和の独り言=PART-2

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信州安曇野の旅2019(その2)

2019-10-02 | 旅日記

2日目

 朝から雨模様、一日をホテルで休養日とするつもりでいた。
 そこへ松本市内に勤め先がある娘から、“今日は半休をとったから、行きたいところがあれば連れくよ”との電話がきた。
待っているとお昼前にホテルまで迎えに現れた。まずは昼飯にと(このホテルには昼飯の用意はない)安曇野市の隣の池田町へ、ハーブガーデンと道を挟んだ一角のレストラン「ビストロカモミール」にて暫し懇談する。

 県道51号を大町市まで北上、大町山岳博物館を訪ねた。まずはエレベーターで3階へ、しかし天候は曇りで展望室から北アルプスの山並みは見えない。各階のいつもながらの展示を見学して1階の喫茶店で一休み。
 売店で「槍ヶ岳とともに-穂苅家三代と山荘物語」を求めた。著者は菊地俊朗さん、私が現役時代に社内の山好きグループ「もどき会」での山行を指導していただいた方です。「もどき会」とは、山女もどき・山男もどきの集まりということが語源である。山岳部とはレベルが違い過ぎるのだが。

 ホテルへの帰り道、国道147号の途中から「山の辺の道」に入る。途中の松川村にある「ちひろ美術館」の手前で、道の左側に電車が置いてあるのを見つけた。この道は自分の車でのドライブで何度も通っているのだが、電車には気が付かなかった。少し戻って第2駐車場に車を止める。

 これらは長野電鉄を走っていた電車の静態保存の2両である。手前に見えたのがデハニ201号車、1926年に汽車製造東京支店で作られ1980年に引退するまで長野電鉄を走っていた。「デ」電動車、「ハ」三等車、「二」荷物車をそれぞれ表す略符号である。

 モハ604号車が続く。1927年に川崎造船で作られ1980年に廃車となったが、その後1986年まで上田交通で使われていた。再び長野電鉄に戻り、小布施駅の「ながでん電車の広場」に展示されていたという。「モ」電動車を示す。
 車内は子供向けの図書室になっていた。

 ちひろ美術館の館長である黒柳徹子が書いた「窓際のトットちゃん」にちなんで名づけられた広場だと、公園内の説明版にありました。2014年にトモエ学園の電車の教室を再現するために、同社から松川村に寄贈された電車である。
(以上の紹介は、随所に置かれた説明版によりました)

 公園(広場)内には数組の参観者を見受けましたが、電車そのものに足を運んでいたのは私たちだけでした。

= 続く =

 


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