良い本を電子化して残そう

管理人の責任において、翻訳、または現代語による要約を紹介しています。

それでも人生にイエスと言う(続き)

2018年02月19日 07時58分29秒 | 紹介します

  ヴィクトール・フランクル「夜と霧」/強制収容所におけるある心理学者の体験」をどう読むかの続き

運命と向き合って生きる>

それは彼がアウシュビッツ収容所に連れて来られた時のことでした。

 持ち物はすべて出せ!ナチスの看守の声に彼は上着を抱きしめました。彼が隠し持っていたのは精神医学の論文、出版されれば処女作になるはずでした。彼にとっては自分が生きた証でした。上着の裏に原稿を縫い付けてまで、守りたいものでした。しかし結局大切な原稿は服もろとも没収、処分されてしまったのです。それでも彼は絶望しませんでした。過酷な収容所生活の中で紙の切れ端を手に入れ、わずかな時間を見つけては原稿の復元を試みました。何としてでも論文を仕上げ世に問いたい。収容所で彼の心を支えたのはこの原稿の存在でした。 

M:彼は収容所生活の中で高熱を出すんですね。彼の誕生日に囚人の友達がくれたちょっとした紙の切れ端に、彼は高熱にうなされながら原稿の復旧作業に取り組むんです。自分の仕事に対する執念ですね。

彼は自分が何かの作品を作り上げたり、あるいは仕事を通して実現して行く価値のことを創造価値と言っています。

T:具体的にはどういうことに対しての創造価値ですか?

M:例えば芸術作品を作るとか、彼のように著作を書くとかはもちろん創造価値ですね。しかし彼は大事なのは仕事の大小ではないと言っています。ある時彼の講演を聞いたある若者が、「先生、先生はいいですよ。多くの人に役に立っています。けれども私は洋服屋の店員です。毎日決まった仕事をただ、して行くだけ、こんな自分の人生に意味や価値があると言えるんでしょうか?」と問いかけました。

 彼は、それは関係ない。芸術だとか、論文を書くと言うことだけではない、人が人の喜びを作っていくそこに創造価値があると言っています。

S:そうすると、芸術家が彫刻を作る;そのこと自体が創造価値なのか、その彫刻を見て癒される人がいるんだと言うことなのか、その両方なのか。

M:この彫刻を見て誰かが喜んでくれると言う思いを持ちながら作品を作って行く、そのプロセスにおいて実現されるのが創造価値だと言っていいと思います。

T:Sさんにとっての創造価値とは?

S:僕は自分で深夜のラジオ放送が自分の使命だと思っているんですけど、時々する想像で一番怖いのは、この放送が流れていなかったらどうしようと言う妄想がありますね。やっぱり伝わっていると言うことに僕は相当な<創造価値>を置いています。

T:番組を見てくれている人がいて初めてね。

S:たとえ同じギャラ頂いたとしてもぼくは嫌です。(笑い)きちんとしゃべれないと思います。

 <心をふるわす経験―体験価値> 

労働に疲れ果て土の床に座り込んでいた彼ら、その時一人の囚人が外から飛び込んで来て言いました。「おい、見てみろ。疲れていようが、寒かろうが。とにかく出てこい。」しぶしぶ外に出た彼らが目にしたものは、あまりにも見事な夕焼けでした。

 私たちは暗く燃え上がる雲に覆われた西の空を眺め、地平線一杯に黒鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思われぬ色合いで絶えずさまざまに幻想的に形を変えていく雲を眺めました。ひとりの囚人が誰に言うのでもなく、つぶやきました。「世界はどうしてこんなに美しいんだ。」自分たちの状況とは関係なく存在する美しい自然、それを見た時彼らはつらい生活を一瞬でも忘れることができたのです。

M:彼は言っています。あなたが経験したことはこの世のどんな力も奪えない。<体験価値>というのはたとえば、大自然に囲まれている時に私たちはものすごい、圧倒的な感動を覚えますね。それからものすごい芸術作品、例えばオーケストラの音楽を聞いて感動に打ち震えているような時に、「人生に意味があるかい」と問われたら、その人は「何を決まっているじゃないか」と答えるに違いありません。

 逆にほんとうに苦しい時に美しさを感じたり、笑いが人の心を和ませます。

S:実際彼がその光景を見ていると言うことの説得力は凄いんですけど、人間はその地獄のような中で見る夕陽をきれいだと思ったりするのは、何故なのか。それが人間だからとしか言いようがないですね。

M:それが人間の人間たる所以なんですね。極限状態の中で、美に感動する。そういう能力が人間特有の力なんだと、彼は考えています。

S:確かになんかこう、自然を前にして、声も出なくなるようなことってありますよね。

M:<体験価値>は実はどの方も体験している価値だと思うんです。自然や芸術だけでなく、彼はこんな体験を「夜と霧」の中で記しています。

早朝、極寒の中で彼らは作業場へ行進して行きます。身を切り裂くような風が薄着の彼らを傷つけます。ほとんど誰もが口をきかない中、彼の隣の男がつぶやきました。

なあ君、もし我々の女房が今我々の姿を見たとしたら、たぶん彼女の収容所はもっといいだろう、彼女が今我々の状態を少しも知らないといいんだが。

それを聞いた時、彼は不思議な体験をしました。

私の目の前には妻の面影が立ったのであった。私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし、勇気づけるまなざしを見る。たとえそこにいなくても。彼女のまなざしは今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのだった。

 T:私、正直言ってここに一番感動しました。

M:私が知っている限りでも、女性の方がこの本を読んでこのシーンが一番感動したと言う方が多いです。

S:ただこの時彼は実際に妻に会っているわけじゃないですね。

M:しかも彼は奥様と実際に一緒にいることができた時間はかなり短いんです。けれども、彼はほんの短い時間だったけれども、支えてくれたあなたの愛は私がここで体験したあらゆる苦難よりも、もっともっと大きかった、というふうに語っています。

T:どれだけ愛を感じていたかということですよね。

M:そうですね。しかも奥様はその時すでに亡くなっておられたんですね。けれども後でそのことをふり返って、彼はそのことは問題ではない。あの時私はほんとうに妻と対話をしていたし、それは過去に過ぎ去った思い出かも知れないけれど、「ほんとうに愛した思い出」があれば、それはずっとそこに残り続けるんだと彼は言うんですね。

T:決して、ただの記憶ではない。記憶が記憶以上の力を持っていると言うか。

S:「それは問題ではない」と言う結論に彼がたどり着くまでにどんなに、悲しかったか。しかも彼が見たのは幻じゃないですか。しかし実際にそういう記憶も体験もあるから問題じゃないと言うことなんですか。

M:心から愛したという思い出があれば、単なる思い出であっても人の人生を一生支え続ける力を持っているんですね。

T:軽々しくは言えないことではありますけど、今回の大震災で多くの方が大切な方や家族を失った。そうした人たちにも過去の愛した記憶がきっといつか支えになりますよ、ということがこの本のメッセージの一つかも知れませんね。

M:こういうエピソードがあります。ご高齢の夫妻だったんですけれども、奥様が亡くなった後に、―日本でも残された男性が、うつ病で苦しむ場合がすごく多いんですが、―打ちひしがれたこの方が彼のところに相談に来て、愛し合った妻もいない、こんな時間がカラカラと過ぎて行くだけの、こんな人生に生き続ける意味があるんでしょうか?と彼に聞くんですね。

その時、彼はこう問うたんですね。「もしあなたが先に死んで奥様が残されていたらどうだったんでしょうね。」・・・「おそらく妻も私を失ったことで同じように苦しんでいると思います。」と、その方が言ったんですね。

彼は、そこにあなたの生きている意味があるんです。つまりあなたが今辛い思いを体験している、そのために奥様がその辛い体験をせずに済んだんだということ。そこにあなたの生きる意味があるのですと言ったんですね。

S:たとえば、後追い自殺をしちゃおうかなって思っても、この命があることを一番喜んでいてくれた人が、愛してくれた人だからと思うと。頑張れると言う。

 <人生にどう向き合うか;態度価値>

収容所生活の中で医師の仕事を任されるようになっていた彼はある時チフスにかかっていた若い女性と出会います。この若い女性は自分が近いうちに死ぬであろうことを知っていました。それにもかかわらず彼女は私と語った時、快活でした。

「私をこんなひどい目に遭わせてくれた運命に対して、私は感謝していますわ。以前の生活で私は甘やかされていましたし、ほんとうに精神的な望みを持ってはいなかったからですの。

あそこにある木はひとりぼっちの私のただ一つのお友達です。この木と良くお話ししますの。

木はあなたに何か返事をしましたか?

しましたって。

では何て木は言ったのですか?

あの木はこう申しましたの。私はここにいる。私はここにいる。私はいるのだ。永遠の生命だ。

T:収容所でもう自分は死ぬんだと言うその間際、自分の運命に感謝する。・・・

M:どんな状況に置かれても人間はある態度をとることができる。この価値は最後まで失われない。これが人生がどんな時にも意味を失わない、最終的な根拠であると彼は言っています。 

  彼は人生に対する態度を変えることによって、その人生を意味あるものに変えることができると言っています。私はですね、死を目前にした状況もそうですけど、今、格差社会と言われますね。どうせこの社会は格差社会で、こんなに開いているんだから仕方がない、こんな家に生まれたんだからというような状況がありますね。確かにどんな容姿に生まれるか、どんな家に生まれるか、これは選べないですね。けれども与えられた状況に対して人間はある態度をとることができるということは、現代の我々、普通に生きている人にも十分に通用する事実だと思うんです。

S:でもそれを絶望している人に対して、<態度価値>というものがありますよ 」と言っても、人の心は動くんでしょうかね。

M:語った直後に人生が変わるということはあり得ないんですね。けれどもそれがどこかで<種>として残り続ける。それがある時、ある状況で、ある場面を迎えた時に、ふっと花開くんだと思うんです。本当に必要な時にその言葉が生きてくると、私は思いますね。

 <苦しみの先にある希望の光>

T:誰しも生きていて苦しみ悩むことがあります。それをどうとらえたらいいのか。

彼が収容所の中で考え続けたこと、それは自分たちを苛む苦しみにはどんな意味があるかということでした。

彼は晩年まで人生の苦難とどう向き合えばいいのかということについて語り続けました。

人間は目的意識を持てば単に愛したり楽しむだけでなく、誰かのために、何かのために苦しむこともできるのです。

K:私が17歳、高校生でちょうど中途半端な時で、たとえば、谷に丸太が架かっていてそれを渡ると大人の世界に行ける、でもなかなか渡れない、そういう逡巡している時に、この本をちらっと読んでそこから、「目からうろこ」と言うんでしょうか、悩むと言うことは決してネガティブなことではないと、それは非常に大きな発想の転換になりましたね。

T:苦悩と言うのを彼はどう見ていたのか。

強制収容所でフランクルは苦しみについて、思索を深めて行きました。

多くの収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるかと言う問いでした。生きしのげられないのならこの苦しみには意味がないと言うわけでした。しかし彼の心を苛んでいたのはこれとは逆の問いでした。すなわち、彼らを取り巻くこの苦しみや死には意味があるのかという問いです。もしも無意味だとしたら収容所を生きしのぐことなど意味がない。身の回りに溢れる苦しみや死、その意味を考える中で、彼は苦しみや死とどう向き合うかが、最も重要なのだと感ずるようになりました。まっとうに苦しむことはそれだけで、もう何かを成し遂げることだ。苦悩と死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ。

T:人生の中で苦悩と死が充満している中でそれは何だろう?という考えが及ぶということ、これをどういうふうに考えて行ったらいいでしょうか。

K:苦悩と言うのは人間の本性であって、我々はどうしても、まず幸福になりたい、苦悩を避けたいと願うけれども、それは逆の方向に目標を設定していることになる。苦悩と言うのは単なる逸脱状態ではなく、人間の本性がそうなっているんです。

S:子供のころから親に教わって来たことは、苦悩を解消するんだ、解消しつづけて苦悩の無い状態が人間の完全体なんだというふうに、漠然と教わって来たような気がするんですが。・・・

K:それが180度変わるんですね。

S:苦悩はあるもんだと言う。

K:苦悩というと何かを我慢してストイックなイメージがあるんですけど、そうじゃなくて、人間性の一番の最高の価値は苦悩することによって現れて来る。だから、芸術家も、俳優も、あるいは漫才をやる方々も、だいたい私生活で苦悩した人がいい芸や仕事を見せてくれる。

S:ぼく自身は色々くよくよする人だから今の言葉は嬉しいですが、まっとうに苦しむということはどういうことですか。

M:彼は苦労の意味を二つにはっきり分けているんですね。一つは苦悩するがための苦悩、悩むがための悩みです。それと、何かのために悩む、誰かのために悩む、つまり人生の中で何かを引き受けるために悩む悩みですね。

S:どちらかと言うと、僕は最初のほうの苦悩になりかけます。苦悩していないことが怖い、だから悩み続ける・・・それはまっとうじゃない苦悩ということになりますかね。

K:まっとうにと言うのは、まじめにという意味で、夏目漱石の言葉の中に「あなたはまじめですか?」と言う言葉が何度も出て来るんですけれども、まじめと言うのは、具体的な声に、具体的に答えていく、・・・それができなくなった時に、自己意識の罠に引っかかって、苦悩自体が自己目的化するのではないでしょうか。

T:私、悩むなんてまさに自分と向き合う行為だと、ずっと思っていましたけれども。

M:「自分探し」なんてことを言いますね。彼に言わせると、それは本来の苦悩とはちょっと違うんですね。我を忘れて何かを取り組んでいる、誰かのために、何かのために、その時に苦悩で満たされるのであって、くるくる自分のことを考えて「自分探し」をしている間は、ほんとうの自分と言うのは見つからないと思います。

S:自分が悩んでいて、悩み過ぎて、病気の一歩手前までに行ってしまう時に、何も悩んでない人がどこかにいて、それに比べて何で私はこんなに悩みが多いんだろうというようなことがある気がします。

K:どうしても我々は比較をしてなぜあの人は幸福なのに、なぜ私は不幸なのかと言う、それは怨念になったり、ネガティブな感情になりやすいですね。

T:何で私だけと思ったり・・・

K:本当の苦悩はそれを逆転させる可能性がある、つまり自分は今苦悩の中にあるけれども、それをしっかりと受け止めてまっとうに苦しむというところが、最も人間として崇高なことかもしれないと思うと、そこから何か自分が変わって行くと思うんです。

S:なんかちょっと救われますね。苦悩している時、「それこそが今、向上しようとしている時なんです、それはとても人間らしい状況なんです」と言われるととても温かく感じますね。

 <運命は贈り物>

苦しみの中身は人によって違う、そこに大きな意味があるとフランクルは言います。

どんな運命も比類ない、どんな状況も二度と繰り返されない、そしてそれぞれの状況ごとに人間は異なる対応を迫られる。誰もその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人がこの苦しみを引き受けることに、二つとない何かを成し遂げるたった一度の可能性があるのだ。誰もがその人だけの苦しみ、そして運命を持っている。運命とは天の賜物、その人だけに与えられた贈り物だと彼は考えていました。

K:運命と言うのはドイツ語で贈ると言う意味があるんですね。おそらく神様からGIFTとして贈られたもの、それが運命なのかな、彼が言うには、人類史始まって以来、二人として同じ人はいない。与えられた運命と言うのはその人だけに与えられたものだから、贈り物というわけですね。

世の中で成功するかしないかを指して、良く我々はそれを運命と置き換えるけれど、彼は運命とはもっと本質的な問題として言っていると思います。

M:多くの人間は成功か、失敗かと言う水平軸の間だけを行き来している、その結果水平的なフラットな人生を生きることになってしまっている、ちょっと喜んだり、悲しんだり、グネグネするような状態ですね。

 それでは生きる意味を感ずると言う厚みが足りないですね。

 彼が現代社会に復活させるべきだと言っているのは、この垂直軸、つまり、絶望の極みにおいて生きる意味を問い詰め始めると言うことなんですね。

 そしてものすごく深い人生の深みに達っしたり、ものすごい高みに昇って行ったりする。この精神性の高みに昇る、垂直軸を取り戻すことが、私たち現代人が生きる意味を日々感じるためには必要ではないかと、彼は提唱しているわけです。

 市場経済と言うのは言わば、横軸だけで生きているわけですね。勝ち組か、負け組かとか?でも、成功したからと言って、それがどれだけ意味があったんだろうかとか、失敗をしたけれども、そこにはすごく意味がある場合もある。意味を問うと言うのは、今の市場経済ではほとんど失われたものです。

そうするとやっぱり悩むことを知らない人も出て来るし、悩みに対して非常に免疫力がない人が多くなる。だからこの深みが人間には必要だとおもいます。

 <むなしさと向き合う>

経済的な豊かさを追求して来た現代社会、そこに豊かさゆえの苦悩が生まれることを彼は指摘しています。

(フランクルの講演より)

 意味の喪失感は今日非常に増えています。とりわけ若者の間に広がっています。それは空虚感を伴うことがよくあります。昔のようにもはや伝統的価値観が何をすべきかを教えてはくれません。今や人々は基本的に何をしたいのかさえも分からなくなっています。

M:何でこんなに空しいんだろうと言うのは苦悩の中の一つではあろうけれども、まっとうな苦悩とはちょっと違うんですね。

K:社会が豊かに便利になったはずなのに、生きる意味が見えにくくなっている。何を信じたらいいのかとかどう行動したらいいのかと言うことが、個々人が決断しなければならない時代です。

 我々は伝統的な価値や宗教的な価値から解放されて、個人が自由になった。そうしてどう行動すべきかを自分で決めなさいと、逆に投げ返されているんですが、結局それを見出そうとしても、自分を見つめれば見つめるほど、自分の中に入り込んで行ってしまう。

M:彼が言っているのは、今の時代にストレスが足りない。そしてプレッシャーが足りない、そして緊張感がないと言っています。

これが現代の大きな問題だと言って、本来こうありたいと言う自分との葛藤で苦しむことがあっていいはずなんですが、「みんな違ってそれでいい」と言う、全部そのままでいいんだよと言う社会になって行く。そうすると緊張感がない社会になって行って、ちょっとストレスを感じると免疫がありませんから、ぽきっと折れてしまう、そういう時代になって行くと言うことを彼は1960年代にすでに言っています。

S:それを凄く感じるのは携帯電話の呼び出しで、出ない奴すごいむかつきません?

昔だったら電話に出たら「わあ、いてくれたんだと言って、喜ぶじゃないですか。電話がなかなかつながらないのが、普通だったから。でも今はつながるのが普通だから、呼び出し音が10回鳴っても出ない奴ってのは、何だよと思うじゃないですか。ぼくの場合はそういう意味でストレスに凄く弱くなっている。

K:今の我々はとにかく欲望を満たすことが幸せで、現代社会は欲望を極大化させる社会、結局見たいものだけを見る、それはテレビの番組もそうですし、ネット上でもそうなるわけですよね。見たいものだけを見ると言うことが非常に閉塞感を作り出している。

しかし、見たくないものに目を背けないことが「悩む」ことにつながる。だから彼はある意味で先見の明があったと思います。

 <過去は宝物になる>

彼は人生を砂時計に譬えて説明しました。

未来は現在を通過して過去になる。歳を取ると多くの人は未来が残り少なくなってしまうと嘆きますが、彼はそれを否定します。苦悩の人生を生き抜いたとき、過去はその人のかけがいのない財産になると、彼は語り続けました。

体験したすべてのこと、愛したすべてのもの、成し遂げたすべてのこと、そして味わったすべての苦しみ、これらはすべて忘れ去ることはできないことです。過去と言うのはすべてのことを永遠にしまってくれる金庫のようなもの、思い出を永遠に保管してくれます。

T:過去と言うのは過ぎ去って行くものだと思っていましたけれども、蓄積をされるものなんですね。

M:多くの方は今、この瞬間が大事だと言われるんですけど、彼のように過去こそ一番大切なものだと言う人はなかなかいないですね。

そして彼は何もせずに失われた時間は永遠に失われてしまうけれども、生き抜かれた時間は、時間の座標軸に永遠に刻まれると言っています。

K:我々はよく、若いから価値があると言いたがるんですけど、それは間違いだと思いますね。歳を取ることは決して恐れることではない。むしろ自分の金庫に忘れがたいものが溜まって行くわけです。

M:現代の私たちがこの本に出会い考えることは、ほんとうに意味が深いと思いますね。

K:ユダヤ人が日々大変な世界の中に入れられて、それでも人生にイエスと言うのは、大変な意味があったと思いますし、それぞれにその人にしかない運命的な状況があります。

3月11日は我々に、何時、何が起きるかわからない、そういう不安の中で我々は生きているけれども、しかし、人生にイエスと言う生き方ができるんだということを、この本は示してくれる。これは我々が3月11日を経たからこそ、この意味をかみしめるべきかなと思います。

それでも人生にイエスと言う・・・これは強制収容所で歌われた歌詞の一節です。彼は晩年までこの言葉を語り続けました。どんな状況でも人生には意味がある。今私たちの心に強く訴えかけて来ます。

 


それでも人生にイエスと言う。

2018年02月19日 06時28分02秒 | 紹介します。

 

「それでも人生にイエスと言う」

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」/強制収容所におけるある心理学者の体験」をどう読むか

 

  アメリカで1000万部を越えるベストセラーとなった「夜と霧」について、興味深い解説を「100分で名著」というテレビ番組で見ました。これはアウシュビッツにおけるユダヤ人強制収容所での、壮絶凄惨な体験を記しています。そこに記されていることは遠い過去の出来事ではなく、私たちが生きて来た20世紀に現実に起こったことです。戦後の平和で豊かな生活を享受している現在の私たちですが、歴史は繰り返します。いろいろな病的兆候が社会には見え始めている今、大いに考えさせられることがありましたので、敢えてここに内容を書き止め編集しなおしてみました。  

 以下は私個人の感想なので、興味のある方は動画を検索したり,NHKのテキストをご覧になっていただきたいと思います。(それで、出演者名はイニシャルに留めて置きます。)

                        
ヴィクトール・フランクル強制収容所の内部

***********************************************************************************************

 

番組紹介

100分で名著;「夜と霧」/<絶望の中で見つけた希望>

 これはユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルがナチスの強制収容所での壮絶な体験を綴った記録です。東日本大震災の後、ある書店ではこの本を、新刊本を置くコーナーに置いたところ、多くの人が手に取って読み、出版社へはたくさんの声が寄せられました。その一部を紹介します。・・・

・生と死についての普遍的なテーマが書かれているので、私の人生のお守りとして読み続けて行きたいと思っています。

・環境の激変で立ちすくみ、途方にくれていた私を導いてくれました。私には「生きるように」と言ってくれているかのように。・・・

 今回の指南役は心理学者であり、カウンセラーであるMさんです。

<基本情報>

 この本は1946年、終戦間もないオーストラリア・ウィーンでまず出版されました。これまでに20以上の言葉に翻訳されました。日本語に訳されたのはアメリカより早い1956年で、現在までにおよそ100万部が発行されています。

M:これは強制収容所に捕らえられたフランクルが、そこでの人間観察をありのままに記した生々しい本ですね。悲惨な状況が物凄く書かれているんですけれども、そこにかすかに希望が見える、そういった本です。

「夜と霧」の原題は「強制収容所におけるある心理学者の体験」とあります。精神科医ヴィクトール・フランクルは1942年9月強制収容所に入れられました。故郷ウィーンを追われ、チェコ、ポーランド、ドイツと、収容所を転々とさせられた2年半、中でも彼に強烈な記憶を焼き付けたのがあのアウシュビッツ強制収容所です。


収容所に到着すると彼らはすぐに長い列に並ばされました。その先でナチスの将校が人々を二手に分けていました。将校の人差し指のわずかな動きだけで。

 彼の番が来ると将校は少し考えたのち、右に向かうように指示しました。大半の人は左側に行かされました。そこには彼の同僚や友人もいました。彼は古株の囚人に尋ねます。

 私の友人はどこに行ったのだろう?

 そいつは別の側に行ったのかね。

 そうだ。

 そんならそいつはあそこに見えるじゃないか。あそこでお前の友達は天に昇って行ってらあ。

 生死が将校の指先一つで決められました。

 さらにあらゆる財産、所持品は没収、ヴィクトール・フランクルという名前は奪われ119104というただの    番号で呼ばれました。

 人生のすべてを奪われ、彼らを待っていたのは飢えや寒さ、過酷な労働でした。そんな極限的な条件の中で彼は人々の心を見つめて行ったのです。

T:これはほんとうに過酷な2年半ですよね。

S:今のところぼくの置かれている状況とあまりに違って、これに似た経験ですら思い当たらないにもかかわらず、興味があるのは、これが現代の日本人の心を打つということですね。

T:確かに、そこに思いを寄せるには今を生きる私たちにはすごく難しいなあと、実は読む前にちょっと思ったんですけれども、なぜかページをめくる手が止まらないのは何でだろう?と考えた時に、あの震災以降、普通に私たちが生活をしているにもかかわらず、今ある日常生活が続かないということが、ある日突然、実際に起きるんだということをほとんどの人が痛感をして、私自身はそういう思いを持ちながら読み進んでしまったんですよね。

S:これ凄いなと思うのは、ほんとに不条理なひどい目に遭っている人々がいるのに、ある意味でこれは観察対象なんだというふうに切り替えられる強さというか、凄さというか・・・

M:彼は決して観察対象とは思っていないと思うんですね。実際その場で仲間たちが次々に死んで行く。自分自身も死の危険にさらされている。見たくないものを見ざるを得ない。けれども、もし自分の命が助かったら、いつかこのことを本にしよう、そして多くの人に語って行こう、こんな人間の究極の真実を私は体験したんだということを語り継いで行く使命が自分にはあるんだと、彼は思っていたようです。

収容所に入れられた人々の心理状態とはどんなものだったのでしょうか。

彼は人々の心に生じたある現象を次のように記しています。

それは「アパシー」;感情がなくなったのです。

過酷な強制労働の日々、監視役の理不尽な暴力を受けている人を見ても、ただ眺めているだけ。朝、仲間が死んでいても、何の感情も起きない。苦悩する者、病む者、死につつある者、死者、これらすべては数週の収容所生活の後には、当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。

 やがて彼は生きることを放棄してしまう人々を目にするようになります。点呼の時間になってもベッドから起き上がれなくなってしまう人、食料と交換できる貴重なたばこを吸い尽くしてしまう人。・・・彼らは生き残ることはありませんでした。

T:無感動って極限状態ですよね、まさに。

S:想像ができるかどうかは別にして、ぼくもああなるような気がして・・・

T:Sさんなんかは最もそうならなそうですけど。

S:ぼくはああいう感じになるタイプかなって思いますね。いじめでも虐待でも、受けている人は当然ですが、下手をするとそれに対して声を上げない傍観者の人もそういう状況になるんじゃないかな、それは「防御」だというのが、ぼくの中のイメージです。いじめや虐待に遭っている子供たちを見ても、とても悲しんだり同情したりしてはいられない、それが生き延びる唯一の方法?

T:それは自分を守るため。

S:そういうものなのかなと想像したのですが、・・・

「そして彼らは生き延びられなかった」というのがショックでした。

M;多くの人が生き延びることができなかったわけですね。何がそれを分けたのかというと、自分には未来があるんだと言うことを信じることができた、わずかな人だけが最後まで生き延びることができたんだと彼は言うのです。

T:でもあの環境の中で未来を信じることができたというのはどういうことなんですか?

M:彼があげている例で印象的なのは、クリスマスの日が来たら私たちは解放されるはずだという噂が流れたのですが、実際はクリスマスがやって来たのに解放されなかった。それでクリスマスの翌日に多くの方々がバタバタと命を落として行ったんですね。解放されることはないんだという現実を目の当たりにして、希望を失って多くの方が亡くなって行ったんです。

S:なるほど、そのクリスマスまではという希望がある期間は生き延びる、それがガセネタだったという時には希望を全く失うわけですね。これってすごく難しいのは、信じることがもろ刃の剣というか、未来を信じる人の方が生き残りやすいと言うことと、それを信じ続ける強さと比例してそうならなかった時のショックが大きいような気がするんですが。

M:そうですね。絶対にクリスマスに解放されるんだと思い込んでいた多くの方は亡くなって行った。けれども違う希望を持っていた人たち、自分たちはいつかは解放されるという、未来に可能性を信じることができた人たちだけが生き残って行ったんですね。

T:期限付きでない・・・

 フランクルは絶望的な収容所生活の中で、どんな人が生きることを諦めなかったのかを次のように語っています。

繊細な性質の人々がしばしば頑丈な身体の人よりも収容所生活をよりよく堪え得た。・・・彼の言う繊細な性質の人間とは、どんな人だったのでしょうか?

 辛い労働の後すし詰めの貨物車に入れられ、くたびれ、腹を空かせ、凍える闇の中で、彼が目にしたのは、    「神に祈りを奉げる人々」の姿でした。また、労働の合間のわずかな食事休憩に、一人の男が樽の上に上がって、イタリア・オペラを歌い始めました。

ほんの一時であっても音楽で心を癒している人た、・・・

それが辛い収容所での生活を支える大きな力になっていたことを彼は発見したのです。

T:私、歌って言うものはこういう極限状況の中でまず一番最初に失くなって行くものだと思っていたんですけど、決してそうではなかったんですね。

S:屈強な体の人が生き残りそうなんだけど、そうじゃない。

M:この真っ暗な収容所とは別の世界への通路を持っていた人だけが生き残ることができた。体が頑丈なことよりも心の豊かさ、感受性の豊かさが生きる力になっていたと彼は言っています。

S:歌が何を生産するのかは分からない、信仰が物理的には何かを与えてくれるわけじゃないけれども、大事なことなんでしょうね。

M:そうですね。どん底に落ちているからこそ、何かを見つけ出す力が人間にはあるんだということがこの本では言われているんだと思いますね。これはSさんも同じだと思うんですが、収容所の中でユーモアを言うことによって、励まし合っていたというシーンが何度かあるんですね。

極限状態にある時には笑いこそエネルギーなる

と言うのは人生の真実だと思うんですね。 

 彼はたぶんこの収容所での経験が大きく影響していると思うんですが、自分が亡くなる直前まで家族をひたすら笑わせ続けたんですね。御家族がそう語っています。

 さらに彼は如何に絶望的な状況にあっても人間性を失わなかった人たちがいたことを指摘しています。

強制収容所を経験した人は誰でもバラックの中で、こちらでは優しい言葉、あちらでは最後のパンの一片を与えて通って行く人間の姿を知っています。かたやとても人間とは思えないような仕打ちをする人がいる一方で、どんな状況の中でも他人に手を差し伸べる優しさを失わない人がいました。彼は確信しました。<与えられた事態に対してどういう態度をとるかは誰にも奪えない、人間の最後の自由である。>

M:彼が実際に収容所の中で見たのは、死んだ仲間からものを奪って行く人もいたわけですね。けれども同時に、自分自身も息絶え絶えなのに、自分のわずかなパンをほかの人に与えて行く人もいた。つまり

収容所の中で人間は天使と悪魔に分かれて行った

という事実だったんです。

 どんな態度をとるかという、<態度決定の自由>だけはどんな人でも奪えない。これが彼が「夜と霧」の中で一番強調している点の一つなんです。

S:なんかこう、嬉しくもあり、誇らしくもある反面ちょっと責任の強い言葉だなと思います。すごくひどい環境にいたから俺はこんな悪いことをした、こんなひどい局面だったんだから俺がこんなにひどいことをしたとしても、俺のせいじゃない(環境のせいだ)という・・・

M:そうですね。状況がひどくなったら仕方ないじゃないかという、人間誰でもこうなるんだと言うことに対して、彼はノーと言っています。そうではなくてどんな状況であれ、ある態度を自分が選び取ることができる。そのことを収容所で一番人間の精神の真実として知ることができた、そこに希望を見出したというふうに語っています。

 今、貧困化社会、ニート化難民とか言われていますね。そういう人たちはある種、現代の収容所の中に生きているというような状態にあると言ってもいいと思うんです。

 行っても、行ってもどこまでも闇だと言う感覚を持っていると思うんですね。けれども彼は収容所の中にあっても、未来を信じると言っているんですね。いつかは希望の光が人生の方から射してくる。

S:このバランスは難しいですね。希望を持てよ!というのは簡単なことなんだけど、それが根拠のない希望だと死んじゃうと言うのもまたひどい話で、・・・その中でいいあんばいの希望を見つけると言うのは簡単じゃないかもしれない。でも、もしかしてこの本を読んでいるうちに希望が出てくるかもしれませんね。

T:確かに読んでいるうちにすぐ、分かったとはならないかも知れない。でも何年後かに彼の言葉ってこういう意味だったのかと若い人たちが気づいてくれれば・・・

<どんな人生にも意味がある>

4歳のある日彼は「人はいつか必ず死ぬ。だとしたら僕はなぜ生きるんだろう。」という疑問を抱いたと言います。幼い心に抱いた哲学的な問い、その答えを探し続けて彼は精神科医の道を選びました。患者の悩みを聞くうちにやがて彼はあの4歳の時の心の問いが解決の鍵だと思うようになりました。なぜ生きるのかその意味を失った時、人は心を病んでしまう。大切なのは自分が生きる意味を知ることだ。

そして患者が生きる意味を見出すことに治療の中心を置いて来ました。1942年強制収容所に入れられる時、彼はこう自分に言い聞かせたと言います。

お前はこれまで、人生には意味があると語って来た。それはどんな状況でも失われないと言って来たじゃないか。さあ、今度は自分でそれを証明する番だ。こうして彼は収容所の絶望の中でも生きる意味を探し続けて行ったのです。

T:フランクルは収容所に入る前から生きる意味を確立していたというわけなんですね。

M:彼はカウンセラー、精神科医として、意味の欲求が人間の一番根本にあるんだと言う「ロゴセラピー」と言うものをすでに確立していた。その彼が収容所に入れられた。そこで多くの人に向き合って行ったわけです。「生きる意味が見出せません」と言って来た人を救って来た人だからこそ、ここで私のやるべきことがあるんだという使命感に燃えたんじゃないでしょうか。

人生に絶望し、命を絶とうとした仲間を彼は意外な言葉で救いました。実際非常に厳しい収容所の環境の中では絶望してしまう人も多くいました。いつ解放されるとも知れず重労働を課せられる毎日、力尽きてしまう人、生きることを諦めてしまう人が続出する中、ある日、二人の男が悲壮な決意で彼を訪ねてきました。彼らはフランクルに言いました。

 ―もはや人生から何物も期待できない。

 死にたいと訴える二人に対して彼はある言葉をかけます。その言葉で彼らは自殺を思いとどまりました。それはいったいどんな言葉だったのでしょうか。

T:Sさんなら何と言葉をかけますか?

S:凄いと思ったのは、説得されてしまってもおかしくないじゃないですか。そうだなとか、分かる、分かるとか。・・・まあ、私の場合は「寝ろ!」ですかね。(笑い)こういうことを考え出した時には、俺は眠いんだと思うことにしているんですよ。

 二人に対してフランクルが言ったのは、

 「それでも人生はあなたがたからあるものを期待しています。」という言葉でした。

 すぐにはその言葉の意味が分からず戸惑う二人に彼はさらに言いました。

 あなたたちを待っている何かがあるはずです。それが何か考えて下さい。

 すると一人の男があることに思い当たりました。・・・

 待っている。・・・愛してやまない子供が外国で私を待っている。

 科学者だったもう一人の男は、そうだ。科学の研究の仕事をまだ書き終えていない。この仕事が私を待ってい  る。

 彼は二人を待っているものこそが生きる意味なのだと言うことを気づかせました。こうして彼らは自殺を思い止まったのです。

T:人生から何を我々がまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が我々から何を期待しているかが問題なのですというわけですね。視点が変わるんですね。

M:あなたがどんなに人生に絶望していても、人生があなたに絶望することは決してない。何かがあなたを待っている、誰かがあなたを待っている。

 それはどういうことかと言うと、私たちは日々人生を問います。例えば、就職活動がうまく行かないとか・・・、その時にこんな人生一体何の意味があるんだろうと考えます。けれども私たちが人生を問う前に、人生が私たちを問うている、と彼は言うんです。

 私たち人間はたえず人生から問われている存在であると言うことを知って、人生に対する態度を180度ひっくり返す必要があると彼は言っています。

S:でも、我々は人生に求め続けるじゃないですか。こんな人生になってくれと。ぼくが人生に求めるものと、人生がぼくに求めるものがバランスが合わない時はどうしたらいいですか?

M:フランクルはこういうふうに言っています。人生に何かを求める姿勢を続けている間は、人間は永遠に欲求不満になってしまう。絶えず、人間はもっともっとと何かを求めますね。そうするといつも空虚感が支配せざるを得ない。人生を疑う前にまず自分にどんな問いが突き付けられているのか、こちらの方が先だ。誰かのために、世界のために、あなたにできることは何があるんだろうと、何があなたを待っているんだろうと言って、人生に対する見方を変えてみませんかというのが彼の提案だと思うんです。

S:分からないことがあります。ぼくの場合、年齢を重ねて行くうちにこういう世界に入って成功したいと思った。一番最初はバイトをしないで食べて行けたら、おそらく何も悩みがないんだろうと思ったんですけれど。テレビにいっぱい出してもらって同年代の友達よりも少しもらうようになった。だけどこれは永遠じゃないと言うことにまた悩んだりするわけですよ。そうすると、もともとの根本の「人を笑わせたい」というようなことと、とんちんかんなところで悩み始めるんです。ただの不安の塊みたいになって来るんです。もしかして人生に期待していたのは、一杯テレビに出て一杯お金が欲しいとか、そういうことにもしかしたらなっていたかも知れないんだけど。

M:彼はこんなことも言っているんですね。あなたの内側を見つめるのはやめましょう。それを止めて、あなたを待っているものに目を向けなさい。

S:難しいんだよな。得てして合わないものですよね。自分が期待する人生を捨てられないし。我々はもともとそういう価値観で生きているじゃないですか。こういうことをすると、こういういいことがあるんだよと思って、ずーと生きているから。

M:そうですね。

S:それを捨てろと言われても難しい。

***********************************************************************************************

岩手県陸前高田市、今回の震災で1800人が犠牲になった、被害の最も大きかった場所の一つです。地域の拠点病院だった県立高田病院、最上階の4階まで津波が襲い、職員や患者24人の生命が奪われました。現在病院スタッフは仮設の診療所で地域医療の立て直しに取り組んでいます。そのリーダーが院長のIさんです。Iさんは今回の津波で長年連れ添った最愛の奥様を亡くしました。

I:医学部の2年生のころに亡くなった家内と出会ったんですけど、彼女がこの「夜と霧」を勧めてくれて初めて読んで、そこからの付き合いだったんですよ。

 最初に読んだ時の印象は?・・・すごい昔の話なんであまり覚えていないんですが、アウシュビッツの悲惨な体験の話という印象がすごく強くて・・・

 学生時代にはそれほど大きな印象を残さなかったという「夜と霧」、それから30年,Iさんは再びこの本を手に取りました。それは震災から2か月、奥さんの葬儀から間もない時でした。

  その時Iさんはある言葉に目が止まったと言います。

I:<収容所の一日は一週間よりも長い>というところに線が引いてあって、当時の心境もこうだったかなと思います。

 

 

 一日が一週間よりも長く感じる、それは突然の災害に病院を奪われたIさんの心情をそのまま表しているような言葉でした。 

 塞ぐこともあったIさんでしたがその心を救ったのは

自分を待っている人の存在でした。

I:患者さんたちにはずいぶん支えられました。「先生、生きてたの!」とか、泣く人がいたりして、そういう状態でしたからね、自分は一人でないという感じを持ちました。

今、Iさんはフランクルの言葉をかみしめながら患者さんの生きがいを大切にする医療を心がけています。

I:希望といいますか、フランクルの本でいうと生きる意味と言うんですかね、そういう風なものをしっかり持つということはすごく大事なことだろうって思いますけどね。自分が生かされた存在だからこそ、やらなければならないことっていうのかね、そういう風なのを感じながら生きなければならないなあって思えるようになりました。

この本を読んでからまたその思いが強くなったし、何とかやっていけるんじゃないかなと思っていますね。

S:奥様と恋愛が始まって人生の一番楽しい時にこの本を読んで、先生が二度目にどん底で読んで開かれて来た世界があった。何か凄いですね。

S:奥様と恋愛が始まって人生の一番楽しい時にこの本を読んで、先生が二度目にどん底で読んで開かれてきた世界があった。

M:やはりフランクルの言葉が一番入って来るのは、人生に絶望し切っている時だと思うんです。ほんとうに人生に苦しんで、悩んで、悩んで、悩み抜いた末に、ああこのことかと、この言葉が入って来る方はたくさんおられるように思いますね。

<欲望中心から使命中心の生き方へ>

M:彼はどんな人にも、どんな人生にも意味があるんだと言っているんですが、これは言葉を変えて言うと、どんな人にも見えない使命が与えられているということです。それを見つけて果たすことによってはじめて人生が全うされる。自分の天職との出会い、運命の相手との出会い・・これは似たところがあると思うんですね。

私はこういう仕事を絶対したいんだというふうに凝り固まっていたり、私はこういう条件の相手でなければ絶対に妥協しないというような生き方、これを彼は欲望中心の生き方と言っています。そして欲望中心の生き方をしている限りは満たされない。それを生きる意味と使命を見つけ出す生き方に転換しないと、最終的にはほんとうに心の奥底から私は幸せだと思える人生はなかなか手に入らない。

T:私には今小さい子供がいて、生きる意味を考える余裕もなかったんですけども、自分の使命はと考えた時、夫はさておき、子供を育て上げること、そんなとっても一般的なことしか思い浮かばないんですけど、それでも堂々と生きる意味だと思って生きて行っていいんでしょうか?

M:それくらい大きな意味はないんじゃないでしょうかね。私の恩師が百冊の本を書くよりも一人の子供を育て上げることの方がはるかに難しいと言っています。 

晩年彼はアメリカの死刑囚のところへ講演をして回ったんですが、「明日あなたが死刑になるとしても、遅すぎることは決してない。」ということを説いて回ったんですね。人生の意味を見つけると言うことは最後の瞬間まであきらめる必要はないんだと。

S:明日死刑になる人、絶望的な環境にある人、一番説得し難い人にも響いてくる言葉ですね。