1873年から1876年までアカデミーの許可を得て、イタリアとパリに遊学。パリでは、フランス印象主義絵画に接触して、色と光の使い方に永続的な感化をこうむる。それでも依然としてレーピンの画風は、西欧の古い巨匠たち、ことにレンブラントのそれに近く、レーピン自身が印象派に属することはなかった。
白黒とはいえ、写真技術が普及してきた19世紀後半に、写実的な手法を守り切ったところに、彼の自信のほどが垣間見える。
出自の同じ一般大衆に生涯を通じて注目し続けたといわれる通り、手法ではなくテーマ性を追求したのだろうか。
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