空かせ、凍える闇の中で、彼が目にしたのは、    「神に祈りを奉げる人々」の姿でした。また、労働の合間のわずかな食事休憩に、一人の男が樽の上に上がって、イタリア・オペラを歌い始めました。

ほんの一時であっても音楽で心を癒している人た、・・・

それが辛い収容所での生活を支える大きな力になっていたことを彼は発見したのです。

T:私、歌って言うものはこういう極限状況の中でまず一番最初に失くなって行くものだと思っていたんですけど、決してそうではなかったんですね。

S:屈強な体の人が生き残りそうなんだけど、そうじゃない。

M:この真っ暗な収容所とは別の世界への通路を持っていた人だけが生き残ることができた。体が頑丈なことよりも心の豊かさ、感受性の豊かさが生きる力になっていたと彼は言っています。

S:歌が何を生産するのかは分からない、信仰が物理的には何かを与えてくれるわけじゃないけれども、大事なことなんでしょうね。

M:そうですね。どん底に落ちているからこそ、何かを見つけ出す力が人間にはあるんだということがこの本では言われているんだと思いますね。これはSさんも同じだと思うんですが、収容所の中でユーモアを言うことによって、励まし合っていたというシーンが何度かあるんですね。

極限状態にある時には笑いこそエネルギーなる

と言うのは人生の真実だと思うんですね。 

 彼はたぶんこの収容所での経験が大きく影響していると思うんですが、自分が亡くなる直前まで家族をひたすら笑わせ続けたんですね。御家族がそう語っています。

 さらに彼は如何に絶望的な状況にあっても人間性を失わなかった人たちがいたことを指摘しています。

強制収容所を経験した人は誰でもバラックの中で、こちらでは優しい言葉、あちらでは最後のパンの一片を与えて通って行く人間の姿を知っています。かたやとても人間とは思えないような仕打ちをする人がいる一方で、どんな状況の中でも他人に手を差し伸べる優しさを失わない人がいました。彼は確信しました。<与えられた事態に対してどういう態度をとるかは誰にも奪えない、人間の最後の自由である。>

M:彼が実際に収容所の中で見たのは、死んだ仲間からものを奪って行く人もいたわけですね。けれども同時に、自分自身も息絶え絶えなのに、自分のわずかなパンをほかの人に与えて行く人もいた。つまり

収容所の中で人間は天使と悪魔に分かれて行った

という事実だったんです。

 どんな態度をとるかという、<態度決定の自由>だけはどんな人でも奪えない。これが彼が「夜と霧」の中で一番強調している点の一つなんです。

S:なんかこう、嬉しくもあり、誇らしくもある反面ちょっと責任の強い言葉だなと思います。すごくひどい環境にいたから俺はこんな悪いことをした、こんなひどい局面だったんだから俺がこんなにひどいことをしたとしても、俺のせいじゃない(環境のせいだ)という・・・

M:そうですね。状況がひどくなったら仕方ないじゃないかという、人間誰でもこうなるんだと言うことに対して、彼はノーと言っています。そうではなくてどんな状況であれ、ある態度を自分が選び取ることができる。そのことを収容所で一番人間の精神の真実として知ることができた、そこに希望を見出したというふうに語っています。

 今、貧困化社会、ニート化難民とか言われていますね。そういう人たちはある種、現代の収容所の中に生きているというような状態にあると言ってもいいと思うんです。

 行っても、行ってもどこまでも闇だと言う感覚を持っていると思うんですね。けれども彼は収容所の中にあっても、未来を信じると言っているんですね。いつかは希望の光が人生の方から射してくる。

S:このバランスは難しいですね。希望を持てよ!というのは簡単なことなんだけど、それが根拠のない希望だと死んじゃうと言うのもまたひどい話で、・・・その中でいいあんばいの希望を見つけると言うのは簡単じゃないかもしれない。でも、もしかしてこの本を読んでいるうちに希望が出てくるかもしれませんね。

T:確かに読んでいるうちにすぐ、分かったとはならないかも知れない。でも何年後かに彼の言葉ってこういう意味だったのかと若い人たちが気づいてくれれば・・・

<どんな人生にも意味がある>

4歳のある日彼は「人はいつか必ず死ぬ。だとしたら僕はなぜ生きるんだろう。」という疑問を抱いたと言います。幼い心に抱いた哲学的な問い、その答えを探し続けて彼は精神科医の道を選びました。患者の悩みを聞くうちにやがて彼はあの4歳の時の心の問いが解決の鍵だと思うようになりました。なぜ生きるのかその意味を失った時、人は心を病んでしまう。大切なのは自分が生きる意味を知ることだ。

そして患者が生きる意味を見出すことに治療の中心を置いて来ました。1942年強制収容所に入れられる時、彼はこう自分に言い聞かせたと言います。

お前はこれまで、人生には意味があると語って来た。それはどんな状況でも失われないと言って来たじゃないか。さあ、今度は自分でそれを証明する番だ。こうして彼は収容所の絶望の中でも生きる意味を探し続けて行ったのです。

T:フランクルは収容所に入る前から生きる意味を確立していたというわけなんですね。

M:彼はカウンセラー、精神科医として、意味の欲求が人間の一番根本にあるんだと言う「ロゴセラピー」と言うものをすでに確立していた。その彼が収容所に入れられた。そこで多くの人に向き合って行ったわけです。「生きる意味が見出せません」と言って来た人を救って来た人だからこそ、ここで私のやるべきことがあるんだという使命感に燃えたんじゃないでしょうか。

人生に絶望し、命を絶とうとした仲間を彼は意外な言葉で救いました。実際非常に厳しい収容所の環境の中では絶望してしまう人も多くいました。いつ解放されるとも知れず重労働を課せられる毎日、力尽きてしまう人、生きることを諦めてしまう人が続出する中、ある日、二人の男が悲壮な決意で彼を訪ねてきました。彼らはフランクルに言いました。

 ―もはや人生から何物も期待できない。

 死にたいと訴える二人に対して彼はある言葉をかけます。その言葉で彼らは自殺を思いとどまりました。それはいったいどんな言葉だったのでしょうか。

T:Sさんなら何と言葉をかけますか?

S:凄いと思ったのは、説得されてしまってもおかしくないじゃないですか。そうだなとか、分かる、分かるとか。・・・まあ、私の場合は「寝ろ!」ですかね。(笑い)こういうことを考え出した時には、俺は眠いんだと思うことにしているんですよ。

 二人に対してフランクルが言ったのは、

 「それでも人生はあなたがたからあるものを期待しています。」という言葉でした。

 すぐにはその言葉の意味が分からず戸惑う二人に彼はさらに言いました。

 あなたたちを待っている何かがあるはずです。それが何か考えて下さい。

 すると一人の男があることに思い当たりました。・・・

 待っている。・・・愛してやまない子供が外国で私を待っている。

 科学者だったもう一人の男は、そうだ。科学の研究の仕事をまだ書き終えていない。この仕事が私を待ってい  る。

 彼は二人を待っているものこそが生きる意味なのだと言うことを気づかせました。こうして彼らは自殺を思い止まったのです。

T:人生から何を我々がまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が我々から何を期待しているかが問題なのですというわけですね。視点が変わるんですね。

M:あなたがどんなに人生に絶望していても、人生があなたに絶望することは決してない。何かがあなたを待っている、誰かがあなたを待っている。

 それはどういうことかと言うと、私たちは日々人生を問います。例えば、就職活動がうまく行かないとか・・・、その時にこんな人生一体何の意味があるんだろうと考えます。けれども私たちが人生を問う前に、人生が私たちを問うている、と彼は言うんです。

 私たち人間はたえず人生から問われている存在であると言うことを知って、人生に対する態度を180度ひっくり返す必要があると彼は言っています。

S:でも、我々は人生に求め続けるじゃないですか。こんな人生になってくれと。ぼくが人生に求めるものと、人生がぼくに求めるものがバランスが合わない時はどうしたらいいですか?

M:フランクルはこういうふうに言っています。人生に何かを求める姿勢を続けている間は、人間は永遠に欲求不満になってしまう。絶えず、人間はもっともっとと何かを求めますね。そうするといつも空虚感が支配せざるを得ない。人生を疑う前にまず自分にどんな問いが突き付けられているのか、こちらの方が先だ。誰かのために、世界のために、あなたにできることは何があるんだろうと、何があなたを待っているんだろうと言って、人生に対する見方を変えてみませんかというのが彼の提案だと思うんです。

S:分からないことがあります。ぼくの場合、年齢を重ねて行くうちにこういう世界に入って成功したいと思った。一番最初はバイトをしないで食べて行けたら、おそらく何も悩みがないんだろうと思ったんですけれど。テレビにいっぱい出してもらって同年代の友達よりも少しもらうようになった。だけどこれは永遠じゃないと言うことにまた悩んだりするわけですよ。そうすると、もともとの根本の「人を笑わせたい」というようなことと、とんちんかんなところで悩み始めるんです。ただの不安の塊みたいになって来るんです。もしかして人生に期待していたのは、一杯テレビに出て一杯お金が欲しいとか、そういうことにもしかしたらなっていたかも知れないんだけど。

M:彼はこんなことも言っているんですね。あなたの内側を見つめるのはやめましょう。それを止めて、あなたを待っているものに目を向けなさい。

S:難しいんだよな。得てして合わないものですよね。自分が期待する人生を捨てられないし。我々はもともとそういう価値観で生きているじゃないですか。こういうことをすると、こういういいことがあるんだよと思って、ずーと生きているから。

M:そうですね。

S:それを捨てろと言われても難しい。

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岩手県陸前高田市、今回の震災で1800人が犠牲になった、被害の最も大きかった場所の一つです。地域の拠点病院だった県立高田病院、最上階の4階まで津波が襲い、職員や患者24人の生命が奪われました。現在病院スタッフは仮設の診療所で地域医療の立て直しに取り組んでいます。そのリーダーが院長のIさんです。Iさんは今回の津波で長年連れ添った最愛の奥様を亡くしました。

I:医学部の2年生のころに亡くなった家内と出会ったんですけど、彼女がこの「夜と霧」を勧めてくれて初めて読んで、そこからの付き合いだったんですよ。

 最初に読んだ時の印象は?・・・すごい昔の話なんであまり覚えていないんですが、アウシュビッツの悲惨な体験の話という印象がすごく強くて・・・

 学生時代にはそれほど大きな印象を残さなかったという「夜と霧」、それから30年,Iさんは再びこの本を手に取りました。それは震災から2か月、奥さんの葬儀から間もない時でした。

  その時Iさんはある言葉に目が止まったと言います。

I:<収容所の一日は一週間よりも長い>というところに線が引いてあって、当時の心境もこうだったかなと思います。

 

 

 一日が一週間よりも長く感じる、それは突然の災害に病院を奪われたIさんの心情をそのまま表しているような言葉でした。 

 塞ぐこともあったIさんでしたがその心を救ったのは

自分を待っている人の存在でした。

I:患者さんたちにはずいぶん支えられました。「先生、生きてたの!」とか、泣く人がいたりして、そういう状態でしたからね、自分は一人でないという感じを持ちました。

今、Iさんはフランクルの言葉をかみしめながら患者さんの生きがいを大切にする医療を心がけています。

I:希望といいますか、フランクルの本でいうと生きる意味と言うんですかね、そういう風なものをしっかり持つということはすごく大事なことだろうって思いますけどね。自分が生かされた存在だからこそ、やらなければならないことっていうのかね、そういう風なのを感じながら生きなければならないなあって思えるようになりました。

この本を読んでからまたその思いが強くなったし、何とかやっていけるんじゃないかなと思っていますね。

S:奥様と恋愛が始まって人生の一番楽しい時にこの本を読んで、先生が二度目にどん底で読んで開かれて来た世界があった。何か凄いですね。

S:奥様と恋愛が始まって人生の一番楽しい時にこの本を読んで、先生が二度目にどん底で読んで開かれてきた世界があった。

M:やはりフランクルの言葉が一番入って来るのは、人生に絶望し切っている時だと思うんです。ほんとうに人生に苦しんで、悩んで、悩んで、悩み抜いた末に、ああこのことかと、この言葉が入って来る方はたくさんおられるように思いますね。

<欲望中心から使命中心の生き方へ>

M:彼はどんな人にも、どんな人生にも意味があるんだと言っているんですが、これは言葉を変えて言うと、どんな人にも見えない使命が与えられているということです。それを見つけて果たすことによってはじめて人生が全うされる。自分の天職との出会い、運命の相手との出会い・・これは似たところがあると思うんですね。

私はこういう仕事を絶対したいんだというふうに凝り固まっていたり、私はこういう条件の相手でなければ絶対に妥協しないというような生き方、これを彼は欲望中心の生き方と言っています。そして欲望中心の生き方をしている限りは満たされない。それを生きる意味と使命を見つけ出す生き方に転換しないと、最終的にはほんとうに心の奥底から私は幸せだと思える人生はなかなか手に入らない。

T:私には今小さい子供がいて、生きる意味を考える余裕もなかったんですけども、自分の使命はと考えた時、夫はさておき、子供を育て上げること、そんなとっても一般的なことしか思い浮かばないんですけど、それでも堂々と生きる意味だと思って生きて行っていいんでしょうか?

M:それくらい大きな意味はないんじゃないでしょうかね。私の恩師が百冊の本を書くよりも一人の子供を育て上げることの方がはるかに難しいと言っています。 

晩年彼はアメリカの死刑囚のところへ講演をして回ったんですが、「明日あなたが死刑になるとしても、遅すぎることは決してない。」ということを説いて回ったんですね。人生の意味を見つけると言うことは最後の瞬間まであきらめる必要はないんだと。

S:明日死刑になる人、絶望的な環境にある人、一番説得し難い人にも響いてくる言葉ですね。

 


ドン・キホーテは生きている

2009年10月02日 23時15分21秒 | 紹介します。


ドン・キホーテの像(マドリッド、スペイン広場にて)

 数ヶ月前のこと、<IMPOSSIBLE DREAM>という、歌に接した。曲も歌詞も格調高い。「ラ・マンチャの男」というミュージカルのテーマソングということだった。
 そのあとピーター・オトゥール主演でソフィア・ローレンがアルドンザ役の「ラ・マンチャの男」という映画のビデオを見た。私にとってはベン・ハー以来の感動的な映画だった。
 とある宿屋の下女であり、淫売婦のアルドンザがドン・キホーテに出会って、最後には生まれ変わるというストーリーだった。
 <ドン・キホーテ>は、言うまでもなくスペインの作家セルバンテスの代表的作品であるが、何冊かの本に目を通してみると、奇妙なことに、ドン・キホーテがおどけ者、狂人として描かれ、支離滅裂な娯楽物語になっているではないか。友人に聞いても、ドン・キホーテという名前からは、おどけ者という印象しかないということがわかった。
 私は思った。この「ラ・マンチャの男」の主人公と、セルバンテスの<ドン・キホーテ>は果たして同一人物なのだろうか?作家セルバンテスの真意はどこにあったのだろうか?
 映画の表題を注意して見てみると、そこには原作者セルバンテスの名は記されていない。代わりにDale Wassermanという劇作家の名前がある。
 そして「ラ・マンチャの男」はアメリカのブロードウェイでも、かなりヒットしたミュージカルとして、日本でも松本幸四郎さんが熱演して来たことがわかった。 
 また松本紀保さんによる<名セリフ集>も出されていることを知った。
 映画での字幕は字数が限られているので、熟読には向かない。そこで僭越ながら、重要と思われるシーンのやり取りを英語原文から私なりに直訳してみた。
 独断と偏見が多いかもしれませんが、どうぞお許しください。
  二○○九年十月二日(金)イグアスにて
 
以下映画のシーンからの私訳

 <囚人たちに向かってセルバンテスが自分の書いた劇を説明し始める・・・・>
 私は一人の男を演じる。彼の名前は・・・アロンソ・キハナ。田舎の紳士、もう若くはない。隠居して本を読む時間が一杯ある。彼はそれらを朝から晩まで、時には夜中から明け方まで。そうして彼が読むものがすべて彼を押しつぶそうとする。・・・彼を義憤で溢れさせる。・・・人間の人間に対するきちがいじみたやりかたについて。
 彼は問題について思いめぐらす。どうやったらもっと良い世界を作ることができるのだろうか・・・この世界は悪が得をし、善はまったくそれに与らない。そこには詐欺とペテンと悪意があって、真実と誠実とが入り混じっている。彼は考えて、考えて、考えて、考えて、そして考えてそして最後に彼の脳みそは干上がってしまった。
 そこで彼は正気という憂鬱な重荷を降ろして・・・そしてこれまでにない奇妙な計画を思い立った。すなわち、諸国遍歴の騎士となり、そしてうって出ることだ。・・・冒険を捜し求めて世界を放浪し・・・すべてのあやまちを糾し、聖なる戦いに挑み・・・弱き者と困窮している人々を助け起こす。
 彼は隣人の田舎者で正直な男であるサンチョ・パンサを説き伏せる・・・もし貧乏人が正直者と呼ばれるなら・・・そして彼はほんとうに貧しいのだから、彼の従者になるようにと。
 彼はロシナンテと呼ぶ馬車馬を彼の乗る馬として選ぶ・・・そして主人を守る盾となるように。
 これらの準備が出来た時、彼は槍を手にとって・・・
 彼はもはや凡人のアロンソ・キハナではない。・・・不屈の騎士である。・・・ラ・マンチャのドン・キホーテとして知られる!

<ドン・キホーテがサンチョとともに出発する場面・・・・>
 今こそ、われに聞け!お前、荒涼とした耐えがたき世界よ、お前はなるべくして卑しく、放蕩に身を持ち崩した。そして騎士が勇気の旗を振りかざしてお前に挑戦する。
 我こそは、ドン・キホーテ、ラ・マンチャの領主。
 運命が私を呼んでいる、そして私は行こう。運命の嵐が吹きすさぶところどこへでも、私を運んで行く。どこへでも吹きすさぶところへ、栄光に向かって私は行こう。

 ―おいらはサンチョ、そう、おいらはサンチョ、おいらは主人の後に最後までついて行く。おいらは誇り高く全世界に向かって言うだろう。おいらは彼の従者、彼の友人

<ドン・キホーテの宣言・・・・>
 野蛮人よ、魔術師たちよ、聞け、そして罪の蛇たちよ、お前の卑劣な行いは過ぎ去った。何故なら、聖なる試みが今や始まろうとしている。そして徳が最後には勝利するだろう。
 我こそはドン・キホーテ
 -おいらはサンチョ
 ラ・マンチャの領主
 -そう、おいらはサンチョ
 私の運命が私を呼んでいる。そして私は行こう-最後まで主人について行く

<風車と遭遇したときのドン・キホーテとサンチョ・・・・>
 しかし中でも一番危険な奴がいる。・・・大魔術師だ。彼の思いは冷たく、彼の魂はしなびている。彼の目は小さな機械のようだ・・・そして彼が歩くところ、地は枯れる。私はいつか彼と顔と顔をあわせるだろう。
 お前はあいつが見えるか?・・・悪名高き巨大な怪物!私が遭遇しようとしていた敵
 -あれは風車です。
 巨人だ。
 -風車では?
 巨人だ!・・・
 お前は見えないのか?四つの巨大な腕が彼の背後で回っているではないか?

<アルドンザの言葉>
 私はこのことを学んだ、明かりが消えると、誰も特別の炎を上げて燃え上がらない。夜が明ける前にあんたがたはみんな同じだということを証明する。
・・・だからわたしに愛について語らないで欲しい。・・・
 私が死んでも、誰も悲しまない。何故って人生はきちがいじみた不潔なゲーム。だからあんたは私を呪うことも、接吻することもできる。・・・みんな同じ。・・・
 私は私が生きている人生が嫌い。でも、私は私、私はアルドンザ・・・

<アルドンザに出会ったドン・キホーテ・・・・>
 おお、神よ、彼女だ。高貴な淑女・・・美しい処女・・・私はあなたのお顔をまともに見ることはできません、あなたの美しさが私めくらにしてしまったかのようです。
 私の貴婦人よ、私に仕えるべきではありません。どうぞお願いします。御名を教えて下さい。
 -アルドンザよ。
 私の貴婦人よ、冗談でしょう。アルドンザは台所の下働きの女か、貴女の召使です。・・・
 貴女は私を試そうとしているのですか?
 ああ、いと高き、私の心をとりこにしたお方・・・
 どうして貴女を見まちがうことがありましょうか、私は貴女を知ってずっと以前から貴女を夢見ていました。一度も会ったことがなく、一度も触れたことがなくとも、私は貴女を私の心のすべてで知っていました。祈りの中で、賛美の歌の中で貴女はいつも私と共におりました。
 私たちは離れていても、いつも
 ダルシネア、ダルシネア、あなたを見るとき私は天国を見るのです。
 ダルシネア、ダルシネア、そしてあなたの名前は天使が囁く祈りのようです。
 ダルシネア、ダルシネア、もし貴女に私が手を差し出すとき、どうか震えないで下さい、恐縮しないで下さい。
 あなたの髪の毛に触れて私の指がただ、貴女の温かみと命を感ずることができますように。
 そして幻が空中に消えていかないように、
 ダルシネア、ダルシネア、
 今こそ私はあなたを見出しました。そして世界は貴女の栄光を知るでしょう。

 騎士はそれぞれ淑女を持つことが不可欠だ。淑女を持たない騎士は魂のない体のようだ。誰に対して彼はその征服したものを捧げるのだ。

<ドン・キホーテとアルドンザの問答・・・・>
 私は鉄の世界の中に入ってきた・・・世界を黄金にするために。
 -この世は肥溜めよ・・・そして私たちはその上を這い回る蛆虫。
 いや、そうじゃない。貴女はその心の中ではもっとよく知っているはずだ。
 -私の心の中にあるものは私をもう、半分地獄へ連れて行こうとしているわ。そしてドン・キホーテさん、あなたの頭はあなたの首とは無縁なものとなって終わるのよ。
 それは構わない。
 -じゃあ、何が?
 ただ、私がクェスト(使命)に従うかどうかということだ。
 -あなたのクェストって、クェストって何を意味するの?
 それは本物の騎士の使命であり、義務だ・・・いや、それは特権だ。
 
 不可能な夢を夢み
 倒すことのできそうもない敵と戦い
 耐えられそうもない悲しみに耐え
 勇者も敢えて行こうとしないところへ突進する
 糾すことのできない悪を糾し
 純粋で清いものを遠くから愛する
 腕が疲れ果てたときにもなおも試み
 届きそうもない星に手を伸ばす
 これが私のクェストだ。
 その星に従うこと
 どんなに望みがなくとも、どんなに遠くとも構わない、正義のために戦う、疑うこともなく、立ち止まることもなく。
 天の使命のためには喜んで地獄へも進んで行く。
 そして私は知っている。もし私がこの栄光あるクェストに真実であるならば、私の心は平安に満ちて、穏やかに横たわるだろう。やがて私が永遠の休息へと導かれる時に。
 そして世界はこのために良くなるだろう。一人の男が嘲られつつも、傷まみれとなっても、その最後の勇気の一滴をふりしぼって、及びがたき星に到達しようと奮闘したことで。


<検事役の男との問答・・・・>
 -だが、セルバンテスよ、現実と幻想の間には違いがある。・・・そしてこいつら牢獄人と気が狂った人間との間には違いがある。
 私はむしろその人の幻想は非常に現実的だと言おう。
 -結局のところ同じことじゃないか?
 -どうして詩人はきちがいに魅せられるのかね?
 それは共通しているところがいっぱいあるからさ。
 -お前たちはどちらも人生に背を向けているんじゃないか?
 我々はどちらも人生から選び取ったのさ。
 -人間は人生をあるがままに受け入れなければならない。・・・
 あるがままの人生・・・私は40年以上を生きて来て、そして見た。・・・あるがままの人生を-痛み、苦しみ、信じがたい残酷さを。
 私は神が創られたもっとも高貴なものたちの、すべての声を聞いた。それは街角のゴミの塊の中から呻いている。私は戦士であり、奴隷だった。私は仲間たちが戦いで死んで行くのを見た。・・・あるいはもっとゆっくりとアフリカの打ちたたくような風の下で死んで行くのを。
 私は彼らをその最期の瞬間に抱きしめた。彼らは人生をありのままに受け入れていた者もいた。だが、彼らは絶望しつつ死んだ。
 栄光もなく、最期の勇敢な言葉もなく、ただ彼らの目は途惑いに満ちていた。どうして?と問いかけながら。
 私は彼らがどうして死んで行くのかと訊ねているとは思わない。・・・いや、どうして彼らは生まれてきてこの地上の生を生きたのか。
 人生そのものが常軌を逸しているように思われる時、どこに狂気が横たわっているかを誰が知るだろうか?
 たぶん、あまりにも現実的であるということは、狂気なのだ。夢をあきらめること、これが狂気なのだ。
 ただゴミしかないところで宝物を探す・・・あまりにも正気であるということは狂気であるかもしれない。
 そしてすべての中でもっとも狂気なのは・・・人生をありのままに見て、あるべき姿を見ないことだ。

<サンチョとの問答・・・・>
 -分からない。
 わが友よ、何が分からないのかね?
 -あなたがどうしてそんなに元気いっぱいなのか。あなたは最初貴婦人を見出した、それからそれを失った。
 決して失ってはいないよ。確かに彼女はあのラバ追い達と行ってしまった。疑いなくある気高い目的のためにな。
 -あの下品な奴らと一緒に?気高い目的のために?
 サンチョよ、お前の目はいつも良きものよりも悪いものを見る。私の目はこの世界を作ったのではない。それはただ見るだけだ。
・・・
 -何ですって?それでは悪が栄えるのを許すのですか?
 私は気づいたのだが、悪は結構厚い鎧を被っているようだ。
 -で、そのためにあなたは私に戦うことを止めよと言われるのですか?
 いや、そうではない。何千回でも打ちのめされよう。しかし、我々は立ち上が 
らなければならない。戦うのだ、そうだ!


<陵辱されたアルドンザとの再会>
 -嘘、嘘、嘘、狂気と嘘よ!嘘、嘘、嘘、狂気と嘘よ!
 この罪を犯した者は罰せられるだろう。
 -罪? すべての中で最悪の罪は何かを知っている?生まれたということよ。 
 -そのために人はその人の人生すべてで罰を受けるのよ。
 ダルシネア
 -その名前は聞き飽きた!きちがい病院に行ってしまえ! 誰も聞こえないところで高貴さについて褒めちぎるがいい。
 私の貴婦人よ。
 -私はあなたの貴婦人なんかじゃない!私はどんな種類の貴婦人でもないわ。
 -だって貴婦人は控えめで慎み深い雰囲気をもっているもの。
 -そしてめくらの男だってそれらの美徳が私に欠けているのが分かるわ。
 -それは身につけるのは難しいの。
 -これらの慎み深い雰囲気は
 -馬小屋で仰向けに寝かされて(男のなぐさみものになっている私には)。
 -あなたは私を見ようとはしないの?私を見て、神かけて、私を見て下さらない?
 -調理場のふしだらな女を見て。
 -汗臭くて
 -糞の山の上で生まれ
 -糞の山の上で死ぬの。
 -男たちは私を売春婦として扱い、そして忘れる。
 -もしあなたが私を分かっていると思うなら
 -私の処女の下着にではなく
 -私の手の平に硬貨を握らせておくれ。
 -そうすれば私は喜んで残りを見せてあげる。
 決してあなたは自分がダルシネアだということを否定してはいけません。
 あなたの目からかすみを取り去り、私を私がほんとうに私であるように自分を見て下さい。
 -あなたは私に空を見せてくれたわ。
 -でもあの空に何のいいものがあるの、這いつくばることしか決してしない生き物に?
 -無慈悲なろくでなしどもが寄ってたかって私を苦しめ傷めつくしたけれど、あなたはみんなの中で一番残酷な人よ。
 -あなたの優しい異常な精神が私に何をしたかが分からないの?
 -私から怒りを奪い、そして私を絶望させたの。
 -殴られたり、虐待されるのは平気、そうすればお返ししてやれる。優しさには私は耐えられない。だからあなたの素敵なダルシネアという名前でこれ以上私を苦しめないで。
 -私は誰でもない。私は何者でもない。私はただ淫売女のアルドンザよ。
 今もそして永遠にあなたは私の貴婦人ダルシネアです。
 -いいえ、違うわ!

<ドン・キホーテことアロンソ・キハナ氏の臨終の床でアルドンザとの問答・・・・>
 彼女を居させなさい。私の家では礼儀があってしかるべきだ。近くに来なさい。 
 女よ。あなたが望んでいるのは何かね?
 -あなたは私を知らないのですか?
 知っているはずだと言うのか?
 -私はアルドンザです。
 申し訳ない、(貴婦人よ)私はその名前の人を思い出せないのだが。
 -ああ、どうか、私のご主人様。
 どうして私を「私のご主人様」と言うのかね?
 -あなたは私のご主人様、ドン・キホーテです。
 ドン・キホーテ?
 許してくれ、私は暗闇に惑乱させられているようだ。私はあなたを昔知っていたかもしれないが思い出せない。 
 -どうか、思い出そうとして下さい。
 それはそんなに大事なことなのかね?
 -ありとあらゆることです。私の全生涯です。あなたは私に語りかけられました。そしてあらゆることが・・・変わってしまいました。
 私があなたに話したと?
 -そしてあなたは私を見て・・・別の名前で私を呼びました。ダルシネア、ダルシネアと。
 -あなたはかつて一人の女を見出しました。そして彼女をダルシネアと呼びました。
 -あなたがその名前を呼ぶとき
 -天使が囁くようでした。ダルシネア、ダルシネアと。
では、たぶんあれは夢ではなかったのだ。
 -あなたは夢について語られました。・・・そしてクェストについて。
クェスト?
 -あなたはどのようにして戦わなければならないのか?そして勝とうが負けようが問題ではない・・・ただそのクェストに従うならばと。
 私はあなたに何を言ったのかね?その言葉を言ってくれ。
 -夢見ること・・・叶わぬ夢を。でもこれらはあなたご自身の言葉です。
 -戦うこと・・・打ち負かすことのできない敵と。思い出しませんか?
 -耐えること・・・耐え難い悲しみに。あなたは思い出さなければなりません。
 -向かって行くこと・・・勇者が敢えて行かないところへ。
 糾すこと・・・糾し得ぬ悪を。
 -そうです。
 愛すること・・・純粋さと清らかさを遠くから。
 -そうです。
 あなたの腕が疲れ果てたときにも、やってみようとすること。届き得ない星に手を伸ばそうと。
 -ありがとうございます、ご主人様。
 私の貴婦人よ、これは礼儀にかなったことではない。あなたが私にひれ伏すのですか?
 -でも、ご主人様、あなたは(お体が)良くありません。
 良くない?放浪の騎士の体にとって病気が何だ?怪我が何だ?彼は倒れるたびに、・・・彼はもう一度立ち上がる。・・・悪を呪う!
 サンチョ! 私の兜、私の剣!
 更なる思いもかけない災難がやってきた!
 冒険だ、昔からの友よ!
 ああ、栄光のトランペットが
 今、私に起ちあがれと呼んでいる
 そうだ、トランペットが私を呼んでいる。
 そして私が行くところどこでも、私のそばにはいつも忠実な者、私の従者とそして私の貴婦人がいる。
 私こそ、ドン・キホーテ、ラ・マンチャの領主


<ドン・キホーテを葬って後のサンチョとアルドンザの会話・・・・>
 彼は死んだ。私の主人は死んでしまった。
 -あの人は死んだわ。いい人だった。・・・でも私は彼を知らなかった。
 でも、あなたは彼に出会った。
 -ドン・キホーテは死んではいないわ。信じるのよ、サンチョ、信じるのよ。
 アルドンザ・・・
 -ダルシネアよ。
 ダルシネア。

<牢名主が別れ際にセルバンテスに語りかける・・・・>
 -セルバンテス?ドン・キホーテはセルバンテスの兄弟だと思うが。
 神が我らを助けられる。我々は両方ともラ・マンチャの男さ。
 私のためだけにドン・キホーテは生まれ・・・そして私は彼のために(生まれたのだ)
 私は彼をあなた方に進ぜよう。昔からの友よ、用意はいいかね?勇気を出そう。・・・

<牢獄の者たち一同の合唱>
 叶わぬ夢を夢み・・・
 打ち負かすことのできない敵と戦い
 耐えがたき悲しみに耐え
 勇者も敢えて行かぬところへ向かって行く。
 ゴールがどこまでも永遠に遠くとも
 旅に疲れ果ててもなおも挑戦しようとする、
 及びがたき星に手を伸ばそうと、
 及びがたき星に手を伸ばそうと、
 それが不可能なほどに高いところにあることを知っていても、
 心では上を目指して生きる。
 遠くへ
 及びがたき
 星を(目指して)

Youtube による 動画紹介(英語)
http://www.youtube.com/watch?v=RfHnzYEHAow
Youtube による 動画紹介(スペイン語)
http://www.youtube.com/watch?v=72WRdem_EBQ
スクリプト全文紹介
http://www.script-o-rama.com/movie_scripts/m/man-of-la-mancha-script-transcript.html

追記:
 2012年8月23日、帝国劇場での松本幸四郎さん主演の「ラ・マンチャの男」を見た。途中涙なみだで、目の周りがびしょ濡れになった。ドン・キホーテと、彼によって救われることになったアルドンザの姿に、現代ではほとんど見ることができなくなった真実を求め続ける人間の尊さを感じてならなかった。 




 


砂漠の預言者 ベン・グリオン

2009年05月19日 22時29分44秒 | 紹介します。


砂漠の預言者 ベングリオン

ネゲブの砂漠を「緑の園」に!
この夢に生涯を懸けたイスラエル建国の父

 という副題で大西俊明氏が著した力作である。
 2000年以上にもわたって世界を流浪してきたユダヤ人の歴史の中で、20世紀においてユダヤ民族として決して忘れることのできない2つの事件が起こった。ひとつは全ユダヤ人の3分の1が殺されたと言われるホロコースト(大虐殺)であり、もうひとつは民族としての永年の夢であったイスラエル国家の建設である。この建国のために奔走し、志半ばで斃れたテオドール・ヘルツェルの理想を引き継ぎイスラエルを独立に導いたのが、後に初代首相となったダビデ・ベングリオンである。彼は独立戦争以来、二度にわたるアラブ諸国との戦争においてイスラエルを勝利に導き、全世界に離散していたユダヤ人の祖国への帰還を促進した。そして驚くべきことにその人口を開拓当初の10倍近くに増大させたのである。彼は小国イスラエルの首相ではあるが、どの大国の指導者以上に政治家としても素晴らしい業績を上げている。しかし彼の首相としての足跡以上に、その生き振りが、今私に強く訴えて来るのでここに紹介したい。
 それは、彼が67才にして、首相の座を捨ててネゲブの開拓キブツに移り住み、若者たちに挑戦する心を自らの行動を持って示したということである。
 この時の情景を本書から引用すると
 「1953年12月13日の日曜日に、国防省のトラックが、テルアビブにあるベングリオンの家から荷物を運び出し、スデーボケルに送り届けるために来ていた。多数の群集が集まっていた。目に涙を浮かべたり、ハンカチで目を押さえている人も多数いた。ベングリオンが車に乗る時に言った。『泣くのは止めて、私について来たらどうですか。』“Do not weep. Follow me.”(BEN-GURION. Robert ST. John, P246-249)
スデーボケルという砂漠に移り住むという彼の決意の背景、理由については色々言われているが、間違いなく言えることは、彼は自らそこに住むことによって、若者たちに範をたれ、自分について来いということを伝えたかったことである。彼は固い確信を持っていた。それは若者に挑戦する心を取り戻させたいという強い思いである。「今の若者にはこの挑戦する心、精神、パイオニアスピリットが弱くなってしまった。あの独立戦争の時の戦う意思、挑戦する心を取り戻せ」と強く思っていた。・・・p41
 彼はネゲブの砂漠という、1年のうちたったの5日間しか雨が降らない、乾ききった大地に水を引き、そこを緑の沃野に変えることによって、多くの人々が定住し豊かな生活を営めるようになることを夢見ていた。
 しかし、それは単なる夢ではなかった。現在イスラエルのネゲブ砂漠は北方のガリラヤ湖からのパイプラインを通して引かれてくる水と地下から汲み出す水によって、各種の野菜が生産され樹木が植えられているばかりか、その水を利用した大規模な養魚場まで建設されている。
 本書は多岐に渡ってこのベン・グリオンの業績を書き連ねており、是非とも一読をお勧めしたい。
 地球は年毎に砂漠化していると言うことを聞く。森林伐採の結果、気象条件が変わり、降雨量が減少したことが原因だ。地球温暖化もこれに関わっているらしい。
 ここからは私自身が感じていることなのだが、砂漠化は地球という外的環境にだけ起こっていることなのだろうか?それ以上に人間の心の中にはびこりつつあるのではないだろうか?現代は人間疎外による不信がはびこり、利己的にしか生きられない精神の荒野であり、生命が枯渇しつつある砂漠ではなかろうか?
 イギリスの思想家トーマス・カーライルはサーター・リザータスという、彼の代表的な著述の中の「永遠の肯定」という章の中で、キリストの公生涯最初の試練となった荒野の誘惑を回想しつつ次のように書いている。
<何とでもそれを名づけるがいい。目に見える悪魔を相手にしようと、そうでなかろうと、あるいは、岩と砂でできた、自然の荒野におろうと、大多数の人間の、私利私欲に満ちた道徳的荒野におろうと―そういう誘惑を受けるように、我々はみな、呼び出されているのである。・・・我らの荒野は無神論的世紀における広い世界であり、我々の四十日 は苦悩と断食の長い年月である。・・・>
つまり現代における砂漠は、大多数の人たちにとって精神的なものであり、私たちひとりひとりはこの荒野(砂漠)に挑戦することによってほんとうの生きがいが与えられるのではないだろうか?
 高齢化社会の中で人生の戦いを終え、今や悠々自適の生活を送り、残された人生を楽しもうとしている人たちを私の周りでも多く見受ける。それがその人にとっての人生の結論ならばそれも良いだろう。
だが、ベン・グリオンはそうではなかった。首相という名誉ある地位を捨てて67歳にして一介のキブツ労働者として砂漠に出て行ったのである。彼は言う。
「私について来なさい!」
 精神的荒野(砂漠)と言っても、それぞれにとっては具体的なものでなければならない。それは職場の人間環境であろうか、自分の住む社会の環境だろうか。渇いた心に注ぐべき生命の水は、何処から引いて来たらいいだろうか?何はともあれ、まず自分がその生命の水に潤されるところからすべてが始まる。
 行動せよ、行動せよ、生ける現在に!Act act in the Living Present!・・・人生の詩篇 ロングフェロー

 以下本書に紹介されているベングリオン語録よりの抜粋・・・
・「開拓者たることは、エリートと卓越した者の占有物ではない。それらは全ての者の魂に、生まれつき備わっているものである。そこには隠れた精神的な力と特性、そして財宝が存在しているのであるが、そのうちのごく限られたものだけが、現れているにすぎない。」・・・ 「イスラエルにおける勇気の召還」1951/52
・「この開拓者精神という奇跡の力によって、我々の国民は“離散”の中で身についてしまった習慣に抵抗し、根絶し、政治的困難に抵抗し、そして勝利し、我々の国の貧困と荒廃と戦い・・・そしてその荒廃した地域を立て直した。」・・・ 「イスラエル、挑戦の歳月」p203/4
・「若者の教育において、我々は我々の預言者によって伝達されてきた偉大な人類の理想を無視してはならない、すなわち正義と親切であること、人間の同朋意識、そして人類を愛することである。我々は子供の心に、欠乏と悪事と搾取がなく、平等と正義、創造的兄弟愛、自由そして相互の寛容性があるような、よりよい社会に向けての切望を植えつけなければならない。」・・・ 「ユダヤ人の存続」1953/4

*なお残念ながら本書は著者に問い合わせてみたところ、絶版状態であるとのことである。但し1年後に改正増補版を準備しているとのことなので、希望者は小生の方にメールで予約をお願いしたい。どうしても限定版になってしまうので予め冊数を把握しておきたいためである。小生のメールアドレスは以下の通り
oyamakuniopy@gmail.com