-ALKAN-

しどろもどろでも声は出るなり。

午後の独り言

2017-12-05 14:48:37 | 日記
 息子は学校で、妻は学校に懇談会に出かけました。 また私一人になりました。

 この生活を続ける以上、私は本格的に、何もしない という事をまなばなければなりません。

 何もしない。こうやってパソコンに向かって何か不満や戯れ言を書いているのも、それは何かをやっていることで、ある種のごまかし。
何もやる事がないのなら、正々堂々と何もしないでいるのが一番正しく、一番精神への負担も小さいはず。

 周りにはじっとしているのが嫌いで、休みの日になると、多少雨が降っていようが、熱があろうがとにかく外へ、外へ出かけて、今日はだれと何処に行って何をした。という実感がないと、気が済まない。いや、気が済まないというよりも、怖い。そんなタイプの人もいるように見受けられます。

 それはそれで政界でしょう。そうそう、政界の常識は、一般の非常識。いや、その政界じゃなくて・・・・・・。

 正解、でも私の様に、足の具合が悪くどこでも出かけられるわけじゃない人は、それならば何もしない。今日は、何もしなかった。そういう充実感を得られるよう努力すべきじゃないか。いえいえ、屁理屈じゃございませんよ。

 なにかを、しなきゃ、自分がこうしている間にも、誰かが何かをやって、本来自分が思いつくはずだったイメージやアイディアを、先を越され、本来なら自分が得るはずだった地位や名声、収入が、不覚にも横取りされてしまっているかもしれない。

 程度の差こそあれ、そんな気持ちが要するに、気持ちを焦らせ、腐らせ、わびしいモノにする。だったらば、

 初めから何もしない。それはどういうことかというと、一切の目標を持たず、一切の意見に耳を傾けず、一切の結果に興味を向けない。つまり、

 座標で言うと、すべての事柄から均一の距離の一点に座って揺るがない。宇宙の中心に座り何も考えない。そういう事になります。

 それはすなわち、無の境地。悟りの境地。


 目耳鼻舌身意、色声香味触法、すべてを一つにして、じっとしている。

試しに今から、十分間、何も考えません。私。よーい、スタート!

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