毎日のできごとの反省

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書評・江戸のダイナミズム・西尾幹二

2019-06-18 00:49:21 | 文化

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本居宣長などの江戸の思想家を高く評価して論考している。特色は、西洋の思想と時代的にパラレルのものがある、としながらも、西洋の思想との類似性があるから日本の思想も優れているという西洋を基準とした評価の方法を徹底的に排除していることにある。また万葉の時代には日本語の音は88位あり、平仮名が奈良時代に生まれたら、仮名は88個位になったであろうと、という面白いこともかかれている。(P446)とにかく大著であり、小生が批評するには到底手に余るので止める。ただ、一点だけ疑問を呈したい

 それは漢文を中国語の文字表記と捉えている節があることである。他の評論でも繰り返し述べたが、岡田英弘氏によれば漢文は中国語の文字表記ではなく、もちろん古代中国語の文字表記でもなく、表意文字による情報の伝達手段である。文字表記の方法としては原始的なものである。荻生徂徠が支那の古典を返り点を打たずに、文字の順に白文として中国語の音として読んだ、という。そのために徂徠は中国人から漢字の音を学んだという。

 だがこれは二重の意味で奇妙である。西尾氏は中国は漢唐の時代以前とそれより後では断絶しているという。従って、呉音、唐音などというように漢字の読みも変わっている。徂徠の時代の清朝の音と支那の古典の音とは異なる。徂徠は古典当時の読みではなく、現代の音で読むという奇妙な事をしていたのである。また白文とは言っても、古典の漢文は古典の時代の支那人が話していた言語の文字表記でもないのである。恐らく徂徠は白文を声を出して読むことで、古代の支那の言語を語っていたつもりなのである。

 同じような間違いは、現代日本人でもやりかねない。以前NHKの漢詩のコーナーだったかと思うが、漢文書き下し、つまり日本語表記式ばかりではなく、中国語で読む、と称して、漢字の並び通りで、「中国語」読みしていた講師がいた。しかし、これが北京語読みならば、李白、杜甫が詠んだ漢詩の発音とは全く異なる、奇妙奇天烈なものである、ということはご理解いただけるだろうか。

 清朝においても、支那本土でも漢文は読まれ、文字表記として使われていた。漢文は支那古典に記された漢文が基準とされていた。だから科挙では漢文の作文などがされたのである。ところが清朝でも既に支那本土では、広東語、福建語、北京語などのいくつかの言語を話す地域に分かれていた。これらの言語の差異は方言などという程度の差ではなく、フランス語、ドイツ語、スペイン語と言った程度の異言語である。これらの異言語を話す人々が漢文という共通した文字表記を使っていたというのも奇妙な話なのである。

 清朝ではまだ、広東語、北京語などの漢字による表記法がなく、漢字による文字表記法と言えば漢文しかなかった。例えばフランス人、ドイツ人、スペイン人が各々の言語をアルファベット表記する方法がなく、これらの3国人が共通して読めるアルファベット表記法があったら、と例えたらこの奇妙さが良く分かるであろう。だが、これらの漢文に対する西尾氏の誤解は、この本の論考に根本的な間違いを生じるものではないことを付言する。さらに言えば岡田英弘氏が言う、漢文には文法がない、ということは西尾氏は薄々承知している節がある。「中国語のシンタックス」と言っていて決してグラマーとは言わないからである。その意味では、漢文の性格について西尾氏は明瞭ではないと思われる。しかし、これだけの博識の西尾氏が、岡田英弘氏の、漢文は古代中国語ですらないという説を知らないとは思われないのが不思議である。


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