オルレアンの少女:ジャンヌ・ダルク
13歳の時、神の声を聞きフランス解放のために立ち上がって、最期は異端審問により火刑とされたが、のち復権裁判によってカトリック教会においては聖女とされているジャンヌ・ダルクについて
あなたたちの先祖が予言者たちを迫害し、あなたがたはその碑を立てる。これによってあなたがたはその子孫であることを明らかにしている。
たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。またあなたがたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。イザヤ;30-20
私に向かって主よ、主よと う者がみな天国に入るのではなく、ただ天にいますわが父の御旨を行う者だけが、入るのである。その日には多くの者が私に向かって「主よ、私たちはあなたの名によって予言したではありませんか。またあなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか」と言うであろう。その時私は彼らにはっきりこう言おう。「あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ。」・・・マタイ7-21
神の声を聞き、その命ぜられたままに生きた人こそは、神に知られた人である。人が何と言おうと、思おうと、神の栄光はその人の上にある。
<時代背景>
中世末のヨーロッパにおいては、英仏百年戦争とよばれる戦いも、国家間の戦いではなく、当時のイギリス国王たちの多くがフランス出身の封建貴族であったため、フランスの地にはイギリス王家の領地が大量に存在していた。このため、絶え間ない領土拡張の戦いが繰り広げられ、結果として、そこに住む人々は長い期間に亘って塗炭の苦しみを味わうことになったのである。
1428年の秋、イギリスの一部隊はパリを南下して、ロアールの中流の要地で、その領主シャルルをロンドンに捕らえてオルレアンの町を包囲した。この時、「オルレアンの囲みを解放せよ」という神の声を聞いたと称する一少女が王太子の居城シノンにあらわれ、確信に満ちて、危険を恐れぬことなく戦闘に立ちあがった。この少女の行動は、味方の兵士たちに限りない勇気を与えた。そしてオルレアンの城が開放されることによって戦局の転換に重要なきっかけを与えたのであった。このことはまさに歴史的事実である。
ジャンヌ・ダルクの生涯は、政治的観点からだけ見るならば、錯綜した政治情勢の中でフランスの国王、アルマニャック派の王太子に忠節を尽くして殉じた一人の少女のそれに過ぎない。
だが、神の命令を受けたという信念を貫き、世俗ならびに教会政治の世界に戦い敗れ、最後には火刑台上に「イエズス様!」という叫びを残して、その信ずるものに殉じた彼女の生涯には、神の正義や慈愛、人の義務や勇気というような、国境を超え、全人類に通ずるものが含まれていて、今日まで多くの人々の感動を呼び覚まして来た。
私はことさらジャンヌ・ダルクの研究者ではないが、高山一彦氏訳の「処刑裁判」および「復権裁判」の記録から彼女自身の告白を抜粋して見た。それによって信仰とは神に聞いて生きることだと言う、何千、何万回と語られて来た「生き方」の一つをここに紹介し、自分でも考えたかったのである。
なお、< >の部分はそれに至る背景を私なりに解説し整理して綴った。多くは上記高山一彦氏による「処刑裁判記録」「復権裁判記録」から引用したものである。
<ルーアンでの処刑裁判は当初から少女を異端者に仕立てる目的で行われたものであり、追及の焦点は当初からジャンヌが聞いたという声の実体、すなわち少女の受けた啓示の真偽にあった。
声とは真に神からのものか、あるいは悪魔のささやきか。
「汝が捏造した虚妄」、「悪しき霊に由来するもの」という裁判所の判断に対し、自分の聞いたのは神の声だとの信念を曲げぬジャンヌは、「教会の判断に従わぬ分派、偶像礼拝の徒、異端者・・・等々」の多数の罪名をもって破門されることになったのである。>
<ジャンヌの告白>
私が13歳のころ、真夏の正午、父の家の庭にいた時「汝を助けよう」という神の声を聞きました。最初は非常に恐ろしく感じましたが、その声は光に包まれ、威厳を帯びていたので、神からのものだと信ずるようになりました。三度にわたってその声を聞くにおよんで、それが天使の声だと直感するようになりました。
御声は常に私を導き守護して下さいました。ある時、「お前はフランスに行って、オルレアンの包囲を解かなければならない」と告げられました。そしてヴォークルールの町の城に赴いて守備隊長をしているロベールに会うことを命じ、「隊長は自分と同行してくれる従者を与えてくれるだろう」とその声は告げたのです。
私はそれに対して、自分は貧しい娘で、馬に乗ることも戦闘の仕方も知らないと答えました。しかし、実際にヴォークルールに到着したとき、私はそれまで会ったことのないロベールを見分けることができ、そして、彼に向い、自分はフランスに行かねばならないと告げたのです。
<処刑裁判で審問する司教に向かって>
「あなたは私を裁く者だとおっしゃっていますが、あなたはそれによって非常な危険を冒しています。ほんとうに私は神から遣わされているのですから・・・」
< 神のお告げの内容を述べることを禁じられているのか?>
「私にそれを禁じたのは人間ではないことをお信じ下さい。私がキリストの教えを信じ、我が主が地獄の責苦から我らを救い給う方であることを信ずるのと同じように私は、自分に語りかけられたこの声は神から送られ、神の命であることを固く信じます。
<お前に話すのと同じように、なぜその声は、いま国王と話をかわさないのか?>
それが神の思し召しなのかも知れません。主の御恵みがなければ自分には何もすることができないのです。
<あなたは神の恩寵に浴していると思うか?>
もし現在私が恩寵に浴していないなら、神様は私に浴させて下さるでしょう。もし私が恩寵に浴しているなら、私をその状態に留めて下さるでしょう。神様の恩寵に浴していないことが分かるなんて、こんな悲しいことはありません。もし、自分が罪を犯しているなら神の声が私に聞こえて来るはずはないと思います。
<あなたに話しかけるのは天使の声か、聖者や聖女の声か、あるいは直接神からの声なのか?>
その声は聖女カトリーヌと聖女マルグリットの声であり、聖女たちの頭の上には、立派な冠が豪華に気高く飾られていました。私ははじめから彼らが聖女達だと解ったわけではありません。最初聖ミシェルが、天使たちを伴って現れました。
< 聖ミシェルや天使達を具体的な姿で見たと言うのか?>
あなたを見ているのと同じように、私のこの目で見ました。天使達が私から離れて行く時私は泣きました。私を一緒に連れて行って欲しかったからです。どうか私の言うことをお信じになって下さい。
<男の服を着るように命じられたのか?>
服装などたいしたことではありません。しかし男の服を着たのは現世の誰の忠告によるのでもない。男の服を着るにせよ、どのようなことをするにせよ、神や天使達の命令以外でしたことはありません。私の行いはすべて神の命令によるものです。神が他の服を着用せよとお命じになったなら、他の服を着ていたでしょう。神の命令で行ったことはすべて正しいことだと思うし、主の信頼と救いを期待しています。
7年以内に神がフランス人に大勝利を与え給うとの啓示を私は受けました。この事は司教がここにいるのと同じくらい確かなことです。 自分が大罪に陥っているかどうかは解りませんが、主よ、どうか、私の魂が非難をうけねばならぬような行為を犯していることがありませんように。しかし、万一そうであれば、聖女カトリーヌも、マルグリットも自分を見捨てるでしょう。良心はどんなに清めても清めすぎることはないと思います。
復活祭の週に、ムランの樟壁の上にいた時、聖女カトリーヌおよびマルグリットから、自分はサン・ジャンの祝日が来る前に捕虜になるだろうとのお告げを受けていました。お告げは成就されなければならなかったことであり、自分はそれを聞いて驚きはしなかったし、怨むこともなくすべてを受け入れました。神が力を貸して下さるであろうと思いました。ただ捕虜になる場合、長く牢獄の苦しみを味あわないうちに死ねるように頼みましたが、聖女たちは私に、すべてを主の思し召しと考えて受け入れなければならないと命令しました。
<あなたが捕虜になっても、天使はあなたを裏切ったことはないと言うのか?>
わが主の意に叶うことであれば、自分が捕らえられることも良いことだったと信じます。
<両親の家を出る時、罪の意識を持たなかったか?>
神がお命じになったことですから、正しい行いだと思いました。もし自分に父親が百人いたとしても、また自分が国王の娘だったとしても、神が命ぜられた以上自分は出発したでしょう。
<天使たちは長い時間あなたと一緒にいたのか?>
天使達はキリスト信者達のなかに度々現れるが、彼らには見えないだけです。私は度々見かけています。天使達は、私を「乙女ジャンヌ、神の娘」と呼びました。天使が訪れたのには重大な目的があり、国王が徴を信じ、私が査問から解放されることが必要だったからであり、またオルレアンの市民達に救援を送り、国王とオルレアン公の光栄をたたえるためでした。
<なぜ他の人ではなく、あなたに天使が遣わされたのか?>
国王の敵どもを国外に追い払うのは、慎ましい一人の乙女であることが神の思し召しにかなうことだったからです。
声は度々、大勝利の結果自分は解放されるだろうと告げてくれた上、すべてを喜んで受け入れなさい、殉教を怖れることはない。おまえは最後には天国にやって来るのだからと私に語って下さいました。私が殉教という言葉を使ったのは、牢獄で自分が受けている苦しみと不幸が原因であり、今後もっと大きな試練を受けるかどうかは解りませんが、私はわが主にお任せしています。 その声が自分は救われると告げたことは確かなことで、それは私が既に天国にいるのと同じことだと思っています。
< 「復権裁判」の記録より>
「フランスは一人の女性によって荒廃するが、その後、辺境ロレーヌの一人の乙女によって建て直されるであろうと、昔から言われていなかったでしょうか」 私はロベールに言いました。四旬節の中日までには、たとえ足をすり減らしても、王様の許へ行かねばなりません。実際フランス王国を復活させうる者は、国王にせよ、大名たちにせよ、スコットランドの王女にせよ、世界には私以外に王国を救う者はいないでしょう。私にとっては貧しい母の許で糸を紡いでいるほうがずっと良いのです。こんなことは私の仕事ではないのです。けれども、私はどうしても王様のところへ行って、その仕事をしなければなりません。私がそれをすることを、わが主がお望みだからです。」
「私は兵士どもは恐れません。もし途中に兵隊どもがいても、私には神様が、わが主が付いていて、王太子様のところ行く道を開いてくださるでしょう。私はそのために生まれてきているのですから。」
<王太子に向かって>
国は王太子のものではなく、わが主のものです。わが主は王太子が国王になるのを望んでおられ、王太子にその王国を治めることを託されたのです。敵どもがどうあろうと、王太子は即位されるでしょう。私が即位の場所にお連れします。 疑ってはいけません。やがて殿下は自分の王国全部を回復し、遠からず戴冠するでしょう。
<神がフランスの人々を現在の苦難から救ってくださると<声>が告げたと言うが、もし神が救ってくださるなら、兵士たちは要らないだろう?>
「神かけて申します。兵士が戦うからこそ、神は勝利を与え給うのです。」
<おまえは神を信じているのか?>
「あなたより深く」
「どうか私をオルレアンに送ってください。私はそこで神から送られて来たという徴をおみせいたします。」
第一は、イギリス人は敗退してオルレアンの前面の包囲の陣は撤去され、オルレアンの町が解放されること。(ただしその前に彼女はイギリス人に降伏の勧告をすること。)
第二は国王がランスで聖別・戴冠の式を挙行すること。
第三は、パリの町は国王の支配下に戻ってくること。 最後にオルレアン公がイギリスから釈放されることです。
<なぜ旗印を手にしているのか?>
「自分は剣を使うことを好まないからです。だれも殺したくないのです。」
私はaもbも知らない無学な乙女です。 しかしわが主の命令はあなたがたの命令よりも遥かに賢くて確実です。私は、どんな兵士や町から来る援助よりも優れたものをあなたがたにもたらしているのです。それは天の王の援助です。それは私に対する愛からもたらされたのではなく、神の愛そのものなのです。神は聖王ルイと聖シャルマーニュ皇帝の祈りにこたえて、オルレアンの町に憐みを給い、敵がオルレアン公自身やその町を奪うことを許されないのです。 神の名において私に告げられたことに関して人々が容易に信じないような場合、私は一人だけ別の場所で神に祈り、そのことを神に訴えます。すると、こういう声が私に聞こえてきます。「神の娘よ、行け、行け、私はお前を助けよう、行け」と。私はこの声を聞くと非常な喜びを覚え、いつもその状態が続くように願いました。この状態がさらに強くなると、その声の告げる言葉を繰り返しながら、目を天のほうに向けていると、私自身が、驚くべき歓喜に包まれるのです。
<トロワの町を占領した後>
私が生を終える日には、願わくばこの土地に埋められますように! しかし私の死に場所は「神様の思し召されるところです。私にはあなたがご存じになっている以上に、その時も、その場所もわかってはいないのです。どうか創造主である神が、いま私にこの場から身を引いて、武器を捨て、妹や兄たちと一緒に羊の番をしながら両親に仕えるため、立ち去らせて下さるように願います。彼らは私を迎えてとても喜んでくれるでしょう。」
<王に向かって>
「疑ってはいけません。神様のお気に召す時が行動の時なのです。神様が望まれる時に行動しなければなりません。「行動なさい。神は助け給います。」 「わが主は、どんな優れた学者もその内容を読み取り得なかったような本をお持ちなのです。」 イギリス人たちは、結局私を殺すということは私はよく知っています。彼らは私が死ねば、フランス王国をわが物にできると信じているからです。けれどたとえ「イギリス兵」が今より一万倍も多くなっても、フランス王国は奪えないでしょう。
<いったんジャンヌが自分たちの手に落ちたことであれば、イギリス人たちは何の顧慮することもなく彼女を処刑することができたであろう。だがそれは彼女を一気に殉教者とすることにもなった。イギリス側の摂政ベッドフォードはきわめて老獪で、事態をそのままは進行させなかった。さらにこの時代に生きた人間として、ジャンヌを掴まえたことで、これ以後フランス王国の権威に致命傷を負わせうるということをよく知っていた。 シャルル七世がランスで国王になるための油注ぎと戴冠の儀式をあげることができたのは、ジャンヌのおかげであったことはあまりにも知れわたっていたからである。この尋常でない娘が、もし異端者だということが明らかになれば、また娘の言う神からの使命なるものが欺瞞だとしたなら、国王の立場は永久に失墜することになろう。その反対に神聖化されるのは、彼の甥で英仏二元王国の当主であるイギリス国王となる。・・・>
<戻り異端として火刑台に上げられ、焼き殺されることを宣告されて>
「ああ、何と言う恐ろしくてむごい扱いでしょう。これまで汚されたことのないこの躯そのものが、今日という日に焼き尽くされて灰になってしまうとは!ああ、こんなように焼き殺されるより、七度首をはねられたほうがましです。何と言うことでしょうか、私が服従している教会の牢に入れられていたら、そして私の敵や反対者たちではなく、教会の人たちに監視されていたならば、今のようなこんな惨めなことにはならなかったでしょう。 ああ、最高の判事である神のみ前に、私に加えられたこの上もない非道と暴虐を訴えます。」
<この後彼女はヴィユ・マルシェ広場に連行され、・・・説教の間中平静を保ち、極めて静かに耳を傾けた上、熱烈な信仰を告白しました。そして祝福された諸聖者への祈りをささげ、また階層や身分に拘わらず、味方も敵も区別なく、あらゆる人々に慎ましく許しを求め、また自分のために祈ってくれるよう求め、自分に危害が加えられたことを赦すと、非常に長い間語り続け、それは半時間から死の間際に及びました。・・・>
「イエズス様、イエズス様」
「ああ、ルーアンよ、おまえが私の死で苦しまねばならぬことをひどく恐れます。」
<火がつけられると、彼女は十回以上「イエズス様」と叫びました。とくに最後の息とともにひときわ強く「イエズス様」と叫びましたので、居合わせたすべての人がそれを聞くことができました。ジャンヌの死後、イギリス人たちは遺骸の灰を集めさせてセーヌ川に投げ捨てさせました。それはジャンヌが逃亡することを恐れたか、人々が彼女が逃亡したと信ずるのを恐れたためでした。>
<歴史をひもとく時、ジャンヌ自身も彼女の介添え人、すなわち彼女に味方する殉教者を持っていた。たとえば、ジャンヌを火刑台に送り込んだ判事たちの不実をなじったために投獄された、托鉢修道会の修道士ピエール・ボスキエ(これは火刑の執行後数週間もたたぬうちである)や、あまり知られてはいないが、ジャンヌの賛美をあえてしたために、パリで火刑に処されたベリナイックなる女性も存在していた。
神の声を聞いたということが、その人の信念に過ぎないならば、はたして人間は自分の身が焼き尽くされても、その信念に殉じることができるであろうか。その声を聞かしめ給うたお方がその人に力を与え、この世のどんな苦痛にも勝る喜びと慰めを与えて下さったということは、それを体験した人にしか了解されないものであろう。>