デンマークという国の話
信仰と、樹木を植えることで国の危機を救った人々。
内村鑑三
荒野と渇いた地とは楽しみ、
砂漠は喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲き、
かつ喜び楽しみ、かつ歌う、
これにレバノンの栄えが与えられ、
カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。
彼らは主の栄光を見、我々の神の麗しさを見る。
(イザヤ書35章1~2節)
今日は少しこの世界の現実にあった出来事についてお話したいと思います。
デンマークはヨーロッパの北部にある一つの小さな国です。その面積は日本の十分の一で、北海道の約半分に当たり、九州の一つの島にも当たらない国です。そしてその人口はたったの250万人で、日本の約二十分の一に過ぎません。実に取るに足らないような小さな国です。が、この国についてたくさんの面白い話があります。
例えば、単に経済的な面で観察しましても、この小さな国は決して侮ることのできない国であることが分かります。申し上げましたように、この国の面積と人口は日本には到底及びませんが、その富の量においてははるかに日本以上なのです。
具体的な例をあげますと、日本の二十分の一に過ぎない人口のデンマークは、実に日本の二分の一の外国貿易を行なっています。すなわちデンマーク人一人当たりの外国貿易高は、日本人一人の十倍にも相当するのです。これを見ただけでも、いかにその富が多いかがおわかりになるかと思います。
ある人が言うには、デンマークの人々はたぶん世界中でもっとも富んでいる民族であろうとのことです。つまりデンマーク人一人が持っている富は、ドイツ人または英国人、またはアメリカ人が持っている富よりも多いのです。実に驚くべきことではないでしょうか?
ではデンマークの人々は、どうやってこれらの富を得たかと言いますと、それは彼らが国外に多くの領地を持っているからと言うのではありません。
無論、彼らは広いグリーンランドを持っています。しかし北氷洋の氷の中にあるこの領土に経済的価値がほとんどないことは誰もが知るところです。
彼らはまたその面積においてはデンマーク本土の二倍に相当するアイスランドを持っています。しかしその名のごとくそれは肥沃な土地ではありません。
ほかにはわずかに羊毛を産出するフェロー諸島があり、また、やや豊かな西インド洋のサンクロア、サントーマス、サンユーアン島があります。
これらは確かにデンマークの富の源ですが、経済的には収支が合わないために、かつてはこれらをアメリカ合衆国に売却しようとの計画もあったほどです。
ですからデンマークの富の源と言いましても、別に本国の外にあるわけではありません。
ところがこのデンマーク本国が、決して富んだ豊かな土地と言うことができないのです。そこに鉱山があるわけでもなく、大規模な港で全世界の船舶を惹きつけるというようなものがあるわけではありません。デンマークの富は主にその土地から産出するのです。
すなわち、その牧場とその家畜、樅と白樺の森林と沿海の漁業にあるのです。
ことにその誇りとしているのは、酪農であり、それから産するバターとチーズです。デンマークは実に酪農でもって成り立っている国だと言うことができます。
トーヴァルセンによって世界の彫刻芸術界に新しい機軸を打ち出し、アンデルセンによって近代おとぎ話の元祖とならせ、キェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界に唱えさせたデンマークという国は、実に柔和な牝牛を産出することによって立つ、小さくて静かな国であります。
ではありますが、今から40年前のデンマークは、もっとも憐れな国でした。1864年にドイツ、オーストリアの二大強国に圧迫されて、その要求を拒んだ結果、ついに開戦の不幸に至り、デンマークの人々はよく戦いましたが、デッペルの一戦に北軍が破れて、再び立ち上がることができないまでになりました。
デンマークは講和を乞い、その結果、敗北の賠償としてドイツ、オーストリアの二カ国に南部でもっとも良い二つの州、シュレスウィヒとホルスタインを分け与えなければなりませんでした。
戦争はここに終わりを告げました。しかしデンマークは窮乏し、貧困の極みに達したのです。初めからそれほど多くもない領土の、しかも最良の部分を持ち去られたのですから。
これからどうやって国の運命を回復しようか、どうやって敗戦による大きな損害を償おうか、これはこの時、デンマークを愛する人たちが頭を絞って考えた問題でした。国土は小さく、人口は少なく、しかも残った土地は荒れ果てた砂漠のようなところが多いというありさまだったのです。
しかし、国民の精神力はこのような時にこそ試されるのです。戦いには敗れ、国土は削られ、国民の意気は消沈し、何ごとにも手がつけられないような、このような時にこそ、国民の真の価値は明らかになるのです。
戦いに勝った国の戦後の経営は、どんなつまらない政治家にもできます。国の威信が上がったことによって、それに伴うさまざまな事業を発展させることは、どんなつまらない実業家にもできます。難しいのは戦いに敗れた国の戦後の経営です。国の運命が衰退して行く時にその事業をどう発展させるかです。
実に戦いには敗れても、精神においては敗れない民族が、真に偉大な民族です。
宗教であれ、信仰であれ、国の運命が盛んになって行く時には、何の必要もないのです。しかしその国に暗い影が覆う時にこそ、精神の光が必要になるのです。その国が立ち行くか、滅んで行くかは、この時に決まるのです。
どんな国にも、時には暗黒の影が覆います。そんな時、これに打ち勝つことのできる民族が永久に栄えるのです。
それはあたかも、病気になった時に、人間の健康の度合いが分かるのと同様です。普段の時には、弱い人も強い人も外見上は変わりありません。しかし、病気になった時に弱い人間は死に、強い人間は生き残るのです。
それと同じように、真の意味で強い国は、困難に出遭っても滅びないのです。それは、軍隊は敗れその財源は尽き果てて、その時なお立ち上がる精神力を蓄えている国です。それはまさに国民にとって試練の時です。この時に滅びないものは、運命がどう変わろうとも、永久に滅びないのです。
デンマークの兵士たちは戦いに敗れて、我が家に帰って来ました。そして帰って来たところ、国は荒廃し、財産は尽き果て、目に見るものは全て悲しみと憤りと失望の種にほかなりませんでした。
「今はまさにデンマークにとって災いの日々だ」と彼らはお互いに言い合いました。
この挨拶に対して、「いや、そうではない」と答えることができる者は彼らの中に一人もいませんでした。
しかしながら、ここに、彼らの中に一人の工兵士官がいました。彼の名はダルガス(Enrico Mylius Dalgas)と言い、フランス系のデンマーク人でした。彼の祖先は有名なユグノー党(16世紀から17世紀における近世フランスにおける改革派教会(カルヴァン主義))の一員で、彼らは信仰のために故国フランスを追放され、デンマークに逃れて来た人々でした。ユグノー党の人たちは、至るところで信仰の自由と熱烈な信仰と勤勉さを表しました。英国ではエリザベス女王のもと、今や世界のトップを占める製造業を起こしました。そのほかにも、オランダにおいて、ドイツにおいて、たくさんの有意義な事業が彼らによって起こされました。
旧来の宗教を維持しようとした結果、フランスが失った多くのものの中で、最大の損失と言うべきものは、ユグノー党の海外脱出でした。そして19世紀の末においても、彼らは未だなお、その祖先からの精神を失わなかったのです。
Enrico Mylius Dalgas
ダルガスは、年齢はその時36歳でした。工兵士官として戦争に赴き、橋を架けたり、道路を建設したり、溝を掘ったりした時に、彼は詳しく故国の地質を研究しました。
そうして戦争はまだ終わっていませんでしたが、その時すでに彼は胸の中で、故国を回復させる方策を考えていました。
すなわちデンマークのヨーロッパ大陸に連なる部分で、その領土の大部分を占めるユトランド(Jutland)の荒れ地を変えてこれを肥沃な土地にしようとの大計画を、彼は既に胸の中に懐いていたのです。
ですから戦いに敗れて、彼の同僚たちが絶望感に押しつぶされて故国に帰って来た時に、ダルガスはただひとり、その顔には微笑みを浮かべ、希望の春を夢見ていました。
「今はデンマークにとって災いの時だ」と彼の同僚たちは言いました。
「ほんとうにそうです」とダルガスは答えました。
「ですが、私たちは外に失ったものを、内において取り返すことができます。あなた方や私が生きている間に私たちはユトランドの荒野を変えてバラの花が咲くところにすることができます」と彼は答えました。
この工兵士官の胸には預言者イザヤの精神が宿っていました。彼の血管の中に流れるユグノー党の血は、この時に遭遇して彼を平和の天使としました。他の人たちが失望している時に、彼は失望しませんでした。彼はその国の人々が剣を持って失ったものを、鋤を持って取り返そうとしました。
この時に敵の国に対して復讐の戦いを計画するのではなく、鋤と鍬とを持って残された領土の荒廃と戦い、これを田園に変えて、敵に奪われたものを補おうとしました。
ほんとうにクリスチャンらしい計画ではありませんか。真の平和主義者はこのような計画を立てなければなりません。
しかしながらダルガスはただの預言者ではありませんでした。彼は単なる夢見る者ではありませんでした。工兵士官だった彼は、土木学者であったと同時に、また地質学者でもあり、植物学者でもありました。彼は詩人であったと同時にまた実際家でもありました。彼はどうしたらその理想を実現できるかを知っていました。
このような軍人を私たちはときどき欧米の軍人の中に見ます。軍人と言えば人を殺す技術にたけている者だとの考えは、外国においては一般になされていないのです。
ユトランドはデンマーク国土の半分以上を占めます。そして当時その三分の一以上が不毛の地だったのです。総面積3万9千平方キロのデンマークにとっては約8千平方キロの荒野はあまりにも広い、役立たずの土地です。
この土地を改良して肥沃な土地とし、外に失ったものを内において償おうとするのがダルガスの夢だったのです。それでこの夢を実現するにあたって、ダルガスの取った武器はただ二つでした。
その第一は水でした。そしてその第二は樹木でした。荒れた地に水を注ぐことができ、これに木を植えて植林の成果を上げることができれば、それでことは成就するのです。それは至って簡単でした。しかし簡単でしたが、容易ではありませんでした。
この世界に制御することが難しいものとて、人間が作った砂漠のようなものはありません。もしユトランドの荒れ地がサハラ砂漠のようなものだったならば、問題ははるかに容易だったのです。
自然の砂漠は水をさえこれに注ぐことができれば、肥沃な土地になるのです。しかし人間が何もせずに、世話を怠っていた結果できた砂漠を回復するのはもっとも難しいのです。そうしてユトランドはこのような種類の荒れ地だったのです。
その昔800年以前には、そこには良く茂った林がありました。そうして今より200年前までは、ところどころに樫の木を見ることができました。
それなのに文明が進むと時を同じくして、人々の欲望はますます大きくなって、人々は土地から搾取するに急で、これに報いるに緩やかでした。そのために土地は時を経るに従いますます痩せ衰え、ついに40年前には憐れむべき状態になってしまったのです。
しかし人間の飽くなき欲望によっても大地を永久に死滅させることはできません。神と大自然が啓示するある適切な方法によれば、このような最悪の状態にある大地も、元からの肥沃な土地に返すことができます。
まさに詩人シラーが言ったように、大自然は永遠の希望であり、その崩壊と腐敗はただ人間の間に見るのです。
(その方法とは)まず溝を掘って水を流れさせ、ヒースと呼ばれる荒野の植物を駆除し、これに替えてじゃがいもと牧草を植えるのです。
このことは、それほど困難ではありませんでした。しかし最も難しかったのは荒れ地に木を植えることでした。そしてこのことのためにダルガスは非常に苦心し研究しました。
植物の種類は多いですが、ユトランドの荒れ地に適し、成長してレバノンの栄えを表すような樹木はないだろうかと彼は研究に研究を積み重ねました。そこで彼の心に思い当たったのはノルウェーで生育する樅の木でした。これこそユトランドの荒れ地にふさわしい樹木であるということは、はっきりしました。しかしながら実際にこれを植樹して試してみますと、思ったようには行きません。
樅の木は生育しますが、数年経つ内に枯れてしまいます。ユトランドの荒れた土地は今やこの強靭な樹木をさえ養うことができないほどに、養分が不足していました。
しかしダルガスの熱情はこのことによってくじけることはありませんでした。彼は大自然が彼にこの問題の解決を示してくれることを確信していました。ですから彼はさらに研究を続けました。そうして彼の脳裏にふと浮かんで来ましたのは、アルプスで生育する小さな樅の木でした。
もしこれを移植したならばどうだろうかと彼は考えました。そしてこれを取り寄せて、ノルウェーの樅の木の間に植えると、不思議なことに両方の樅の木は共に並んで成長し、年月が経っても枯れなかったのです。
これによって大きな問題は解決しました。ユトランドの荒野に初めて緑の野原を見ることができたのです。
緑は希望の色です。ダルガスの希望であり、デンマークの希望であり、その国民250万人の希望は現実となったのです。
しかし問題はそれでも完全には解決していませんでした。緑の野原はできましたが、緑の林はできなかったのです。ユトランドの荒れ地から建築用の木材を伐採しようというダルガスの野心的な願いは事実とはなりませんでした。
樅の木はある程度まで成長して、止まってしまいました。枯れることはアルプスの小さな樅の木を一緒に植えることによって防ぐことができましたが、いつまでも成長を続けることができなかったのです。「ダルガスよ、お前が預言した材木をくれ」と言ってデンマークの農夫たちは彼に迫りました。あたかもエジプトから逃れ出て来たイスラエルの人たちが、一部の失敗のためにモーセを責め立てたのと同じようでした。
しかし神はモーセの祈りを聞いて下さったように、ダルガスの心の叫びをも聞いて下さいました。(神の)黙示は今度はダルガスに臨まず、その息子に臨みました。彼の長男をフレデリック・ダルガスと言いました。
彼は父の気質を受け継いで、優秀な植物学者でした。彼は樅の木の成長の仕方について大きな発見をしました。
若いダルガスは言いました。樅の木がある程度以上成長しないのは一緒に植えた小さな樅の木をいつまでもその側に生やしておくからだ。もしある時期が来て小さな樅の木を伐り払ってしまうならば、樅の木はその土地を占有して成長を続けるだろうと。
そして若いダルガスがこのことを実際に試してみたところ、実にその通りでした。側に植えられた小さな樅の木はある程度まで、もともとの大きな樅の木の成長を促す力を持っています。しかしそれがある程度に達した時には却ってこれを妨げる作用があるという、奇妙な植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見されたのです。
しかもこの発見はデンマークの国土の開発にとっては、実に絶大な発見でした。これによってユトランドの荒れ地を元に戻すという難しい問題は解決されたのです。その結果デンマーク各地に鬱蒼(うっそう)とした樅の林を見るようになりました。
1860年にはユトランドの山林はわずかに6万3千ヘクタールに過ぎませんでしたが、47年後の1907年になった時には19万ヘクタールの広さに達しました。
しかしこれはなお全国土の7.2パーセントに過ぎません。さらにダルガスの方法に従って植林を続けるなら、数十年後にはこの地に数百万ヘクタールの緑の森を見るに到るでしょう。実に大いなる希望があると言うことができます。
しかし植林による効果は木材の収穫だけにとどまりません。第一にその良い影響を受けたのはユトランドの気候でした。樹木の生えていない土地は熱しやすくまた冷めやすいです。
ですからダルガスが植林をする以前には、ユトランドの夏は、日中は非常に暑く、夜は時には霜が降るほどでした。一日の間に熱帯の暑さと冬の初めのような霜に出遭っては、植物の成長には堪りません。
その当時、ユトランドの農夫たちが、収穫する希望を持って植えることができた植物は、じゃがいも、黒麦、そのほかの少数の種類に過ぎませんでした。しかし植林が成功してからのこの地の農業は一変しました。夏の時期に霜が降ることは全く止みました。今や小麦や砂糖大根など、北欧で生産できる穀物、または野菜で育たないものはなくなりました。
ユトランドの荒れ地は樅の林が茂ることによって、優良な田園と変わりました。木材を収穫することができるようになった上さらに、温暖な気候に恵まれるようになりました。植えるべきはまさに樹木です。
しかも植林による良い影響はこれにとどまりませんでした。樹木が生い茂ることによって、海岸から吹き寄せられて来る砂(すな)埃(ぼこり)によって荒れ地となることが防がれました。北海沿岸に独特な砂丘は海岸の近くだけに食い止められました。樅の木は根を張って、襲いかかって来る砂埃に対して言いました。
「ここまでは来ることができる、しかしここを越えてはならない。」
ヨブ記38章11節
北海沿岸の国にとっては、敵国の艦隊よりも恐ろしい砂丘が、戦艦ではなく緑の樅の林によって、ここに見事に撃退されたのです。
霜は降りなくなり、砂埃は抑えられ、その上に第三の効果として、洪水の被害が無くなったのです。
これはどこの国でも植林の結果としてすぐに現れるものです。
もちろん海抜180メートルが最高点のユトランドでは我が国のような山の多い国のように洪水の被害を見ることはありません。しかしその比較的少ないこの被害すら、ダルガスの事業によってなくなったのです。廃れてしまっていた町並みは再び活気づきました。町や村が新たに起こりました。土地の値段は非常に高騰し、あるところでは40年前の150倍に達しました。道路と鉄道は縦横に建設されました。日本の四国とそれに2万6千平方キロを加えた広さのユトランドはこうして復活しました。戦争によって失われたシュレウスウィヒとホルスタインは、今日に至ってはすでに償われてなお余りあるということです。
しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、さらに尊いものは国民の精神です。デンマークの人々の精神はダルガスの植林が成功したことによって、全く変わったのです。
失望していた彼らはこのことによって希望を回復しました。彼らは自分たちの国を削られて、さらに新たな良い国を獲得したのです。それは他の国を奪ったのではありません。
自分たちの国を造り替えたのです。自由な宗教観から来る熱誠と忍耐と、そしてこれに加えて樅の木の持つ不思議な力とによって、自分たちの荒れ果てた国を挽回したのです。
ダルガスのそのほかの事業について、私は今ここでお話しする時間がありません。彼はどのようにして砂地を田園に変えたか、沼地の水を排水したか、どのようにして石地を開墾して果樹園を作ったか、このことは植林事業に劣らず興味ある物語です。これらの問題に興味を持たれる方は直接に私にご質問下さい。
* * * *
今日、ここでみなさんにお話しましたデンマークの話は、私たちに何を教えてくれるでしょうか。
第一に戦いに敗れることは必ずしも不幸ではないことを教えてくれます。国は戦争に敗れても亡びません。実際のところ戦争に勝利したのに滅びてしまった国は歴史の上で決して少なくはないのです。国が栄えるか、亡びていくかは戦争の勝敗の結果によりません。その国民の普段からの心のありようにあります。良い宗教、良い道徳、良い精神が(国民の間に)ある時に、国は戦争に敗れても衰えることはありません。いや、その全く反対が事実です。堅固な精神のあるところ敗戦はかえって、良い刺激となって不幸に陥っている民族を立ち上がらせます。デンマークは実にその良い実際例です。
第二は自然の無限な生産力を示します。富の源は大陸にも、島々にも、沃野にも、砂漠にもあります。大陸の所有者が必ずしも富んでいる者ではありません。小さな島を持っている者が必ずしも貧しい者ではありません。ですから小さな国は決して嘆く必要はありません。逆に国が大きいことによって誇るということはできません。富というものは形として現れたエネルギーです。そうしてエネルギーは太陽の光線にもあり、海の波にも、吹く風にもあり、噴火する火山にもあります。もしこれを利用することができますならば、それらはみなすべて富の源です。かならずしもイギリスのように、世界の陸地面積の六分の一の所有者となる必要はありません。デンマークで足ります。いや、それよりも小さな国で足ります。外に拡大するよりは内を開発するべきです。
第三に信仰の実力を示します。国の実力は軍隊ではありません。軍艦ではありません。はたまた金ではありません、銀ではありません。信仰です。
このことに関しましてはマハン大佐(アメリカ海軍の軍人・歴史家・戦略研究者)もいまだ真理を語りません、アダム・スミス(イギリスの経済学者・哲学者)、J・S・ミル(イギリスの哲学者にして経済学者)もいまだ真理を語っていません。このことに関して真理を語っているものは、やはり聖書です。
もしからし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって「ここからあそこへ移れ」と言えば、移るであろう。このようにあなたがたにできない事は、何もないであろう。
マタイ伝17章20節
とイエスは言われました。
なぜなら、すべて神から生まれた者は、世に勝つからである。そして私たちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
ヨハネ第1の手紙5章4節
と聖ヨハネは言いました。
世に勝つ力、地を征服する力はやはり信仰です。ユグノー党の信仰はその中の一人の人によって、鋤と樅の木とでもってデンマークを救いました。
あるいはまたダルガス一人に信仰がありましても、デンマークの人々全体に信仰がありませんでしたら、彼の事業も効果なく終わったのです。この人があり、この民族があって、またフランスから携えてきた自由な信仰が、デンマークの地に自ずと生まれ出た信仰があって、この偉大な事業が成功したのです。
宗教は詩人や愚かな人には関係ないと唱える人は誰ですか。宗教は詩人や愚かな人には向いているけれど、実業家や知恵のある人には必要ないなどと唱える人は、歴史も哲学も経済も何も知らない人です。その国にもしこのような「愚かな知恵ある者」だけがいて、ダルガスのような「知恵のある愚かな人」がいなかったならば、不幸にも一歩を誤って、敗戦の悲運に遭った時に、その国はたちまち滅びてしまうのです。
国家の大きな危機に際して、信仰を無用のものと白眼視するようなことは、あってはなりません。
私が今日ここでお話しししましたデンマークとダルガスについての事柄は、大いに軽薄な世の知識人にとって戒めるべきことです。
「後世への最大遺物 デンマルク国の話」/内村鑑三著より
信仰と、樹木を植えることで国の危機を救った人々。
内村鑑三
荒野と渇いた地とは楽しみ、
砂漠は喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲き、
かつ喜び楽しみ、かつ歌う、
これにレバノンの栄えが与えられ、
カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。
彼らは主の栄光を見、我々の神の麗しさを見る。
(イザヤ書35章1~2節)
今日は少しこの世界の現実にあった出来事についてお話したいと思います。
デンマークはヨーロッパの北部にある一つの小さな国です。その面積は日本の十分の一で、北海道の約半分に当たり、九州の一つの島にも当たらない国です。そしてその人口はたったの250万人で、日本の約二十分の一に過ぎません。実に取るに足らないような小さな国です。が、この国についてたくさんの面白い話があります。
例えば、単に経済的な面で観察しましても、この小さな国は決して侮ることのできない国であることが分かります。申し上げましたように、この国の面積と人口は日本には到底及びませんが、その富の量においてははるかに日本以上なのです。
具体的な例をあげますと、日本の二十分の一に過ぎない人口のデンマークは、実に日本の二分の一の外国貿易を行なっています。すなわちデンマーク人一人当たりの外国貿易高は、日本人一人の十倍にも相当するのです。これを見ただけでも、いかにその富が多いかがおわかりになるかと思います。
ある人が言うには、デンマークの人々はたぶん世界中でもっとも富んでいる民族であろうとのことです。つまりデンマーク人一人が持っている富は、ドイツ人または英国人、またはアメリカ人が持っている富よりも多いのです。実に驚くべきことではないでしょうか?
ではデンマークの人々は、どうやってこれらの富を得たかと言いますと、それは彼らが国外に多くの領地を持っているからと言うのではありません。
無論、彼らは広いグリーンランドを持っています。しかし北氷洋の氷の中にあるこの領土に経済的価値がほとんどないことは誰もが知るところです。
彼らはまたその面積においてはデンマーク本土の二倍に相当するアイスランドを持っています。しかしその名のごとくそれは肥沃な土地ではありません。
ほかにはわずかに羊毛を産出するフェロー諸島があり、また、やや豊かな西インド洋のサンクロア、サントーマス、サンユーアン島があります。
これらは確かにデンマークの富の源ですが、経済的には収支が合わないために、かつてはこれらをアメリカ合衆国に売却しようとの計画もあったほどです。
ですからデンマークの富の源と言いましても、別に本国の外にあるわけではありません。
ところがこのデンマーク本国が、決して富んだ豊かな土地と言うことができないのです。そこに鉱山があるわけでもなく、大規模な港で全世界の船舶を惹きつけるというようなものがあるわけではありません。デンマークの富は主にその土地から産出するのです。
すなわち、その牧場とその家畜、樅と白樺の森林と沿海の漁業にあるのです。
ことにその誇りとしているのは、酪農であり、それから産するバターとチーズです。デンマークは実に酪農でもって成り立っている国だと言うことができます。
トーヴァルセンによって世界の彫刻芸術界に新しい機軸を打ち出し、アンデルセンによって近代おとぎ話の元祖とならせ、キェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界に唱えさせたデンマークという国は、実に柔和な牝牛を産出することによって立つ、小さくて静かな国であります。
ではありますが、今から40年前のデンマークは、もっとも憐れな国でした。1864年にドイツ、オーストリアの二大強国に圧迫されて、その要求を拒んだ結果、ついに開戦の不幸に至り、デンマークの人々はよく戦いましたが、デッペルの一戦に北軍が破れて、再び立ち上がることができないまでになりました。
デンマークは講和を乞い、その結果、敗北の賠償としてドイツ、オーストリアの二カ国に南部でもっとも良い二つの州、シュレスウィヒとホルスタインを分け与えなければなりませんでした。
戦争はここに終わりを告げました。しかしデンマークは窮乏し、貧困の極みに達したのです。初めからそれほど多くもない領土の、しかも最良の部分を持ち去られたのですから。
これからどうやって国の運命を回復しようか、どうやって敗戦による大きな損害を償おうか、これはこの時、デンマークを愛する人たちが頭を絞って考えた問題でした。国土は小さく、人口は少なく、しかも残った土地は荒れ果てた砂漠のようなところが多いというありさまだったのです。
しかし、国民の精神力はこのような時にこそ試されるのです。戦いには敗れ、国土は削られ、国民の意気は消沈し、何ごとにも手がつけられないような、このような時にこそ、国民の真の価値は明らかになるのです。
戦いに勝った国の戦後の経営は、どんなつまらない政治家にもできます。国の威信が上がったことによって、それに伴うさまざまな事業を発展させることは、どんなつまらない実業家にもできます。難しいのは戦いに敗れた国の戦後の経営です。国の運命が衰退して行く時にその事業をどう発展させるかです。
実に戦いには敗れても、精神においては敗れない民族が、真に偉大な民族です。
宗教であれ、信仰であれ、国の運命が盛んになって行く時には、何の必要もないのです。しかしその国に暗い影が覆う時にこそ、精神の光が必要になるのです。その国が立ち行くか、滅んで行くかは、この時に決まるのです。
どんな国にも、時には暗黒の影が覆います。そんな時、これに打ち勝つことのできる民族が永久に栄えるのです。
それはあたかも、病気になった時に、人間の健康の度合いが分かるのと同様です。普段の時には、弱い人も強い人も外見上は変わりありません。しかし、病気になった時に弱い人間は死に、強い人間は生き残るのです。
それと同じように、真の意味で強い国は、困難に出遭っても滅びないのです。それは、軍隊は敗れその財源は尽き果てて、その時なお立ち上がる精神力を蓄えている国です。それはまさに国民にとって試練の時です。この時に滅びないものは、運命がどう変わろうとも、永久に滅びないのです。
デンマークの兵士たちは戦いに敗れて、我が家に帰って来ました。そして帰って来たところ、国は荒廃し、財産は尽き果て、目に見るものは全て悲しみと憤りと失望の種にほかなりませんでした。
「今はまさにデンマークにとって災いの日々だ」と彼らはお互いに言い合いました。
この挨拶に対して、「いや、そうではない」と答えることができる者は彼らの中に一人もいませんでした。
しかしながら、ここに、彼らの中に一人の工兵士官がいました。彼の名はダルガス(Enrico Mylius Dalgas)と言い、フランス系のデンマーク人でした。彼の祖先は有名なユグノー党(16世紀から17世紀における近世フランスにおける改革派教会(カルヴァン主義))の一員で、彼らは信仰のために故国フランスを追放され、デンマークに逃れて来た人々でした。ユグノー党の人たちは、至るところで信仰の自由と熱烈な信仰と勤勉さを表しました。英国ではエリザベス女王のもと、今や世界のトップを占める製造業を起こしました。そのほかにも、オランダにおいて、ドイツにおいて、たくさんの有意義な事業が彼らによって起こされました。
旧来の宗教を維持しようとした結果、フランスが失った多くのものの中で、最大の損失と言うべきものは、ユグノー党の海外脱出でした。そして19世紀の末においても、彼らは未だなお、その祖先からの精神を失わなかったのです。
Enrico Mylius Dalgas
ダルガスは、年齢はその時36歳でした。工兵士官として戦争に赴き、橋を架けたり、道路を建設したり、溝を掘ったりした時に、彼は詳しく故国の地質を研究しました。
そうして戦争はまだ終わっていませんでしたが、その時すでに彼は胸の中で、故国を回復させる方策を考えていました。
すなわちデンマークのヨーロッパ大陸に連なる部分で、その領土の大部分を占めるユトランド(Jutland)の荒れ地を変えてこれを肥沃な土地にしようとの大計画を、彼は既に胸の中に懐いていたのです。
ですから戦いに敗れて、彼の同僚たちが絶望感に押しつぶされて故国に帰って来た時に、ダルガスはただひとり、その顔には微笑みを浮かべ、希望の春を夢見ていました。
「今はデンマークにとって災いの時だ」と彼の同僚たちは言いました。
「ほんとうにそうです」とダルガスは答えました。
「ですが、私たちは外に失ったものを、内において取り返すことができます。あなた方や私が生きている間に私たちはユトランドの荒野を変えてバラの花が咲くところにすることができます」と彼は答えました。
この工兵士官の胸には預言者イザヤの精神が宿っていました。彼の血管の中に流れるユグノー党の血は、この時に遭遇して彼を平和の天使としました。他の人たちが失望している時に、彼は失望しませんでした。彼はその国の人々が剣を持って失ったものを、鋤を持って取り返そうとしました。
この時に敵の国に対して復讐の戦いを計画するのではなく、鋤と鍬とを持って残された領土の荒廃と戦い、これを田園に変えて、敵に奪われたものを補おうとしました。
ほんとうにクリスチャンらしい計画ではありませんか。真の平和主義者はこのような計画を立てなければなりません。
しかしながらダルガスはただの預言者ではありませんでした。彼は単なる夢見る者ではありませんでした。工兵士官だった彼は、土木学者であったと同時に、また地質学者でもあり、植物学者でもありました。彼は詩人であったと同時にまた実際家でもありました。彼はどうしたらその理想を実現できるかを知っていました。
このような軍人を私たちはときどき欧米の軍人の中に見ます。軍人と言えば人を殺す技術にたけている者だとの考えは、外国においては一般になされていないのです。
ユトランドはデンマーク国土の半分以上を占めます。そして当時その三分の一以上が不毛の地だったのです。総面積3万9千平方キロのデンマークにとっては約8千平方キロの荒野はあまりにも広い、役立たずの土地です。
この土地を改良して肥沃な土地とし、外に失ったものを内において償おうとするのがダルガスの夢だったのです。それでこの夢を実現するにあたって、ダルガスの取った武器はただ二つでした。
その第一は水でした。そしてその第二は樹木でした。荒れた地に水を注ぐことができ、これに木を植えて植林の成果を上げることができれば、それでことは成就するのです。それは至って簡単でした。しかし簡単でしたが、容易ではありませんでした。
この世界に制御することが難しいものとて、人間が作った砂漠のようなものはありません。もしユトランドの荒れ地がサハラ砂漠のようなものだったならば、問題ははるかに容易だったのです。
自然の砂漠は水をさえこれに注ぐことができれば、肥沃な土地になるのです。しかし人間が何もせずに、世話を怠っていた結果できた砂漠を回復するのはもっとも難しいのです。そうしてユトランドはこのような種類の荒れ地だったのです。
その昔800年以前には、そこには良く茂った林がありました。そうして今より200年前までは、ところどころに樫の木を見ることができました。
それなのに文明が進むと時を同じくして、人々の欲望はますます大きくなって、人々は土地から搾取するに急で、これに報いるに緩やかでした。そのために土地は時を経るに従いますます痩せ衰え、ついに40年前には憐れむべき状態になってしまったのです。
しかし人間の飽くなき欲望によっても大地を永久に死滅させることはできません。神と大自然が啓示するある適切な方法によれば、このような最悪の状態にある大地も、元からの肥沃な土地に返すことができます。
まさに詩人シラーが言ったように、大自然は永遠の希望であり、その崩壊と腐敗はただ人間の間に見るのです。
(その方法とは)まず溝を掘って水を流れさせ、ヒースと呼ばれる荒野の植物を駆除し、これに替えてじゃがいもと牧草を植えるのです。
このことは、それほど困難ではありませんでした。しかし最も難しかったのは荒れ地に木を植えることでした。そしてこのことのためにダルガスは非常に苦心し研究しました。
植物の種類は多いですが、ユトランドの荒れ地に適し、成長してレバノンの栄えを表すような樹木はないだろうかと彼は研究に研究を積み重ねました。そこで彼の心に思い当たったのはノルウェーで生育する樅の木でした。これこそユトランドの荒れ地にふさわしい樹木であるということは、はっきりしました。しかしながら実際にこれを植樹して試してみますと、思ったようには行きません。
樅の木は生育しますが、数年経つ内に枯れてしまいます。ユトランドの荒れた土地は今やこの強靭な樹木をさえ養うことができないほどに、養分が不足していました。
しかしダルガスの熱情はこのことによってくじけることはありませんでした。彼は大自然が彼にこの問題の解決を示してくれることを確信していました。ですから彼はさらに研究を続けました。そうして彼の脳裏にふと浮かんで来ましたのは、アルプスで生育する小さな樅の木でした。
もしこれを移植したならばどうだろうかと彼は考えました。そしてこれを取り寄せて、ノルウェーの樅の木の間に植えると、不思議なことに両方の樅の木は共に並んで成長し、年月が経っても枯れなかったのです。
これによって大きな問題は解決しました。ユトランドの荒野に初めて緑の野原を見ることができたのです。
緑は希望の色です。ダルガスの希望であり、デンマークの希望であり、その国民250万人の希望は現実となったのです。
しかし問題はそれでも完全には解決していませんでした。緑の野原はできましたが、緑の林はできなかったのです。ユトランドの荒れ地から建築用の木材を伐採しようというダルガスの野心的な願いは事実とはなりませんでした。
樅の木はある程度まで成長して、止まってしまいました。枯れることはアルプスの小さな樅の木を一緒に植えることによって防ぐことができましたが、いつまでも成長を続けることができなかったのです。「ダルガスよ、お前が預言した材木をくれ」と言ってデンマークの農夫たちは彼に迫りました。あたかもエジプトから逃れ出て来たイスラエルの人たちが、一部の失敗のためにモーセを責め立てたのと同じようでした。
しかし神はモーセの祈りを聞いて下さったように、ダルガスの心の叫びをも聞いて下さいました。(神の)黙示は今度はダルガスに臨まず、その息子に臨みました。彼の長男をフレデリック・ダルガスと言いました。
彼は父の気質を受け継いで、優秀な植物学者でした。彼は樅の木の成長の仕方について大きな発見をしました。
若いダルガスは言いました。樅の木がある程度以上成長しないのは一緒に植えた小さな樅の木をいつまでもその側に生やしておくからだ。もしある時期が来て小さな樅の木を伐り払ってしまうならば、樅の木はその土地を占有して成長を続けるだろうと。
そして若いダルガスがこのことを実際に試してみたところ、実にその通りでした。側に植えられた小さな樅の木はある程度まで、もともとの大きな樅の木の成長を促す力を持っています。しかしそれがある程度に達した時には却ってこれを妨げる作用があるという、奇妙な植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見されたのです。
しかもこの発見はデンマークの国土の開発にとっては、実に絶大な発見でした。これによってユトランドの荒れ地を元に戻すという難しい問題は解決されたのです。その結果デンマーク各地に鬱蒼(うっそう)とした樅の林を見るようになりました。
1860年にはユトランドの山林はわずかに6万3千ヘクタールに過ぎませんでしたが、47年後の1907年になった時には19万ヘクタールの広さに達しました。
しかしこれはなお全国土の7.2パーセントに過ぎません。さらにダルガスの方法に従って植林を続けるなら、数十年後にはこの地に数百万ヘクタールの緑の森を見るに到るでしょう。実に大いなる希望があると言うことができます。
しかし植林による効果は木材の収穫だけにとどまりません。第一にその良い影響を受けたのはユトランドの気候でした。樹木の生えていない土地は熱しやすくまた冷めやすいです。
ですからダルガスが植林をする以前には、ユトランドの夏は、日中は非常に暑く、夜は時には霜が降るほどでした。一日の間に熱帯の暑さと冬の初めのような霜に出遭っては、植物の成長には堪りません。
その当時、ユトランドの農夫たちが、収穫する希望を持って植えることができた植物は、じゃがいも、黒麦、そのほかの少数の種類に過ぎませんでした。しかし植林が成功してからのこの地の農業は一変しました。夏の時期に霜が降ることは全く止みました。今や小麦や砂糖大根など、北欧で生産できる穀物、または野菜で育たないものはなくなりました。
ユトランドの荒れ地は樅の林が茂ることによって、優良な田園と変わりました。木材を収穫することができるようになった上さらに、温暖な気候に恵まれるようになりました。植えるべきはまさに樹木です。
しかも植林による良い影響はこれにとどまりませんでした。樹木が生い茂ることによって、海岸から吹き寄せられて来る砂(すな)埃(ぼこり)によって荒れ地となることが防がれました。北海沿岸に独特な砂丘は海岸の近くだけに食い止められました。樅の木は根を張って、襲いかかって来る砂埃に対して言いました。
「ここまでは来ることができる、しかしここを越えてはならない。」
ヨブ記38章11節
北海沿岸の国にとっては、敵国の艦隊よりも恐ろしい砂丘が、戦艦ではなく緑の樅の林によって、ここに見事に撃退されたのです。
霜は降りなくなり、砂埃は抑えられ、その上に第三の効果として、洪水の被害が無くなったのです。
これはどこの国でも植林の結果としてすぐに現れるものです。
もちろん海抜180メートルが最高点のユトランドでは我が国のような山の多い国のように洪水の被害を見ることはありません。しかしその比較的少ないこの被害すら、ダルガスの事業によってなくなったのです。廃れてしまっていた町並みは再び活気づきました。町や村が新たに起こりました。土地の値段は非常に高騰し、あるところでは40年前の150倍に達しました。道路と鉄道は縦横に建設されました。日本の四国とそれに2万6千平方キロを加えた広さのユトランドはこうして復活しました。戦争によって失われたシュレウスウィヒとホルスタインは、今日に至ってはすでに償われてなお余りあるということです。
しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、さらに尊いものは国民の精神です。デンマークの人々の精神はダルガスの植林が成功したことによって、全く変わったのです。
失望していた彼らはこのことによって希望を回復しました。彼らは自分たちの国を削られて、さらに新たな良い国を獲得したのです。それは他の国を奪ったのではありません。
自分たちの国を造り替えたのです。自由な宗教観から来る熱誠と忍耐と、そしてこれに加えて樅の木の持つ不思議な力とによって、自分たちの荒れ果てた国を挽回したのです。
ダルガスのそのほかの事業について、私は今ここでお話しする時間がありません。彼はどのようにして砂地を田園に変えたか、沼地の水を排水したか、どのようにして石地を開墾して果樹園を作ったか、このことは植林事業に劣らず興味ある物語です。これらの問題に興味を持たれる方は直接に私にご質問下さい。
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今日、ここでみなさんにお話しましたデンマークの話は、私たちに何を教えてくれるでしょうか。
第一に戦いに敗れることは必ずしも不幸ではないことを教えてくれます。国は戦争に敗れても亡びません。実際のところ戦争に勝利したのに滅びてしまった国は歴史の上で決して少なくはないのです。国が栄えるか、亡びていくかは戦争の勝敗の結果によりません。その国民の普段からの心のありようにあります。良い宗教、良い道徳、良い精神が(国民の間に)ある時に、国は戦争に敗れても衰えることはありません。いや、その全く反対が事実です。堅固な精神のあるところ敗戦はかえって、良い刺激となって不幸に陥っている民族を立ち上がらせます。デンマークは実にその良い実際例です。
第二は自然の無限な生産力を示します。富の源は大陸にも、島々にも、沃野にも、砂漠にもあります。大陸の所有者が必ずしも富んでいる者ではありません。小さな島を持っている者が必ずしも貧しい者ではありません。ですから小さな国は決して嘆く必要はありません。逆に国が大きいことによって誇るということはできません。富というものは形として現れたエネルギーです。そうしてエネルギーは太陽の光線にもあり、海の波にも、吹く風にもあり、噴火する火山にもあります。もしこれを利用することができますならば、それらはみなすべて富の源です。かならずしもイギリスのように、世界の陸地面積の六分の一の所有者となる必要はありません。デンマークで足ります。いや、それよりも小さな国で足ります。外に拡大するよりは内を開発するべきです。
第三に信仰の実力を示します。国の実力は軍隊ではありません。軍艦ではありません。はたまた金ではありません、銀ではありません。信仰です。
このことに関しましてはマハン大佐(アメリカ海軍の軍人・歴史家・戦略研究者)もいまだ真理を語りません、アダム・スミス(イギリスの経済学者・哲学者)、J・S・ミル(イギリスの哲学者にして経済学者)もいまだ真理を語っていません。このことに関して真理を語っているものは、やはり聖書です。
もしからし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって「ここからあそこへ移れ」と言えば、移るであろう。このようにあなたがたにできない事は、何もないであろう。
マタイ伝17章20節
とイエスは言われました。
なぜなら、すべて神から生まれた者は、世に勝つからである。そして私たちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
ヨハネ第1の手紙5章4節
と聖ヨハネは言いました。
世に勝つ力、地を征服する力はやはり信仰です。ユグノー党の信仰はその中の一人の人によって、鋤と樅の木とでもってデンマークを救いました。
あるいはまたダルガス一人に信仰がありましても、デンマークの人々全体に信仰がありませんでしたら、彼の事業も効果なく終わったのです。この人があり、この民族があって、またフランスから携えてきた自由な信仰が、デンマークの地に自ずと生まれ出た信仰があって、この偉大な事業が成功したのです。
宗教は詩人や愚かな人には関係ないと唱える人は誰ですか。宗教は詩人や愚かな人には向いているけれど、実業家や知恵のある人には必要ないなどと唱える人は、歴史も哲学も経済も何も知らない人です。その国にもしこのような「愚かな知恵ある者」だけがいて、ダルガスのような「知恵のある愚かな人」がいなかったならば、不幸にも一歩を誤って、敗戦の悲運に遭った時に、その国はたちまち滅びてしまうのです。
国家の大きな危機に際して、信仰を無用のものと白眼視するようなことは、あってはなりません。
私が今日ここでお話しししましたデンマークとダルガスについての事柄は、大いに軽薄な世の知識人にとって戒めるべきことです。
「後世への最大遺物 デンマルク国の話」/内村鑑三著より