漱石の名言
漱石の名言と言えば、いわゆる名言集に数多く収められている。「草枕」の次の一句もその一つである。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。」
このような漱石の名言は世に溢れているから、まず世間に知られていない、小生推薦の名言を紹介する。
最後ノ権威ハ自己ニアリ
という一言である。これは漱石全集・昭和五十四年刊行の第二十五巻「日記及断片」P105の断片の一行である。前後に脈絡も説明もなく、突然書かれているだけの素っ気ないものである。短編どころか、日記でもない、単なるメモである。だから誰も気付かないのだろうと思う。この一言は漱石の面目躍如たるものであると考える。
「最後の」という言葉は英語を専門とした漱石だから、混乱して聞こえるかもしれない。He is the last man 云々・・・。
と書いたら、彼は何々をする最後の人である、と直訳してはならず、彼は絶対に何々しない、と訳すのは受験英語でも基本である。英語の苦手な小生でもご存じである。ところが漱石の言葉はこのような英語風にとってはならないのである。
文字通り、最終的にものごとを判断するのは自分自身である、ということを警句風に表現したものである。つまり、物事の判断基準は自分自身にしかない、ということだから判断基準は自分にあるのだ、という傲慢な言葉にも聞こえよう。
そうではないのである。たとえ権威者が言ったことでも、それを理解せずに鵜呑みにするな、ということでもある。結局は自分自身が判断しなければならない、ということである。これはとてつもなく自分に厳しい言葉ではなかろうか。判断基準が自分自身にある、ということは自分の知性なりを磨かなければならないことを意味する。
人は万能ではない。知識にも判断力にも限界があるから、間違った論理判断を展開することは稀ではない。それでも最後の権威は自己にしかあり得ないのである。自分自身の行いについて判断を有識者に仰ごうと、結局それを理解して決定するのは自分しかいないのである。出来事の解釈とても同様である。世間に事件があった時、それをどのように解釈するのは、結局自分自身でしかない。
これは政治家にも大いに言える。政治家は多くの専門家からアドバイスを受けるが、結局判断するのは政治家自身なのである。それ故政治家は、自己を研鑽しなければならないのである。単に専門家の判断だから従う、ということであってはならないのである。かといって、研鑽をできていない政治家が、とんでもない誤判断することがあるのは、過去の事例が示すところである。小生のような市井の人にとっても同様である。座右の銘というよりは自戒の言葉としたい所以である。